76章 吉報、或いは凶報―――六百七十五年・十月七日(十五)
布団を別にしたいのは山々だったが、生憎部屋に寝具は一組しか無かった(一人暮らしなら当然か)。替えの毛布はあったので床で寝ると提案したら、親友はあからさまに嫌がった。だって狭いだろうと抗議すると、ならホテルでも何処でも行けよ貧乏人、喧嘩を売られた。理不尽だ。
仕方なくベッドに掃除機を掛けまくった後、粘着テープで念入りに毛を取り除いて横になる。さり気なく真ん中へミーコを寝かせ、防壁とする事も忘れない。
「狭え」
「ほら。だから人がせっかく譲歩してやったのに」
「なあ、ミーコどけてもっと寄ってもいいだろ?」
「却下。お休み」
奴に背中を向け、暗闇の中で目を閉じる。Tシャツとハーフパンツが多少ゴワゴワするけど、借り物だし我慢しよう。
十分程経っただろうか。僕が眠ったと判断したのか、獣人が起き上がる気配がした。
「ふにゃ?」「シッ。良い子だ」
夢現の白猫を宥め、ベッド下のケージへ入れる音がした。障害物を排除した奴は、徐に毛むじゃくらの両腕を伸ばしてくる。重い。
「止めろ。抱き着くな」
「いいじゃないか。大体転がり込んできたのはそっちだぞ?」
「変態。僕は眠いんだ。明日からまた色々調べに行かないといけないし」
夕食後に改めて考えを整理してみたが、矢張り現在のキュー先生が嘘を言っているとはどうしても思えない。取り敢えず朝一で役所へ行き、彼女の戸籍を調べてみるつもりだ。本当なら治療者のルナ小母さんに話を聞くのが一番早いんだろうけど、今行っても政府に通報されるだけだ。でも、どうにか当時のカルテを見られないかな?
「母さんの墓参りしたばかりで寂しいんだよ。慰めてくれ」
「知るか。それ以上やると窓から投げ飛ばすぞ」
シャツ越しに伸びた体毛が当たる(人と寝ているのに半裸とか、こいつどう言うつもりだ!?)。ふわふわしたそれは爽やかな石鹸と、微かだが獣の雄臭さを漂わせていた。
人の腹に手を這わせたケダモノは肩口に顎を乗せ、耳朶を吐息で吹いた。ぞわぞわ~っ!
「うぅ、母さん……」
「そんな泣き真似で誰が絆されるか」
「殴られた傷が疼くよぅ」
「さっき治ったって自分で言ったじゃないか……ちょっと、左手貸して」
真新しい包帯の巻かれた手首へ、かつて友人にしたようにそっと手を当てる。
「……痛いの痛いの飛んでけー」
やった後、妙に照れ臭くなった。彼の腕を戻し、顔を手で覆い隠す。
「御免、これぐらいしか出来なくて……」
輸血すると言えば簡単だが、その苦痛は中学生の身に余る。まして自ら傷つけたとなれば……謝っても謝り切れない。
「ハイネ、お前って奴は」「うん?」「最高だな!!」ぎゅーっ!!「ぎゃああっっ!!!」
しまった、情に絆されて、完全に調子に乗せてしまった!慌てて腕を振り解き、身体を押し退ける。
「止めろ!ベタベタ触って、『スカーレット・ロンド』に感染しても知らないぞ!?」
「今更何言ってんだよ、このツンデレちゃんめ~❤」
脇腹をうりうりされた。くすぐったい!
「それに大丈夫だよ。唾でうつらなかったんだ、多分血液以外はOKだろ」
数秒の沈黙後、咽喉からこれまでに無い奇声が迸った。『スカーレット』も興奮しているのだろうか、頬がカッカし始める。
「ひ、ひ、人の寝込みを襲ったのか!?この畜生!!殺してやる!!!」
ヘラヘラ笑う首を両手で掴み、怒りのまま締め上げようとする。が、向こうも向こうで僕の抵抗を奪おうと腕を伸ばしてくる。まるでレスリングのように組み合うが、腕力は完全に拮抗していた。後はスタミナ勝負だ。
「嘘だ!嘘に決まってる!!僕のファーストキスはキュー先生なんだ!それ以外認めない!!」
現実逃避しなければ、とても精神の安定が保てそうになかった。選りにも選ってこんな毛むくじゃらに、しかも眠っている間に奪われたなんて信じられるか!?
