80章 実家―――六百七十五年・十月八日(三)
朝食後三人で店を片付け、先輩の案内で彼の家へ。
「あれ、この先は……」
「?どうしたハイネ?」
僕の漏らした呟きに、神経過敏気味の部長が振り返る。
「思い過ごしかもしれないですけど、家の住所を訊いてもいいですか?」
「ん?北地区西四十四番地だが―――は?母親の実家、なのか?確かにうちは中古物件だが、偶然って恐ろしいな」
全くだ。
「けど、それなら好都合だ。母さんはあの家を結構気に入ってる。元の持ち主の息子だと言えば、喜んで色々案内してくれるだろう」
「助かります。と言っても、僕自身は一度も住んだ事無いんですけどね」
結婚前に母方の祖父母は相次いで亡くなり、母も僕を産んで少しして死んでしまった。もしかしたら一度ぐらい連れて行かれたのかもしれないが、当然記憶は無い。
「ふーん、お前の家か。楽しみだな」
そんな話をしつつ、白く塗られた壁の一戸建てに到着。お父さんのいる二階は、あそこかな?事前説明通りカーテンが閉まり、中の様子を窺い知る事は出来ない。
「じゃあ二人共、行くぞ。―――ただいま、母さん」ガチャッ。
綺麗に磨かれた玄関に入ると、右側の部屋から柔和な雰囲気の女性が現れた。四十代後半の彼女は、目元と鼻の形が先輩そっくりだ。
「あら、お帰りなさい恵ちゃん」
「後輩の前でちゃん付けは止めてくれよ、母さん」照れ臭そうに頭を掻く。「紹介するよ。同じ部活の三つ下で、ロウとハイネだ。今道中で話してたんだが、どうもハイネの亡くなった母親がこの家の前の住人らしい。ちょっとあちこち見せてやってくれないか?」
「まあ、本当!?」目尻を下げ、「ここは本当に素晴らしいお宅よ。リフォームした所って言えば、お父さんの書斎の壁紙ぐらいだし。立ち話も何だわ、さあ上がって!」
廊下を歩きながら、お風呂場もトイレもセンスが良い上に大事に使われててね、買ってまだ六年だけどそのままなのよ、本当に嬉しそうに話す。その後、すぐ後ろにいる息子へ視線を移した。
「でも恵ちゃん。来年は受験だし、バイトも程々にね」
「大丈夫だって。ちゃんと塾に通って成績も上がってるだろ」
恋人に会いたい一心で、か。部では素振りすら見せないが、先輩も色々苦労しているんだな。
一通り一階を案内された後、僕等はリビングへ。普段からそうらしく、居間は綺麗に片付けられ、フローリングにもワックスが掛かってピカピカだった。
「どう?懐かしい?」
「いえ、生憎僕自身は物心付く前から父と転勤生活を送っていたので、一度もこちらを訪ねた事は無いんです。でも、想像通りの素敵な家ですね」
「ありがとう。ハイネ君だったっけ?折角同じ街に住んでいるんですもの、また何時でもいらして。そうだ、お茶を淹れるわ。そっちの僕も座って頂戴」
キッチンへ行きかけた彼女を、いえ、この後行く場所があるのでお構いなく、そう呼び止める。
「ところで母の私室は二階だったらしいんですが、そちらも見て来ていいですか?」
これはちょっとした嘘だ。実際は何処を使っていたのかなど知らない。しかし子供の頃から病弱だと聞いていたので多分、先程見せられた壬堂夫人の部屋だろう。スペースの広いあそこなら、隣で祖父か祖母が看病出来た筈だ。
「二階……多分それって、お父さんの部屋よね……?どうしようかしら、恵ちゃ―――はーい!」
インターフォンの呼び出し音に、お母さんはパタパタと玄関へ向かう。しばらくして戻って来た両腕には、綺麗な白い蘭の植木鉢が。
「お父さんにだって。立派な蘭ねえ。何処に置こうかしら?」
「親父の書斎でいいんじゃないか?リビングにはもうあいつがいるし、他の部屋も何かしらで埋まってる」
窓際で葉を大きく広げた椰子の鉢を指差しながら、息子が提案する。
「そうね。花を見れば、お父さんも少しは気が晴れるかも……じゃあ悪いけど恵ちゃん、持って行ってくれる?君達もついでに上がるといいわ」
「分かりました。あ、先輩。僕が持ちますよ」
三節棍を親友に預け、よっと。『スカーレット・ロンド』のお陰か、余裕で持ち上げられた。
「へえ、細い腕してるのに意外と力持ちなんだな。あ、そこ段差あるぞ。気を付けろよ」
「はい」
「降りて来たら、皆でお茶にしましょう。美味しいマドレーヌを貰っているの」
「気を遣わせてすいません、小母さん」ロウが頭を軽く下げた。
木の床の螺旋階段を部長、僕、親友の順に登って行く。
「こう言ったお礼はよく届くんですか?」
根元に刺さったメッセージカードには、『壬堂 文斗様へ その節は大変お世話になりました』と流暢な字で書かれている。
「時々な。差出人の名前が無いのは初めてだが」
成程、色々な人から感謝されているんだな。そんな人を狙うなんて、『呪われた子供達』め。一体何が目的なんだ?




