86章 喜びを齎す緑―――六百七十五年・十月八日(九)
(―――OK。人の気配は無し)
消灯時間が過ぎて廊下は暗いが、窓から漏れる月明かりで移動には何ら支障無い。
階段を無音で昇り、ターゲットのいる最上階へ到達。この階の廊下も無人だ。まずは耳を澄ませ、奴の室内に同胞の植物の鼓動を探る。が、流石に向こうも警戒して見舞いの花等は無いよう。
(にしてもSP一人置いていないなんて……まさか、罠?)
計画実行が昨日の昼過ぎで、報道されたのは今日の夕方。報道規制の有無は微妙な所だ。しかし、
(仮令捕まっても、こちらにはまだ切り札がある。卑劣な聖族政府の思い通りになどさせない)
夜気を帯びて冷たいライダースーツの上から臍の辺りを撫で、自らを安心させる。
目的の部屋はすぐに見つかった。そこだけ室内から明かりが漏れていたせいだ。
ガラッ……。
医師が消し忘れたのか、ベッドサイドのランプがオレンジ色の光を放っていた。温かみのある間接照明に照らされ、副聖王エルシェンカは頭までシーツを被り眠っている。
(悪運の強い人。あれで死なないなんて)
流石は大父神に祝福されし純血聖族と言った所か。―――だが、今度こそ本当に終わりだ。
スーツの胸元から小刀を取り出し、暢気に睡眠を貪る仇敵の真上で構えた。刃にはトリカブト達から分けてもらったエキスが塗り込んである。僅かでも体内に入れば即死級の猛毒だ。
「さよなら……地獄で皆に謝りなさい!!」グサッ!「っ、なっ!!?」
刃が貫くシーツ、間一髪で避けられて肉の感触は無かった、を驚愕と共に見やる。次の瞬間、廊下からこちらへ向かう二つの激しい足音が聞こえた。矢張りトラップだったのか。ならば!
「このっ!」
ナイフを抜き、第二撃を見舞おうと構える。しかしシーツを剥いで対峙した彼を認識し、一瞬頭の中が真っ白になってしまった。何故憎っくき仇ではなく、学生の彼がここに!?それにどうして武器まで持って、
バタンッ!!「のこのこ現れやがったな、『ディライト・ビリジアン』!!……って、え?あんたが………嘘だろ、木咲先公……?」
親友が困惑するのも無理無い。たった今襲われた僕でさえ、まだ信じられないぐらいだ。
入口の左右を固められ、今朝と同じライダースーツを着た保健医は一瞬困惑を表した。が、すぐに表情を殺し、ナイフを構え直す。月光に照らされた刃は怪しいぬめりを帯び、何らかの毒が塗布されていると暗に示していた。
僕は攻撃を警戒しつつベッドから降り、棍の先端を美しき暗殺者へと向けた。
「随分肝の据わったお嬢さんだな。単身乗り込んでくるとはその度胸、気に入ったぜ。政府館へ行く前にバーで一杯やって行かない?上司の愚痴をつまみにして」
「就学中の未成年を連れてですか?教育者の端くれとして謹んでお断りします。それに生憎り、いえ」咳払い。「私は小父様へこれと言った悪口もありませんから」
ジョウンさんの冗談を軽くいなし、スレンダーな両脚を床へ下ろす。普段は白衣に隠れていて分からなかったが、中々スタイルは良かった。
「今朝似た二人組を見かけてまさかと思ったけれど、本当にあなた達が政府の協力者だなんて……レヴィアタ君、そうまでしてアンダースン先生を殺した犯人が知りたいの?」
「ええ。それに何より、救いたいんですキュー先生を。だから僕、どうしても真実を知りたい。先生が本当は何者なのか、十五年前に何があったのか……木咲先生が何故、強行課の人達を殺め続けているのかも」
「そう……なら、うわ言でずっと呼んでいたのはあなただったのね。記憶を封じられても心配するなんて、如何にもキューらしいわ」キュー先生が、僕を?
くすっと笑った顔は、いつも学園で見るよりずっと自然でチャーミングだ。
カツン、親友が一歩踏み出す。
「大人しくしろ、先公。女に暴力を揮いたくねえ」
「そして、ダイアン君まで……酷い運命の悪戯だわ。だけど」
再び胸元に手を入れ、何かを取り出す。
「無駄だ。入口は封鎖した。ここを突破しても逃げ場は無いぞ」
ジョウンさんが扇子を構え、何時でも魔術を発動出来る態勢に入る。
「ミス・木咲、武器を置いて投降しろ。さもなくば」
「残念だけど私、諦めるのはもう嫌なの!!」
パッ!頭上に向けて撒いたのは―――数十枚の葉っぱだ!
「拙い、守りの風よ!ハイネ君、隠れろっ!!」ババババッ!!!
四方八方へ高速飛散した葉は、病室の壁や天井、備品を容赦無く穿った。辛うじてベッドの奥に転がり、どうにか無傷で立ち上がる。だが、室内は一瞬にして宛ら銃弾の嵐を受けたような酷い有り様だ。
「畜生、逃げられた!追うぞハイネ!!」
すぐ隣を通過されたのに、防御魔術の展開のせいで止められなかった事が余程腹に据えかねたのだろう。僕等の返事を待たず、ロウは特別病室を飛び出しかけた。
「待て!ジョウンさん、木咲先生が何処へ逃げたか分かりますか!?」
「考えられる逃走ルートは上と下。尤も病院の外は林だ。窓から飛び出しても、植物が味方の彼女なら無事だろう」
「時間がありません。僕は屋上へ、ジョウンさんは下の出入口をお願いします。ロウは」
「決まってんだろ!お前一人に任せられるか、行くぞ!!」
階段方向へと走り出した僕等に、背後から政府員が叫ぶ。
「充分気を付けるんだぞ、二人共!何かあったらとにかく大声で呼ぶんだ。すぐ助けに行くからな!」「OK!」「分かりました!!」




