90章 三度の訪問者達―――六百七十五年・十月九日(二)
「桜と連絡が付かない?」「ええ。―――あ」
カタン。喋っている間に、盤上の白いナイトは黒のキングを追い詰めていた。逃げようにもクイーンとビショップが脇を固め、打つ手無し。
「チェックメイトだ」
「参りました。将棋ならまだ抵抗出来たんですが」
「フフン。それこそ負け犬の遠吠えだね」
ママは誇らしげに紅茶を啜り、隣で観戦していた私を見やる。
「次は久し振りにお前が相手になってくれるかい、キュー?」
「いいよ。でも小父様、今の話本当なの?桜ちゃんが……」
一昨日傍で看病してくれた献身的な姿を思い出し、いてもたってもいられなくなる。
「心配は要らないさ、キュー。彼女ももう大人だ。すぐに帰ってくる」
「だから止めさせるよう言ったんだ。あの娘、厄介な事になってなきゃいいけどな」
預言めいた母の物言いに、当てがあるのか小父さんは渋い顔。
「―――まぁいいさ。コンラッド、そこをどきな。ついでに紅茶のお代わりと、ああ。そろそろ朝飯のスコーンが焼けている頃だ。取って来い」
「分かりました」
「クリームとジャムも忘れずにな!」
ママの余りに普段通りの態度に、私達も苦笑するしかない。
席に着いて駒を配置し直す彼女を眺めながら、私は心を一昨日の夜に飛ばす。
(ハイネ君達、結局昨日は来なかったな……)
折角敷地内を色々案内しようと思って待っていたのに。お陰で今朝は寝不足気味だ。
口に手を当てて欠伸しかけたその時、聞き慣れないベルの音がリビングに響き渡る。
「え、何?」
「ああ、チャイムだよ。どうやら門を通って誰か来たみたいだ」
家族の他の二人だろうか?ならグットタイミングだ。久し振りに皆でブレックファーストを楽しもう。
するとママはキングを抓んだまますっくと立ち上がり、窓の傍へ。外を見てフン、鼻を鳴らす。
「思った通りタチネコ君共だ。キュー、出迎えてやりな。そうだ、丁度良い。朝飯に招待してやれ。スコーンはいつも通り余分に焼いてるんだろう?」
「ママが沢山食べるからね。―――うん、分かった。行って来るね!」
正面玄関から急ぎ外に出、裏口に向かいかけていた二人を呼び止める。あ、ロウ君今日は私服だ。パンクって感じ?ちょっと格好良いかも。勿論、いつもの蒼い服のハイネ君はもっとだけど。
「おはよう、二人共。今日は随分早いのね」
「済みません。キュー先生にどうしても頼みたい事があって」
「私に?」
「ああ、木咲先公の件で」
ぐー。ぐー。「「あ」」「ふふ、良かった。さ、中に入って。焼き立てスコーンと紅茶を御馳走するから」
少し遅い朝食の誘いに狼狽する二人。
「あれ、もしかしてもう食べちゃってたりする?」
「いえ。で、でも先生のお母さんは……」
「大丈夫。そもそもママが二人を連れて来てって言ったのよ。小父さんもいるし、ロウ君。元気な顔を見せてあげたら?」
「げっ!?親父もいるのかよ……どうする、ハイネ?」
「困ったね。『Dr.スカーレット』は一体何を考えているんだろう?」
逡巡する二人の背中を押し、ほらほら、早くしないとスコーンが冷めちゃうよ!無理矢理玄関へ。セキュリティ装置を解除し、ママ達の待つリビングへ。
「お帰り、キュー。そしてようこそ我が『ホーム』へ、タチ君ネコ君。まあまずは座りなよ」
チェステーブルから円卓に移動したママは、前方の二席を示しながら言った。テーブルには山盛りスコーンのバスケット。瓶入りのクリームと苺ジャムも準備万端。うん、久し振りに焼いたけど大成功だね!
