97章 閉ざされた記憶―――六百七十五年・十月九日(九)
小父さんと別れた後、特に何事も無く親友の居候先へ到着。ところが、
「ハイネ、こっちだ」
僕が階段へ上がろうとすると一階のドアが開き、狼少年が手招き。三人で仲良くお茶でもしているのかな、そう思って上がる。と、体育座りで噎び泣く最愛の女性がいきなり目に飛び込んできた!
「キュー先生!?ロウ!まさかお前が泣かしたのか!?」
「阿呆!」
慌てて彼女の傍へ行き、左側から肩を抱き締める。
「先生」
「ハイネ君……私、思い出したの。ルーシー叔母さんの事……」
「え?」
ポツリポツリ語り出した記憶は、半ば予想しつつも想像を超えた物だった。
―――丁度、ママがダン小父さんと結婚した頃よ。ママの妹だと言って、ルーシー叔母さんが突然『ホーム』を訪ねて来たの。
二人は十数年会っていなかったらしいけど、仲良しなんだってすぐに分かったわ。当意即妙って言うの?どうして音信不通だったのか分からないぐらい、二人は紅茶片手に晩御飯までずーっとお喋りしてた。その内ね、話題が私の事になったの。
『生まれた時からここに?学校は?』
『行ってる訳無いだろう。他の餓鬼共だってウンザリするぐらい揃いも揃って特殊で』
『そう?でも、キューは普通の子と変わらない風に見えるわ―――少しだけうちにホームステイさせてみたら?確かにここは良い所よ。だけど社会性は身に付かないでしょうね』
最初は渋っていたママも、滔々と続く妹の説得にとうとう根負けしたの。
『……分かったよ、ルーシー。私の負けだ。お前の話術は相変わらずイラつくぐらい巧いな。そう言う訳だからキュー、行っといで』
正直その時、私怖かったの。未知の世界にたった一人で行くなんて。
でもね、出発日まで不安がっていた私のために、皆が内緒でカーネーションのタトゥーを刻んでくれたの。この絆がある限り、どんなに離れてても一緒だって。自分も寂しいのに桜ちゃん、そう言って笑顔で送り出してくれた。それが嬉しくて……だから、これは凄く大事な証なの。
そう言い、痣のある胸元を愛しげに押さえて深呼吸。
「成程。だから屋敷の鍵に……」
初めて聞いた時は何とも思わなかったが、今ならその重要さが分かる。既に成人だった理事長先生はともかく、十歳前後の幼子達が痛みに耐えて一生消えない物を刻み付けたのだ。全ては、愛する家族を思うが故に。
(そしてアラン先生の仇、『コバルト・マスター』も……)
何故そこまで人を想える人物が、あんな惨い真似を?一体、何が奴をそうまで駆り立てたんだ?
