79章 陸の歌姫亭―――六百七十五年・十月八日(二)
まだ床に着いていた虎老に断りケージごとミーコを預け、僕等は一路北通りへ。早朝と言う事もあり、ラブレ唯一のバーストリートは人通りが無かった。
「もう少し行けばある筈だぜ。にしても何でその格好なんだよ?」
白いパーカーに髑髏のプリントシャツ、ジーンズと如何にもチャラい親友に対し、僕は昨日と同じ蒼い長袍。荷物入れの鞄の他、一応三節棍も持参している。
「服ぐらい貸してやるのに。却って目立たないか、それ?」
「でも学生にも見えないだろ?大丈夫、仮令見つかっても巧く逃げるよ」
彼の首にはお守り代わりか、例の金弾のペンダントがぶら下がっていた。軽口を叩いているが、内心かなり不安なのだろう。確かに潜伏時と異なり、現在『ホーム』に出入りする理事長先生はやや危険な状態だ。
幸い、迷う事無くバー『セイレーン』へ到着。営業時間は夜の十一時から朝六時までとなっているが、こんな所に未成年の先輩が?
コンコン。「壬堂部長?ハイネです。いらっしゃいますか?」「ああ、丁度良かった。鍵は開けてあるから入って来てくれ」「はい」ガチャッ。
カウンターには店名になぞらえてか、水夫の制服を着た壬堂先輩が立っていた。その背後には整然と並ぶ数百本のアルコールボトル。巧みに角度を調節された間接照明に因って、瓶はキラキラと輝いている。
「休日の朝早くに悪いな、二人共。特にハイネ、街中に現れて大丈夫なのか?あと、その格好は?」
「変装です。どうですか、ちゃんと旅の武芸者に見えます?」
「ああ、かなり童顔だけどな。取り敢えずそこに座ってくれ。もうすぐマスターが―――ああ、来た来た」
店の奥から現れたのは、二十代前半の綺麗な女性だ。ラメの青いネイルをした両手の皿には、ほかほかの焼き立てパンケーキが三枚ずつ乗っている。
「お待たせ。へえ、君達が例の後輩か。恵からいつも噂は聞いているわ」
「ハイネ、彼女は声楽部のOBだ。ロウは知っているよな?」
「ああ、写真の……へー、実物の方が美人じゃん」
「だろ?」
「もう、恵ってば」
あれ、この反応は若しや……先輩も隅に置けないなあ。
「縁があって、休日前夜はいつもここでバイトしているんだ」
「初めまして」「ども」
カウンターの丸椅子に腰掛け、揃って頭を下げる。もっとフランクでいいのよ、ここ酒場なんだし、OBが苦笑しながら言う。
「マスター、無理言って済まなかった。施錠は俺がしとくから、先に帰って休んでてくれ」
「内緒の話?」
「父さんの事でちょっとな」
数秒間、二人の間で熱っぽい視線が交差する。
「場所貸してくれて感謝するよ」
「ううん。じゃあお先」
店主は手を振り、裏口から外へ出て行く。見送った先輩は、奥から残り物と思しきカルボナーラを手に戻り、僕等と向かい合わせで着席した。
蜂蜜とバターのたっぷり掛かったパンケーキの美味しさに、思わず頬が落ちそうだ。これが食べられるなら、今度は普通に営業時間に来てもいいな。
「でも、こんな所でバイトして大丈夫なんですか?」
「ああ。校則でも特に禁止されていないしな。自由放任主義なんだよ、うちの学園は基本的に。珍しいか?」
「ええ。色々な星を回ってきましたが、居酒屋OKと言うのは初めて聞きました。ところで、どうして海が無いのに店名が『セイレーン』なんですか?」
「単なるマスターの洒落だよ。かの精霊が船を沈めるように、この店は客を沈めるってな。彼女の趣味で結構強い酒を置いてるから、強ち間違ってはいない」
「スピリタスにウォッカ、ジン……確かに、油断してるとあっと言う間に潰されそうだな」
冷静な分析に、先輩が片眉を上げる。
「ほう、詳しいな。何か飲んでるのか?」
「偶に爺さんから焼酎の湯割りを貰うぐらいだよ。それより部長、肝心の親父さんは今何処に?」
「家だ。ここにお前達を呼んだのは、行く前に一通り事情を説明するためだ」
先輩はパスタをフォークでくるくる巻き、徹夜明けの胃に入れ始める。
「―――父さんはここ三ヶ月、家から一歩も出ていない。正確には違うが、まあ所謂引き籠もりって奴に近い」
いきなりとんでもない告白が飛び出した。驚き絶句する僕に対し、親友は躊躇い無く応答する。
「ヒッキー?おいおい、職場でパワハラでもされたのか親父さん?メンタル弱えな」
「こらロウ!?済みません壬堂先輩!ほら、謝れ!!」
元虐められっ子とは思えない無配慮な発言に、しかし部長は自虐的に微笑んだ。
「いいんだハイネ。傍目から見れば全くその通りだからな―――ただ、原因は窓際族じゃない。そもそも父さんは支部長で上司はいない。虐められようが無いんだ」
「支部?」
「ああ、聖族政府ラブレ支部駐在所のな。同僚の人の話だとどうも籠もる数日前、父さんのデスクに元上司だった人の訃報が入ったらしい。確か……キョウコウカ、とか言う部署の」
「「!!?」」
僕を拘束しに来た、あのバントレーと同じ……偶然、なのか?
「実は俺もハイネと同じ元転校生で、六年前まではシャバムにいたんだ。彼女ともそっちで家族ぐるみの付き合いをしていたんだが、引っ越ししてからはずっと疎遠になっていた」
「それはショックでしょうね。でも、流石に三ヶ月も引き摺るのはちょっと異常です」
死因は何だろう?単なる事故?それとも……。
「ああ。しかも自室に鍵を掛けてカーテンを閉め切り、一日中座り込んでブツブツ独り言を呟いている。母さんとも話し合って、何度か精神科に連れて行こうとしたが無理だった」
「それ、フツーにヤバいだろ。何時首吊ってもおかしくな、あいてっ!!」
後頭部を殴った手で先輩の淹れてくれたホットコーヒーを取り、一口啜る。
「本当に済みません。で、その独り言の中に『呪われた子供達』が?」
「流石ハイネは話が早くて助かる。その通りだ。一昨日訊かれた時は耳を疑ったよ。帰宅後に扉越しで父さんへ話して、ようやく確信が行った」
パスタの最後の一口を啜り込み、後輩相手に頭を下げる。
「―――頼む!父さんはそいつ等に怯えて、家から出られなくなったに違いない。何とか事情を聞き出して、彼を保護してくれ!!」
こうまで期待されてしまっては、とても嫌とは言えない。僕等は揃って強く頷いた。