「わっ!ロ、ロウ!!?」
キッチンから出て来た小父さんが吃驚し、危うく紅茶のトレーを落としかける。そんな彼をママは一瞥し、何チンタラやってるんだコンラッド、二人分追加、普段通り命令した。
「キュー、お前も座りなさい。席はそうだな、二人の間でいいんじゃないかい?」
「「え!?」」
私とハイネ君が同時に声を上げると、何故かロウ君に睨まれた。その様子を観察し、ママは苦笑する。
「冗談だよ。ネコ君を真ん中にしよう、そうすれば全ては円満解決だ。円卓だけにな」
ゲラゲラ。
「は、はぁ……じゃあ先生、こちらへどうぞ」
ハイネ君が向かって右の椅子を引き、私を招き寄せた。相変わらず紳士的な子だ。
ちょっとドキドキしながら座ると、左隣に小父さんが腰を下ろした。準備OKだ。
「じゃあキュー、いつもの」「うん。いっただきまーす!」
恒例儀式の挨拶を終えた私は、目の前のスコーンを半分に割る。そして切断面にクリームをたっぷり塗り、生徒達のお皿に乗せた。
「はい。口に合うといいんだけど」
「ありがとうございます、先生」
「毒とか入ってねえよな?―――美味!」
「本当?」
気持ち得意げに尋ねる。
「はい。こんなに美味しいスコーン、初めて食べました。先生が焼いたんですか?」
「そうよ。ランファに教わったの。二人が喜んでくれて良かった」
特にハイネ君の笑顔が見られて。彼はやっぱり特別な人だ。傍にいるだけで胸が……痛い。
今ならママの気持ちが分かる。大切な人を放って、自分だけ苦しみから逃れるなんて絶対無理。ましてや命を、
「先生、食べないんですか?僕等ばかり頂いても悪いし―――はい、どうぞ」
彼が差し出した苺ジャムのスコーンは、何時に無く美味しかった。今まで何十回、何百回も食べてきたのに、思わず涙が零れそうな程。
「ありがとう、ハイネ君」
「ズルいぞ先公。ハイネ、俺にも塗ってくれ」
「それぐらい自分でやりなよ。全く。情けなさ過ぎて、向こうのお墓でお母さんが泣いてるぞ」
「冷てー。いいじゃんか、それぐらいのサービス」
喧嘩する男の子達は本当に仲が良くて、見ているだけで微笑ましい。そう言えば、『ホーム』ではこうした言い争いは殆ど無い。私も桜ちゃんと一度も喧嘩した記憶無いし。まぁあの子は臆病だから、そうなったらすぐに泣き出して強制終了だろう。大体、声を荒げるような諍い自体滅多に起きない。
「止めなさい、ロウ。済まないねレヴィアタ君、いつも迷惑掛けて。ところで―――」
コホン。真剣な表情で咳払い。
「―――実は、今まで黙っていたんだが……ロウは私の養子なんだ」
沈黙。
「ま、まあ驚くのも無理は無いが」
「いえ、割と早くに気付いていましたけど。と言うか本人が親父って呼んでますし」
「……そ、そうか、うん……」
「ひゃっこわる(格好悪)」
スコーンをリスのように両頬へ入れたまま、不謹慎なぐらい母はゲラゲラ笑った。
慣れない場と大人達に緊張していた学生達も、お腹が膨れ段々リラックスしてきたみたい。私がカップに二杯目の紅茶を淹れていると、ハイネ君が徐に切り出してきた。
「キュー先生。木咲先生は今、政府館の地下に拘留されています。でも取り調べに全然応じてくれなくて……このまま何も弁解しなかったら、まず間違い無く死刑でしょう。お願いです。僕等と行って話をしてもらえませんか?」
突然の申し出に吃驚する私の耳に、あの娘、一体何人殺ったんだい?ママは冷静に尋ねた。
「僕等が聞いているだけで二十人弱」そんなに!!?「被害者は全員、十五年前あなたを捕らえた強行課に所属していました」
「あぁ……成程、人の数倍優しい桜が怒る訳だ。だからって復讐は良くないがね」
「え?」「は?」
二人共、鳩が豆鉄砲に当たったような顔。
「しかしそいつぁ、仮令どんな情状酌量があっても絞首刑コースまっしぐらだね。どうするよ、コンラッド?」
「どんな事情があれ、桜は我々の大事な家族です。他の二人を呼んで保護しま、ゲホン。相談すべきかと」
「私の脱獄の時みたいに、また一丁派手にやるか?そいつも悪くはないが、私としてはあの娘の真意が知りたいね。どうもわざと捕まった節あり、だろネコ君?顔にそう書いてある」
「!!?え、ええ……ロウと利害が一致したから、とか言っていました」
驚く彼を尻目に、八個目をペロリと完食したママは腕を組む。
「フン。まぁ何やらかすかは大体今ので想像付いたが、果たしてどんな方法を取るつもりか……キュー、矢張りお前にしか聞いてこられそうにないね。行っといで」
「い、いいのかよ『Dr.スカーレット』?」
あっさり出たGOサインに、ロウ君が困惑しつつ尋ねる。
「そうですよ。僕等が裏切って、政府にキュー先生を引き渡すかもしれないのに……」
「それなら最初からこんな所に足を向けないさ。大人達に全部バラしちまえば終わりだ」
ズズッ。コポコポコポ……ポットに残った紅茶を注ぎ切る。
「お前達を信用して娘を預ける。異論は認めないよ、コンラッド」
「し、しかし二人にはどう説明する気です?」
「フン。あいつ等はあいつ等で良からぬ事を企ててるんだ。こっちだってやり返す権利ぐらいあるだろ?万が一のこのこ来やがったら、体調不良とでも言って適当にあしらっておくさ」
「そんな無茶苦茶な……」
相変わらず豪気な人だ。もし亡くなったメイドがこの場にいたら、きっと苦笑が止まらなかっただろう。右隣を見ると、二人も口をぽかんと開けている。
「と、言う訳で宜しく頼むよ二人共。キュー、お代わり」
空のポットを差し出す母は、そう言って悪戯っぽく笑った。