「素晴らしい家族ですね……ちょっと、羨ましいな」
この事件が解決し、今度父に会ったら最初に何て言おう?ただいま?それともお帰りか?或いは……。
―――叔母さんはラブレでブティックを経営していたの。と言ってもそんなに高いお店じゃなくて、老若男女誰でも入れるカジュアルなショップよ。私はそこで一ヶ月間、社会見学をしながら叔母さんのお手伝いをする事になったの。
『大丈夫なのかい、キューちゃん?街に出て来たのも初めてなんだろう?』
自宅で翻訳家をしていたバートン叔父さんの心配は全然杞憂だった。尤も彼が気を揉んでいたのは、純粋に私のためばかりではなかったんだけど……。
『いらっしゃいませ!』
売り子はとっても楽しかったわ。色んな人達とのお喋りも、綺麗なお洋服をラッピングするのも面白くて仕方なかった。店主の叔母さんも、私のお陰で売上が増えたって喜んでくれた。
『頑張り屋さんのキューにお給金をあげないとね。―――ああ。確かにあの別荘だと、お金が幾らあっても使えないか。お店も麓まで降りないと無いし。じゃあ他に何か欲しい物はある?』
『うーん……そうだ、この店のお洋服を下さいな。『ホーム』の皆の分も!』
『いいわよ。ふふ、キューは本当に家族想いね』
週一回の定休日には叔母さん、世間知らずな私を色んな所に連れて行ってくれたの。カフェでお茶したり、スーパーマーケットで買い物したり。楽しかったなあ。
特に好きだったのは図書館よ。『ホーム』には無い本が沢山あって、見ているだけでも凄く楽しかったの。でも大体他に行く所があって……だからいつも、『赤』の治療に役立ちそうな医学本を中心に目を通していたの。それを見て叔母さん、ちょっと不思議そうな顔してたわ。
アラン君とも図書館で仲良くなったの。元々ルナ小母さんがお店の常連で、待っている間に何度か子供同士で話をしてて。男の子だから背が伸びるのが早くて、しょっちゅう新しい服を買いに来てたの。
そんなある日、家へ遊びに来ないかって誘ってくれたわ。叔母さんは勿論承諾してくれて、翌日早速一人で行ったの。小母さんの用意してくれた紅茶とチーズケーキを食べながら、二人でテレビゲームで遊んで。面白かったなあ、あれ。ハイネ君達はゲーム得意?―――ふぅん、そっか。
招待されるなんて生まれて初めてだったから私、二人に恩返しがしたかったの。で、中古住宅で鼠が走り回って困っていたから、静かになれば喜んでくれるかなって。
そう考えて、『スカーレット・ロンド』を持っていたガーゼに染み込ませたの。そしてアラン君がトイレに行った隙に、屋根裏部屋の隅に設置した。ルートは足音と糞で大体分かってたし、簡単だったわ。
結果は大成功。鼠は十分もしない内に全滅したわ。吃驚する彼に素手で触れないよう注意して、二人でビニール袋に死骸を回収したの。
『キュー……何なんだ、この気味の悪ぃ斑点……―――へ、へぇ……随分物騒な毒を持ってるんだな』
『小母さんには内緒にしてね。―――うん、ありがとう』
今考えると怖い物知らずだよね。下手したらアラン君達に感染していたかもしれないのに。
ステイ先に帰ると、当然ルーシー叔母さんは袋を見て血相を変えたわ。その態度に最初は混乱していた私も、ようやくママの言っていた『拙い事』をしちゃったって気付いたの。
『ごめんなさい!ごめんなさい叔母さん!!』
『キュー……大丈夫よ。怒ったりしないから、とにかく訳を話して?ね?』
泣きながら全てを話すと、叔母さんは私の手を引いて庭へ連れ出したわ。スコップで広葉樹の下に穴を掘って、死骸袋を入れたの。
ママの身を案じる一心で、私は叫んだの。―――お願いだから誰にも話さないで!って。そうしたら叔母さん、笑ったの。
『そんなの当たり前でしょ―――見てて、キュー』
彼女は洋服十着を軽々運べる右腕を前に翳して、深く息を吐いた。そして、あの言葉を唱えたの。
『炎よ』
何も無い掌から放たれた炎は、見る見る内に鼠達を骨へと変えていったわ……その傍で私達は目を逸らさず、ひたすら鎮魂の祈りを捧げた。幾ら害獣でも、手を合わせるぐらいしなきゃ浮かばれないから。
『ほら、これで証拠隠滅完了。でも、もう二度としちゃ駄目よ?』頭を撫でて、『鼠退治なら、今度一緒にホームセンターへ行きましょう。良く効く殺鼠剤を教えてあげるから』
『うん……ありがとう、叔母さん』
「優しい方だったんですね、ルーシーさんは」
体重を凭せ掛けてきた身体を側面からそっと抱き、僕は呟く。
「うん……でも、ホームステイが終わる五日前……三月、七日」
「!?」
それって、ルマンディ父子が奇禍にあったのと同じ日?偶然、か?
「どうして、あんな恐ろしい事が起こっちゃったんだろう……」




