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87章 捕縛―――六百七十五年・十月八日(十)



 大人と別れ、一目散に屋上の階段へ。鍵の掛かっていない扉を開けると、ビンゴ!月光に照らされた美女は、転落防止の手摺りの向こう側に立っていた。


「待って下さい、木咲先生!!」「っ!?」


 振り返った彼女は、僕等の姿を認めて長い息を吐く。

「あなた達だけ?さっきの政府員はどうしたの?」

「彼は一階へ行きました。―――もう止めて下さい、木咲先生。殺した人数が人数です。政府は確実にあなたを死刑にするでしょう。しばらくは『ホーム』に隠れて大人しくしていた方がいいです。でも、その前に僕の質問に答えて下さい。アラン先生を殺したのはあなたですか?それとも、他の二人の『子供達』のどちらかが?」

「そう……もうそこまで知っているの。聖族政府なんかよりよっぽど優秀ね」

 感心し、首を小さく横に振る。

「その答えは後者よ。私はあの夜、ずっと『ホーム』にいたの。歩き疲れたキューとメアリーさんを迎えるために。久し振りに三人で飲んだホットミルク、とても美味しかったわ……」

 回想しながら幸福そうに微笑む。

「じゃあ『蒼』と『紫』のどっちだ?答えろ」

 ノートの残りを既読の親友が尋ねると、恐らくは『蒼』、『コバルト・マスター』でしょうね、あっさりそう返答した。

「!?その人の居場所を教えて下さい!」

「それは出来ないわ。家族を売るなんて、レヴィアタ君だって嫌でしょう?」

 儚げに微笑み、そろそろお別れの時間ね、下に政府員達が集まって来ているわ、と呟いた。

「相変わらず数に物を言わせる連中ね。十五年前と少しも変わっていない。―――折角だから私も一つ訊いていいかしら?副聖王は本当にまだ生きてるの?」

「ええ。意識は生憎戻っていませんが、取り敢えず危険な状態は脱しています。でも、今朝の壬堂さんは……」

 未だ脳裏に焼き付く恐ろしい惨状を思い出し、無意識に身体が震えた。

「―――罪の意識は無いんですか、先生?」

「優しいのね、レヴィアタ君は」皮肉気に笑う。「でもごめんなさい。教師失格だけど、敵に情けを掛ける程私も聖人君子ではないの」

「だろうな。そこからどうやって逃げるつもりだ、先公?」

 地上までの距離は約二十メートル。普通に飛び降りればまず即死だ。


「勿論、こうやってよ」ふわっ。「「!!!?」」


 慌てて手摺りに取り付くと、地上には近隣の林から伸びた枝葉に因る緑の絨毯が広がっている。その中央に木咲先生は女王の如く降り立ち、僕等に向かって悠々と手を振ってみせた。


「待てっ!」「あ、おい!!」


 三節棍の支えで手摺りを跳び越え、僕も彼女と同じ樹上へ。


「わっ!?」ドサッ!「いたた……」「無茶したわね。立てる?」


 生徒の無謀な行動に呆れたのか、保健医は手を貸してくれた。枝葉は案外しっかりと敷き詰められ、脚が下に抜ける気配は無さそうだ。

 無事地上に降り立つと、彼女は地面に両手を着く。

「力を貸してくれてありがとう。戻って」

 命令に答え、シュルシュルシュル……無数の枝が見る見る内に縮み、通常の状態に戻る。

「凄い……こんな沢山の植物をたった一人で操れるんですね」

「それが私の生まれ持った『ディライト・ビリジアン』の力よ。それよりレヴィアタ君、あなたのその身体能力、まさか……感染してしまったの、『スカーレット』に?」

「ええ。昨日、キュー先生に検査してもらいました」

 すると暗殺者は月明かりでも分かる程蒼褪め、鞘に収めたナイフを胸元に仕舞った。


「そんな……可哀相に―――でも、それなら却って好都合かもしれないわ」「えっ?―――ぐっ!!?」


 突然正面から両手で首を締められ、束の間意識が飛ぶ。抵抗しようと腕を掴みかけたその時、蒼白い顔にキュー先生のそれがダブった。


「があっ!!はぁっ……はぁっ……!!!」「っ!?レヴィアタ君!!?」


 鼓動がバクバクし、全身から冷や汗が止まらなくなる。反撃どころでは到底無い。明らかな異常に保健医も慌てて手を離し、樹の幹へ凭れ掛けて安静にさせてくれた。

「ごめんなさい。でもその反応、ウイルスで負担の掛かった心臓が発作を起こしたのかしら?でも―――私がキューに見えた?と言う事は、多分心理的な問題ね」

 そう仮定した彼女は、痛ましげに目を伏せる。

「無理も無いわ……あなたはまだ心身共に成長途上ですもの。人の手に余る力を突然得て、適応出来る方がおかしい」

 まるで母親がやるように腹をぽん、ぽんと叩く。

「或いは、これも『スカーレット・ロンド』の症状の一つなのかも……念のため、これからは女性との戦いを極力避けた方がいいわ。その発作では、まともな受け身一つ取れずに殺されるだけ」

