81章 穢された祈り―――六百七十五年・十月八日(四)
二部屋で構成された二階はしんとしていた。住人が向かって右側の扉をノックする。
コンコン。「父さん、起きてるか?また感謝の花が来てるぞ。今度は綺麗な蘭だ。開けていいか?」
動物的な呻き声を合図に、先輩はノブを回した。
几帳面な性格らしく、部屋はきちんと片付けられていた。左右四つの本棚はどれも一杯だ。ジャンルは犯罪心理学や児童心理学、刑法にノンフィクションの犯罪ドキュメンタリー。それに、超能力?治安関係の資料が主かと思いきや、棚の半分を占めるこの分野は余りに異色だ。スプーン曲げに透視、サイコメトリー……しかも今時子供でも阿呆らしくて読まない、如何にも眉唾なタイトルばかり。確かに『呪われた子供達』は異能を持っているようだが、それはあくまでウイルスのせいだ。こう言うのとは少し毛並みが違うと思う。
小母さんの言っていた新しい壁紙は、シックなベージュ色だった。落ち着いた部屋の雰囲気に良く合っている。
薄手の紺色のカーテンを閉め切った薄暗い中。書斎の主は奥の窓際、据え付けられたベッドに蹲っていた。頭を抱え、酷く苦しそうだ。そのせいで身の回りの事も出来ないのか、髪にはフケが浮き出、髭も伸び放題になっている。
「ハイネ、済まん。取り敢えずそこにでも置いておいてくれ」
言われた通り、ドアのすぐ傍に鉢を下ろす。重かったのに腕は全く疲れていない。一日中でも抱えていられそうだった。
「紹介するよ、父さん。前に話した後輩のハイネとロウだ」
「初めまして壬堂さん」「ども」
揃って挨拶すると、ようやく彼はこちらへ視線を向けてくれた。
「実は僕の亡くなった母が昔、この家で住んでいたそうなんです。それをつい最近父から聞いて、それで朝早くお邪魔させてもらいました」
「ボケ、違うだろ!」ガンッ!「ぎゃっ!」
背中に容赦無い突っ込みチョップが入る。痛い!
「あいてて……」
「それは下のオバハン用だっつーの。―――おい、親父さん。俺達は『呪われた子供達』について聞きに来たんだ。あんた、奴等に狙われてるのか?洗い浚い喋ってくれたら、ここよりもっと安全な隠れ場所に連れてってやるよ」
自宅の事か?成程。ベストではないが、あそこなら取り敢えずは大丈夫だろう。
「君達は……あの悪魔共を、知っているのか……?」
「まあな」
ほぼ何も知らないに等しいのに、ロウは自信たっぷりに答えた。そのハッタリの巧さは賞賛に値する。
「けどあんた、手前の命がヤバいならどうして勤務先に相談しないんだ?警察よりよっぽど頼りになるだろ、聖族政府なら」
すると、壬堂氏はただでさえ丸い背中を更に丸め、見えない何かから身を守ろうとした。
「奴等は……間違い無く化物だ。『S』捕縛作戦の夜も、そうだった……」
「『S』?それって、『Dr.スカーレット』の事ですか?」
「え!?」
驚く息子を隣に、父親はゆっくり立ち上がった後、重々しく頷く。
「ああ……そうだ。だが、悪魔は再び解き放たれてしまった。奴等を捕まえようとすれば、彼女の二の舞だ……そして、あの地獄が今度は……うぅぅっ!!」
「父さん!?」
先輩に肩を支えられながら、どうにかベッドの縁に腰を下ろす。
「君達はまだ若い、奴等に関わってはいけない……あの夜、あいつ等は同僚達を次々と葬り去った。純真無垢な顔のまま恐るべき力を揮い……最早、悪魔の化身としか……!」
「ハイネ、蘭をこっちへ持って来てくれ。―――ほら父さん、良い匂いだろう?とにかく落ち着くんだ。ゆっくり深呼吸して」
鉢を壬堂氏の足元へ置いた瞬間、花弁が微かに開いた気がした。錯覚か?
