83章 ICU―――六百七十五年・十月八日(六)
“黄の星”の首都、シャバム中央病院。
ピッ、ピッ、ピッ……。
硝子張りの集中治療室。そこには三日前まであれ程元気だった副聖王、エルシェンカさんが真っ白なシーツに腹部より下を包まれて眠っていた。胸や両腕には痛々しい包帯。中央にデンと置かれた病床の隣では、心電図が未だ弱い生命の鼓動を伝えている。極め付けは口の人工呼吸器。医学知識が無い子供でも、予断を許さない容態と言う事ぐらいは理解出来た。
入って来た医師が点滴を付け替え、呼吸器をずらして口内に体温計を挿入する。眺めていると、今度は僕等のいる付き添い部屋のドアが開いた。
「シェニー……今朝もずっといたのか?」
現れた二十代の女性は小さく頷いた後、ええ、こんな事になったのは私のせいだから……、辛そうに呟く。
「それは違う。医者も言ってただろ?お前を庇って身体を捻らなかったら、間違い無く急所を貫かれてたってさ。シェニーはあいつの救いの女神だよ。ほら、もう泣かない泣かない」
零れ出た涙を掬い取り、サッと扇子を扇ぐ。これも魔術なのか、嗅いだ事の無い不思議な香りが辺りに漂う。精神安定効果があるらしく、フィアンセのえづきが止まる。
「輸血は?」
「さっき無事終わったわ。でも随分変わった親戚ね。来るなりシーツを剥いで、エルシェンカ様を引っ繰り返し始めたんだもの」
「何か言ってた?」
「『少なくとも今日明日中は怪我しないだろう』って、一言だけ。輸血が始まった時も、身内相手なのに何も喋らなくて……ああ。だけど帰り際、エルシェンカ様がうっすら目を開けたの」
顎に指を当て、困惑の表情で続ける。
「『今年は大通りの「パティスリーローマ」のパンプキンパイが美味しいらしい』、とだけ仰ってまた眠ったの。それからまだ一度も目を覚ましてないわ」
パンプキンパイ?一体どう言う関係者なんだ?それに彼に対する態度も謎極まりない。あ……よく見たらエルシェンカさん、うっすらだけど笑ってる?
「如何にもあの二人らしいな。電話した時は聖樹が出て、もう駄目かと思ったんだが。頼んでみるもんだな」
ぽんぽん。彼女の肩を叩く。
「ありがとシェニー。あ、悪い!ラブレから電話だ。すぐ戻る」
そう断って携帯を持ち、部屋を出て行く。その後ろ姿を心配そうに見つめた婚約者は、ゆっくり僕等へ振り返った。
「まだ子供なのに、あなた達も事件関係者?―――そう、一緒に暮らしていた人を……ごめんなさい」
弁当を差し入れていた事といい、想像通り情の深そうな女性だ。あの一見軽薄な政府員が好きになるのも分かる。
「普段はああして巫山戯ているけれど、ジョウンはエルシェンカ様を本当の兄のように慕っているの……あんな取り乱した所見たの、初めて……」
「襲撃された時、彼は何処に?」
「留置所よ。でも反省はともかく退屈してたのね。制御装置を自力で外して、エルシェンカ様の行動をずっと魔術で観察していたみたい。―――襲われたのは、ジョウンの家へ行く林の手前よ。彼の事について少し立ち話をしていて……周りにも何人か通り掛かりはいたわ。でもあの方のいた背後には凶器の薔薇以外、本当に誰もいなかったの」
こっちは薔薇か。棘がある分凶悪で、余計に殺意を感じさせる。
「ジョウンは異変にすぐ気付いて牢屋を飛び出し、ひたすらあの方に縋り付いて叫んだの」
―――嘘だろ?大方俺を驚かすためのドッキリなんだろ?早く看板とプロデューサーを出してくれ!確かに俺は万年サボりだし、始末書すらろくすっぽ書かないうつけ者だが、こんな笑えないジョークを仕掛けるなんてあんまりだ!!
―――なあエル、頼むから目を開けてくれ!全部俺を懲らしめるための嘘だと言ってくれ!大体非常識だ、こんな綺麗な薔薇に襲われるなんてさ!?そりゃお前は自然主義者じゃないし、執務室に花も飾らない無風流だが、ここまで恨まれる筋合いは無い筈だ!!!
ぎゅっ。回想を口にしたシェニーさんは、自らも園芸に携わる細い拳を握り締めた。
「だからせめて、ジョウンの代わりに私が付いているの。彼が犯人逮捕に全力を注げるように……」
決意を口にし、頭を下げる。
「だからお願い。あなた達は彼が間違いを、エルシェンカ様との約束を破らないか傍で見てあげて。あの強大な魔力で犯人を傷付け、殺めてしまわないように……」
「分かりました。出来る限りの事はします」
「ありがとう」
バタン。丁度当人が戻って来た。
「壬堂夫人の意識が戻ったそうだ。今息子さんに付き添われて事情を説明されてるが、相当ショックを受けているらしい」
「そりゃあな。ところでチーかま、どうしてあの家に?タイミング良過ぎだろ」
「エルの執務デスクを漁って、古い書類を見つけたんだ。その消されてない名前の一番上が今朝の被害者、壬堂 文斗だった。簡単な話さ」
抹消された名前達……まさかそれって!?
「強行課の名簿、ですか?」
「何!?」
「流石ハイネ君、鋭い!タイトルは無かったが、恐らく十中八九そうだ。ただ既に殆ど×印が付いてて、壬堂さん含め残りはたった五人。しかも一人は知ってる奴だ」
「お前を散々追い掛け回した、変態ゴリラ野郎か―――ん、どうした?俺の顔に何か付いてるか?」
「べっつにー」
連れていた手下を含めると、人数的にもピッタリだ。そう言えば、ホテルに逃げ込んでから一切姿を見ていない。
「ジョウンさん。バントレー達はもうこっちに戻っているんですか?」
街で鉢合わせしたら困るな、と思いつつ尋ねるが、彼からは予期せぬ答えが返って来た。
「それがデスクにあった番号に掛けても、どうも携帯の電源が落ちてるみたいなんだ。ハイネ君が撒いたのは確か、昨日の昼前だったか?それ以降は遭遇……してないと。分かった、まぁ奴等はどーせ俺をボスとは認めんだろうし、しばらく放っとこう」
「いいのかよ、そんなんで……」
呆れる親友。と、ここでシェニーさんが掌を合わせながら言った。
「ジョウン、そろそろ行って。グズグズしていると、またエルシェンカ様に怒られちゃうわよ?」
「ああ……そうだな。じゃ行って来るぞ、エル」
そう言って、硝子の向こうで眠る上司に敬礼する部下。その瞳は潤んだ上、白目が赤くなっていた。