「と言う事は今……僕は絶体絶命の大ピンチですね……」

「見くびらないで。仇でもない教え子に手を掛けるなんてしない」

「なら、さっきのは?」

「あれは……とにかくもうしないわ。本当にごめんなさい」

 彼女は三度胸元に手を入れ、先程弾幕を張ったのと別の葉を一枚取り出した。僕の鼻先に当て、匂いを嗅ぐよう促す。

「ユーカリよ。これで少しは落ち着くといいけど」

「ありがとうございます」

 場所や時間帯、立場さえ違うが、今も彼女は学園のマドンナであり心優しき天使だった。

 僕の呼吸が整ったのを確認し、木咲先生はゆっくり立ち上がる。


「―――もう行くわ。願わくば、二度とこんな形で会わずに済むといいけれど」「待て、木咲先生」


 病院方面から現れた二人を見、僕等は同時に目を丸くした。

 閉じた扇子の先端をロウの頚動脈に突き付け、ジョウンさんは暗殺者へ命令する。

「この子の命が惜しければ、大人しくナイフを捨ててこちらに来てもらおう。勿論『お友達』を使うのも無しだぞ。少しでも怪しい素振りをすれば、将来性ある若者が一人死ぬ事になる」

「何を……ダイアン君は関係無いわ!大体、彼はあなた達の協力者でしょう!?気でも違ったの!!?」

「助けてくれー。俺まだ死にたくねえー」

 恐ろしいぐらいの棒読み。これ、一体何の冗談だ?

「ロウ」

「お前は黙ってろ。……こうでもしねえと、こいつを捕まえられねえだろうが」

 !?そうか。理事長先生と木咲先生は懇意の仲。当然その愛息の危機を無視出来る筈が無い。でもこんな真似をしたら、ジョウンさんにあらぬ誤解を受け、最悪父親が一味だと悟られるんじゃ……まさかこいつ、僕のために敢えて?

「頼むよお嬢さん。俺だって君みたいな綺麗な女性に手荒な真似はしたくない。ホテル待遇とは流石にいかないが、三食昼寝付きは保証する。大人しく投降してくれ」

 優位な立場のジョウンさんも拝み倒す。婚約者とさして年の変わらない彼女を、彼も本心から傷付けたくないのだ。

 すると突然、暗殺者は予想外の行動に出た。


「分かったわ」「「「!!?」」」ポイッ、カランカラン……。「これで満足?手錠は前から掛けるのかしら?」


 呆気に取られる僕に、勘違いしないで、ダイアン君と私の利害が一致しただけよ、謎の一言を囁く。利害、だって?

「ハニートラップ、とかじゃないよな?―――正直絶対失敗すると思ったんだが。お手柄だな、ロウ君」

「どーも」

「じゃあ木咲嬢。留置所までちょっと我慢してくれよ」

 扇子を広げ、吹け、戒めの風、そう言って月に向かって掲げる。次の瞬間、ビクッ!先生の両腕がピッタリと、まるで左右から屈強な腕に押さえ付けられているかのように胴体側面へ付いた。

「成程。これなら手錠要らずって訳ね」

「足元もお気を付け下さい、ミス。蹴り防止に二十センチしか上げられなくなってるんで」

「頭突きの制限は無いの?」

 唯一自由な首を動かしつつ問う。その拍子に長い髪が一房、胸の前へ垂れた。

「美女に鼻っ柱を小突かれるなら、男なら皆本望だよ」

 彼女の傍で仰々しく片膝を立て、中腰で一礼する。


「ではお嬢様、そろそろ乗馬のお時間です。参りましょうか。あ、言っとくけど全然卑猥な意味じゃないからね」 

「は?―――そう言う冗談はダイアン君相手にしてもらえるかしら。ね、レヴィアタ君?」


 蒼白い頬に朱を灯らせつつ、呆れたような笑みを浮かべる教師に同意。どう言う意味だよ手前等!!怒鳴る狼少年を最後尾に、僕等四人は政府館へ歩き出した。





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