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72章 狼の隠れ家へ―――六百七十五年・十月七日(十一)



 てっきりアパートかと思いきや、案内された先は一軒の二世帯住宅だった。階同士は分かれているらしく、外に二階への階段が設置されている。


「おーい爺さん、帰ったぞ」「おお、ロウ。お帰り」ガチャッ。


 室内から現れた老人は顔面から首に掛け、黄色と黒のふさふさした体毛、所謂虎毛を生やしていた。隠れていない分、親友よりずっと分かりやすい獣人だ。

「今日は早かったな。ん?そっちの子は?」

「いつも話してる例のダチだよ」

「ハイネ・レヴィアタです。夜分遅く済みません」

「君が?ほう―――ああ、まだ七時だから別に構わんよ。そうだ、猫を連れて来よう」

 猫?

「そいつは後で迎えに来るよ。ハイネ、取り敢えず上がれ」

「うん」

 外階段を昇り、錆の浮いたドアに鍵を挿す。

 電気を点けた瞬間、予想通りの乱雑な一般男子の一室が現れた。しかも、不快ではないが獣臭い。

「そこ座ってろ。食い物あるか見て来る」

 所々灰色の毛が散らばったベッドを指差し、親友はキッチンへ消える。普段裸で寝ているのかあいつは?しかもそこに客人を腰掛けさせるとか……。

 待つだけと言うのも退屈だ。枕の傍に一旦鞄と三節棍を置き、室内に放置された空のカップ麺やペットボトルをゴミ箱に放り込む。次に脱ぎ散らかされた服を拾い集め、洗濯籠へ。最後に邪魔にならない壁へと手荷物を移動させた。

「あ、ヤベ。何も無い」

 背後で非常に不安な一言が聞こえた後、バタバタと発した当人が戻って来る。

「ハイネ、ちょっと待ってろ。今から『取って』来る」

「え?」

 『買って』の聞き間違いか?だがそう思った次の瞬間、彼は部屋を飛び出して行ってしまった。余りのゴーイングマイウェイ振りに溜息が出る。

 と、コンコン。ノックの音がし、先程の虎老人が室内へ。

「あの子はすぐ戻って来るそうじゃ。それまで下で茶でもどうだ?」

「そうですね」

 室外へ出ると、老人が合鍵で施錠。しっかりした足取りで階段を降り、真下の自室へ。

 こちらは幸い、綺麗に掃除が行き届いていた。夕食はまだ作ってもいないらしく、キッチンのコンロには鍋一つ掛かっていない。

 勧められるままちゃぶ台前の座布団に座ると、奥から白い何かがこちらへ寄って来た。


「にゃーお❤」「ミーコ!?」


 躊躇いも無く膝に乗った彼女は髭をピクピクさせ、安心したように丸くなった。いるなら魚肉ソーセージを持ってくれば良かったな。後であげよう。

「昼にロウが連れて来たんじゃ。しばらく学校で飼えなくなったからと言って」

「そう、ですね……では、お爺さんが面倒を?」

「ああ、一度飼ってみたかったしな。あの子が出掛けている間は預かっておるよ。二階へ帰る時、一緒に連れて行くといい」

「ありがとうございます」

 獣同士と言う事もあり、初対面にも関わらずミーコは好々爺に大分懐いているようだ。咽喉をゴロゴロされ、とても気持ち良さげに一声鳴いた。

 もてなしとして出てきたのは、如何にも老人らしいほうじ茶と煎餅だった。熱々のお茶が、食パンだけ入った胃に沁み渡る。

「にしても、あの子が友達を連れて来るなんて初めてじゃな」

「ロウと付き合いは長いんですか?」

「ああ。初めて会ったのは七つの頃だったか。公園で一人泣いていた時に、儂から声を掛けたのがきっかけだ。と言っても精々世間話をしたり、こうして茶菓子を食べさせるぐらいしか出来んかったが……」

 溜息。

「母親が死んでしばらくは特に酷かった。虐めもあり、毎日死んだ魚のような目をして……」

「それは本人から聞きました。身体の事で、ですよね?でも、どうしてお爺さんと一緒に暮らしているんですか?」

「さあな。転校してすぐの頃、荷物を纏めて突然現れたんだ。私が一人暮らしで、二階が長く空いているのを教えていたせいだろう。家賃はいいと言ったんだが、毎月きちんと小遣いから払ってくれている。老体一人では色々困る事もあるんで、正直助かっているよ。ただ、父親に住所を伝えていないのが些か気になるが」

 本当に言ってないんだ。幾ら携帯で連絡可能とは言え、理事長先生もさぞや心配だろう。

 ずずっ。茶を啜り、老人は何故かうっすら微笑んだ。

「―――しかし、あの子はこの一年ですっかり明るくなった。良い友達に恵まれたお陰だな。あの性格だから素直には言わんだろうが、ここではよく自慢しておるんじゃよ?」

「へえ」

 大方弁当が旨いとか、いつも助けてやってるとか、自分を完全に棚に上げた発言なんだろうなあ。

「特に最近は笑顔が増えた。儂も見ているだけで嬉しくて嬉しくて。根は本当に素直で優しい子なんじゃよ?風邪で寝込むと、慣れない手付きで粥を作ってくれたりな」

「は、はぁ……」

「口調がぶっきらぼうで誤解されがちだが、本当に天真爛漫な良い子なんだ。ただ、前の学校の事と家庭事情で精神的に不安定と言うか……はぁ、心配だのう……」

 わざとらしい深い溜息。うわ、これってまさか……。

「お爺さん」

「ん、何かね?」

 目を爛々とさせるな、このペテン獣人共め!

「今の話、完全に仕込みですよね?」

「ああ」

 隠す努力さえせず、あっけらかんと肯定。

「だが嘘は言っていないぞ?とにかく昔からの回復振りをアピールしてくれと頼まれたんだ。実に微笑ましい恋心じゃないか」

 家族同然とは言え、何て爺さんだ!そこは必死で止めるべきだろうに!!

「昨日の朝などニコニコしながら帰って来たぞ。余程君の手料理が美味かったんだろう。今まで見た事が無いぐらいの良い笑顔じゃった。―――ところで先程から気になっていたんだが君、若しや男の子か?」

「正真正銘の男ですよ!」

 今頃気付いたのか、耄碌老人め!

「ははぁ……あー、それで若干口を濁していた訳か。成程。別に隠す事でもあるまいに」

 入れ歯一つ無い口で、醤油煎餅をパリパリ。

「当人同士が良ければ、周りがどうこう言う問題ではない」

「その当人が困っているんです!」

「にゃお?」

 抗議。だが雌猫には首を傾げられ、虎男にはカラカラ笑われた。老人はともかくミーコまで!一度ならず二度までも、この裏切り猫め!!

「まあ、何だ。これからもあの子の事を宜しく頼む。若者らしく血気盛んと言うか、見た目通り危なっかしくてな。誰かしっかりした人に面倒見てもらわんと」

「それぐらいなら……って、その手には乗りませんよ!?」

「チッ」

 舌打ちしたいのはこっちの方だ。

「にしても、ロウの奴は遅いな」

「そうですね」

 親友が出て行って、そろそろ半時間が経とうとしていた。


「一体何処まで買い出しに」バタン!「帰ったぞ!とっとと上がれ!背中と腹がくっつきそうだ!!」


 帰宅するなりそう叫んだ暴君は、何故か背中に二つのビニール袋を背負っていた。

「はいはい」

 苦笑しつつ僕は白猫を抱え、老人に茶の礼を言って部屋を後にした。





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