77章 準備風景――ー八百年・二月(四)
誕生会まで残り三日となり、食堂での準備は順調に進んでいた。
「よいしょ、よいしょ」
妹はせっせと色とりどりの折り紙を輪にし、飾り付けのチェーンを作成中。その隣でレイも倉庫に眠っていた王家伝来品、やたらに重い銀の燭台を磨き上げている。会場である大広間では今頃、衛兵が数十年来の汚れの溜まったシャンデリアを磨いている真っ最中だろう。その作業が終わるまで、総勢四十人近くなった合唱部隊も一時解散中だ。
「こんな所、リリア?」
「くーん」
「ええ。初めてにしては上手ね。これなら巧く焼けそう」
そう言ってクリーム色の生地が入ったボウルを二、三度ヘラで混ぜ、皇女は自身のチョコレート生地と共にキッチンへ。オーブンで焼いた上から秘伝シロップをたっぷり掛け、三日三晩馴染ませた土台。そしてこれまたシロップ漬けのドライフルーツを大量に乗せるのが、代々伝わるクオル王国流ケーキらしい(想像だけでゲロ甘)。しかも客人が多いため、今日中に後十個分の仕込みをする予定。誕生会前日にはローストターキーも大量焼きすると言うし、当分オーブンは使用不可だ。
「はい、次よ」
「はいはい」
卵を割り、計量器で量り取った砂糖と混ぜる。後付け説明になるけれど、実は目の前のテーブルは生地作りの材料が潤沢に準備されていたりする。薄力粉と砂糖の袋は山積み。籠盛りの卵の隣に、バニラエッセンスの瓶もスタンバイ。溶かし作業を省くため、チョコレートとバターは大分前から暖炉の前で温められていた。
「ちょっと腕疲れた。これ終わったら交代してもいい?」キィン!カンカンッ!!「毎日よくやるあの二人のどちらかと」
指差した結露済みの窓の外。那美と名無しの彼女は、今日も飽きもせず模擬戦闘を繰り返していた。
最初の一週間はアルバイターの方がやや劣勢だったが、持ち前の負けん気でメキメキ腕を上げ、今はほぼ互角だ。尤も四天使の部下が本気を出していれば、の話だが。
ボウルを抱えたまま窓辺に寄り、硝子を半分押し上げた。冷気が温まった室内に入り込み、近くにいたレイが身を震わせる。
「ねえ、二人共!?何か賭けた方が張り合いあると思わない?今日負けた方は、私の代わりにリリアのケーキ作りを手伝うってのはどう?すっごく腕が疲れる事請け合いだよ」
「ほう。それは良い筋肉トレーニングになりそうだ」
ハルバートを構えたまま人形が興味ありげに頷くと、余裕なんて消し飛ぶと思いますよ、アルバイターがげんなり呟いた。
「大学時代にクリスマス商戦真っ只中のケーキ屋へ行きましたが、生地の混ぜ過ぎで右腕がしばらく使い物にならなくなりました。二度とあんな大変な思いはしたくありません」
「なら決まりだな。女王、この訓練が終わり次第、私が代わろう」おや、意外にあっさり押し付けられた。「では行くぞ、宝殿」
「私、本当にあなたのためを思って忠告しているんですよ?それに今ダウンされたら、私がここへ来る目的が半分無くなってしまいます」正直者め。「尤もあなたの事ですから、利き腕程度ではハンデにもならないんでしょうけど」
「そんな事は無いさ」
「でも……そうなったあなたが、次にどんな戦い方をするのかには凄く興味有ります」
訳の分からない理屈まで振り翳し始めた。思ったのだが、この暴力女に下手にライバルを与えるのは危険極まりないのではなかろうか?
バシッ!氷点下の中、拳を掌に叩き付ける鬼憑き。再び降り始めた粉雪が頬に触れた途端、シュウゥ……放出される体熱で瞬時に蒸発した。
「貴殿は生来からの戦士だな」文字通り『狂』の付くね。「そうまでして、一体何を狩る?」
「弱き善人を踏み躙る卑劣な犯罪者を」
「それは結構な事だ」
彼女には珍しく、心底愉快そうに笑む。
「では、私との訓練が少しでも役に立つ事を祈ろう」
「感謝します」
ふと物音に気付いて振り返る。勝負特有の雰囲気に、妹達が興味深々で窓辺に椅子を移動させ始めていた。
「セミア、今どれ位?」
「後半分って所かな」
極寒耐性付与乳ドレス巨人女は、そう言って鋏を置いた。
「そろそろアスの方も掃除が終わる頃じゃない?先生は?」
「お兄ちゃんとご飯。“環紗”でお寿司だって」
―――ほらイスラフィール。取らないと何時まで経っても食べられないぞ。
―――は、はあ……。
そろそろと手を伸ばし、部下はどうにか落とさずにテーブルへ移動させた。そのささやかな成功を微笑ましげに見つめる上司。
―――ところで主よ。何故この店では、料理が座席を回っているのです?
まさか無限にお金を創り出せる大父神様が、一皿ウン百の回転寿司屋にいるとは誰も思うまい。針が振り切れて完全に遊びモードだ、あの兄。にしても選りに選って同じく初心者、しかも自分より数段不器用者を連れて行かなくても。せめて残りの二天使がいる時に出掛ければいいのに。
「いいなー。私達も今度行こうよ、ねえレイ?」
「あ、ああ……そう、だな」
時価の店なんて入った事無えぞ、きっと馬鹿みたいに高いんだろうなあ、表情に台詞を付けるまでもない。王族のくせにまるっきり庶民感覚だ。シスカももう少し子供達に贅沢させておいてくれれば良かったものを。何だかんだで五回は行った私が思うに、何事も経験は必要だ。変に期待しないで済む。
「―――けど、クランとだったらその内行ってもいいな」
意味ありげな台詞は当然無視し、始まるよ、私は雪上の決闘へ目を向けた。