「いやまあ、物の弾みって奴だよ。泣いてるお前可愛いかったし、って殴るな。初い奴め」
「黙れ!!」
笑い震える腹に昨夜以上の威力の蹴りを叩き込むため膝を曲げかけた、その時だ。
プルルルル……。「んだよ、折角良いトコだったのに。―――はい」
不満たらたらにベッドから立ち上がり、テーブルの上の携帯を取る。
(あ、危なかった……毎日これが続いたら、本当に貞操が危ういぞ)
しかし彼は数少ない協力者だ。人前でちょっかい掛けて来なければ、多少は我慢しても……って、そう言う甘い方針だから際限無く付け上がるんだよなあ。
「どうしたんだよ部長、こんな遅くに―――え、本気で?ちょっと待ってくれ、ハイネに代わる。ほい」「わっ!」
だからどうしていちいち投げるんだ!?どうにかキャッチして耳に当てる。
『ハイネ、無事だったのか。今日の事、ロウからもう聞いたか?』
「ええ。僕のせいで大騒ぎだったみたいですね……済みません」
『何、学園生活の退屈を紛らわせる楽しいハプニングだったさ。しかしあいつ、今機嫌悪いのか?』
「さあ?大方成人雑誌でも読んでいる最中だったんじゃないですか?」
戻って来て性懲りも無くセクハラを仕掛ける当人を、手で追い払いながらサラリと答えた。
『済まん、今ちょっと忙しいんだ。手短に用件を言うぞ。―――『呪われた子供達』の情報提供者に会ってくれ。なるべく早く、出来れば明日の朝にでも』「え!?」
意外な依頼に、思わず頓狂な声が出た。慌てて確認する。
「奴等の事を知っているんですか、壬堂先輩!?」
『いや、俺じゃない。知っているのは俺の父、壬堂 文斗だ。街へ出て捕まるリスクがあるのは重々承知している。だが、それを推して頼む。父さんから話を聞き出せるのは多分、事情を知っているお前達だけだ』
突然の有り難い申し出に、しかし僕は厭な予感を覚えた。先輩の声色に、常ならぬ焦燥が混じっていたためだ。
「分かりました。何処に行けばいいですか?」
『助かる。じゃあ朝早いが、七時に北通りの『セイレーン』って店に来てくれ』
「え、でも北通りって確か……」
僕の杞憂を鼻で笑い、心配するな、閉店後に少し場所を借りるだけだ、彼は言った。
『謝礼と言っては何だが、朝飯もこっちで用意する。頼んだぞ』
「はい。では壬堂先輩、また明日」
『あ、それとハイネ』
「?何ですか?」
部長は少し口篭った後、小声でこう告げた。
『そこってロウの家なんだろ。その、決して深い意味は無いんだが―――寝室は別にした方がいいと思うぞ?』せーんーぱーいー!!!『じゃあな、お休み』プツッ。
投げ付けるように携帯を返し、相談内容を伝える。
「その店なら何度か横通った事あるぜ。あの辺りなら朝方は人もいねえし、取り敢えず見つかる心配は無さそうだな。にしてもどうしたよ、誘ってるのか?」
「違う。とっとと寝るから邪魔するんじゃないぞ」
「へいへい」
今度こそ互いに背中を向けてベッドに入り、瞼を閉じる。
「……でも、ちゃんと訊き込んでくれたんだね。ありがと」
「ん?ああ、声楽部はどうにかな。保健医の方も捜したんだが、結局捕まらなかった。正直な話し、仲間の親父が牛耳る場所でそうそう情報が集まるとは思えなかったんだが」
それも良く知る先輩のお父さんがか。取り敢えず質問してみるものだ。
「そう言えば先輩、前に一度家からの電話で帰った事あるよね?ほら、ロウが入部した日」
「ああ。随分急いで出て行ったよな、あの時」
「うん。何せ僕と君の名前を逆に言ったぐらいだ」
「あ?別に間違ってねえだろ。お前じゃ如何にも頼りねえし」
沈黙。
「……お休み」
「あ、不貞腐れただろ今?なあなあ」
「五月蝿い、つべこべ言わず寝ろ!あと触るな!!」
僕は布団を頭まで被り、睡魔を呼び寄せるため無心に羊を数え始めた。