ようやく贈り物の存在に気付いたのか、食い入るように見つめる大人。
「花、か……差出人は?」
「それは書いていなかったが、こんな立派な蘭だ。余程父さんに恩義を感じている人に違いないよ」
先輩は根元に挿してあったメッセージカードを抜き、裏を確認する。
「―――ほら、『ホーム』だってさ。老人施設かな?」「部長!!!」
僕より一瞬早く反応したロウが、咄嗟に先輩の襟を掴んで後退させた。次の瞬間。蘭から伸びた鋭い葉が、逃げ遅れた手の甲と彼の父親を、
ブシャッッ!!!!
有り得ない速度と伸縮で襲い掛かった、美しき花弁と茎葉。鋭いそれらに背中と腹の至る所を貫かれ、壬堂氏は瞬時に絶命した。口から滴り落ちた血液が頬に掛かり、先輩がショックで白目を剥いて倒れる。
(蘭を、植物を操る……これって、まさか!?)
「見つけた!待て、『ディライト・ビリジアン』!!」
カーテンを開け放ち、窓際で答えを叫ぶ獣人。素早くクレセント錠を開け、一気に道路へ跳び降りた!!おいおい、ここ二階だぞ!!?
こちらの心配を他所に、親友は捻挫もせず無事着地。そのまま前方五十メートルの不審者、黒いフルフェイスとライダースーツの人物を拘束するために全速力で走り出す。追跡者を認め、犯人は反対側へ。その先には細身に似合わない、厳つい黒のバイクが停まっていた。
ブロロロッ!!「くそっ、待ちやがれっ!!」
惜しい!後一歩の所で大型二輪が発進し、『緑』は商店街方面へ逃走。幾ら親友の脚が速くても、ガソリンを燃料に唸りを上げる機械には到底敵わなかった。
「はぁ……はぁっ、くそっ!!あんにゃろ……!!」
拘束失敗を確認し、残された僕は改めて部屋の惨状を観察した。
「変な音がしたけれど、どうしたの?――――あっ……」バタッ!「小母さん!?」
遺体を避け、廊下で卒倒した彼女を抱え起こす。少し考えてから階段を降り、リビングのソファへ寝かせた。せめて警察が来るまではそっとしておこう……。
改めて現場へ戻ると、荒ぶる蘭の攻撃は硬いコンクリートの壁にまで及んでいた。一撃に破れたのか、折角の新しい壁紙が剥がれかけていた。その下に赤いクレヨンの線を見つけ、そっと捲ってみる。
如何にも子供らしい下手な絵だ。三人の少女が一直線に手を繋ぎ、ニコニコ笑っている。
―――ずっとお姉ちゃん達と一緒にいられますように。アニー―――「母、さん……?」
思わず絵に手を当て幼き温もりを、病床の願いを感じ取ろうとする。
「くっ!『ディライト・ビリジアン』め……選りにも選って、この家を殺人現場にするなんて……!!」ガンッ!怒りに震える拳を床に叩き付ける。「絶対赦せない……!御免、母さん……」
絵から手を離し、微かに湯気の立ち昇る遺体と凶器の検分に移る。
殺人植物はすっかり殺意を失い、不自然に伸びた部位は無理が祟って早くも所々枯れかけていた。陶器の鉢も内部の圧力に負け、包装紙の内側で粉々になっている。肝心の壬堂さんは……改めて見ても酷い状態だ。ただでさえ血塗れだが、身体中を貫いた茎を抜いたら、多分更に大量出血してしまうだろう。可哀相だが、このままにしておくしかない。
(僕等がこの蘭さえ部屋に持ち込まなければ……いや)
もし屋外にいた殺人犯が五分前、まだ僕等がリビングにいる時に力を発動していたら……身震いをどうにか止め、せめて黙祷を捧げた。
それに当の本人はまだ、自分が死んだ事にすら気付いていないかもしれない。それ程常軌を逸した早業だった。先輩を助けられたのは、正に奇跡としか言いようが無い。
(とにかく、警察か政府を呼ぶ前に手掛かりを見つけないと)
故人には悪いが、僕等は元々そのために来たのだ。壬堂氏の性格から推察するに、日記か何か書き残していそうだけど、
「離せ!一人で歩ける!!」
怒鳴り声を上げ、獲物を逃がした親友が階段を昇ってくる。が、何故か足音は一つではなかった。
「よう」「ジョウンさん!?」
怠け者の政府員は相変わらずへらへらと掴んだ手を離して挨拶したが、その目は全く笑っていなかった。




