71章 撤収後―――六百七十五年・十月七日(十)
「申し訳無い、メアリー」
二人を見送った後。おじさんは汚れた背広を私に預け、一緒にママのいる第一研究室へ来るよう言った。
こちらのコンピューターは、A五サイズのノートパソコンが一つきりだ。その代わり第二研究所の数倍の実験器具で埋まっているため、空間面積は然程変わらない。
その一番奥で座る母、メアリー・レイテッドは椅子をこちらに回して肘を着いていた。掌に顎を乗せ、じっとこちらを見つめている。連日の研究で疲れているらしく、目の下にはうっすら隈があった。ただでさえ色白なのに、そのせいで更に病的に見えた。
「レヴィアタ君はまだしも、まさかロウまで『ホーム』へ入り込んでいたとは……完全に私の不手際だ。セキュリティの強化と合わせ、早急に二人を捕縛しなければ」唸る。「ここの事を誰かに話されたら、私達は一巻の終わりだ」
「ハイネ君はそんな事しないわ、おじさん!また来てくれるって言ったもの!!」
「キュー……しかし」
困惑する彼に対し、ママは静かに口を開いた。
「二人揃って逃げたのかい?」
「ええ。真っ直ぐ麓へ走って行きました」
「そうかい―――なら今日が初夜か」
その一言にピキィンッ!!おじさんが石膏みたいに固まる。それを見て一頻り大笑いした後、母は私に向き直った。
「キュー、そのネコ君は確かに『適合者』だったんだね?」
ママは物や人にしばしば変な渾名を付ける癖がある。でも、今回はちょっと安直過ぎやしないかしら?確かにロウ君は彼が大好きなようだったけれど、私と同じく。
「ええ、第二研究室に解析結果があるわ。でもママ、あんな小さな子を……」
覚悟の上とは言え、心が壊れそうだ。だって、ハイネ君を私達は……。
「コンラッド。二人の潜伏先の当ては?」
「恐らくはラブレの何処かにあるロウの住処でしょう。あの子にはランファの件が原因で、一年程前に屋敷を出て行かれたままです。新しい住所も未だ教えてもらえず、一時は探偵を使おうとも思ったのですが……何分毎日元気に登校していたものですから。すぐに捜索します」
「いや、放っておきな。慌てなくてもすぐ来るさ。ね、キュー?」
「うん!」
二人は私を何処かへ連れ出そうとしていた。きっと近い内に再会は叶うだろう、私達の目的も知らずに……。
「そう暗い顔するなよ、愛娘」ニカッ。「安心しな、ネコ君は殺さないよ。『お前の』を作った後は、今度は彼の番だ。何、事情を話せば喜んで協力してくれるさ。優しい子なんだろ?―――なら、そう怖がらなくていい。何なら私がおかしな真似をしないか、ずっと横で見張っていなさい」
「ううん。ママ、疑ってごめんなさい」
頭を下げると、キィッ。立ち上がったママは私の前まで来て、そっと右手を取った。小指同士をしっかりと絡ませる。
「ほら、指切りげんまん―――お前とあの子は、必ず私が治してやる。約束だ」「うん!」
「しかし、本当に放置しておいていいのかメアリー?『スカーレット・ロンド』の危険性は、君が一番よく知って」
「私に二言は無いよ。それよりコンラッド、『あの三人』は本当に仕事で忙しいのか?」
その瞬間、おじさんの顔が明らかに強張った。それを確認し、母は鼻を鳴らす。
「長く投獄されていても、私の目は誤魔化せないぞ?」
「ああ……だがメアリー、あの子達にも感情と言う物が」
「フン。まぁいいさ。だが、私は無意味な人殺しは嫌いだ。美しくない」
「誰も彼も、君みたいに達観出来るとは限らないんだ。あの子達も、本当は以前と同じ穏やかな暮らしを望んでいる。しかし平和を守るには、時に武器を取る事も必要なのかもしれない」
「やれやれ。私がムショにいた十五年間に、娑婆も大層物騒になったもんだ」
後ろから私を抱き締め、嘆息する。
「行こう、キュー。穏健派はとっとと寝ちまうに限る」
「待ってくれ、メアリー!!」
叫んだおじさんは、自分の胸の前で拳を強く握り締める。
「―――確かに私も一時期は、彼等と同じ憎しみを抱いていた……だが、今はただ悲しいんだ。何故君達親子やあの子達が、こうまで苦しまなければならないのか……?」ギリッ。「私はランファもロウも、肝心な時に救ってやれなかった無力な男だ。だからせめて、あなた方だけには最後まで忠義を尽くさせて欲しい」
「おじさん、頭を上げて!」
「全くだ。暑苦しい講釈を垂れるぐらいなら、とっとと街へ戻れ。お前には私達以外にも、大勢頼ってくる餓鬼共がいるだろう?」
その言葉に、ゆっくりとではあるが上半身が引き起こされる。
「……確かに、今の私に出来る事はそれぐらいだな。ありがとう、二人共」
「礼なんて止せやい。その代わり、次来るまでに一つ調べておいてくれ」
「何だ?」
「『適合者』のプロフィール。何故『赤』に適応出来たかを調べたい。先天性か、はたまた後天性か。研究には非常に重要な情報だ」
「分かった。明日の夜には報告を入れる」
ハイネ君の生い立ち、か。私もあの優しい男の子がどんな環境で育ったのか興味ある。後でこっそり見せてもらおうっと。
「そうだ、キュー」
「何?」
「もしあのタチネコ共が現れて相談を持ち掛けられたら、なるべく力になってやりな。―――先生ってのは生徒の悩みを聞いてやるものだからな」
「え!?で、でも……うん、分かった」
幾つになってもママの思考は読めない。でも私の方から協力って、一体どう言う意味?
「じゃ少し早いが、改めてベッドへゴーだ。久し振りにママが子守唄を歌って進ぜよう」
「本当?あ、そうだ」
私はネグリジェのポケットから録音機を取り出す。
「ハイネ君に一曲歌ってもらったの。凄く優しい声なのよ。ママにも是非聴いて欲しいわ」
「へえ、そいつは楽しみだ」トントン、私の背を軽く叩く。「と言う訳で、私達は下がる。お前も適当に休めよ、コンラッド」
「お休みなさい、おじさん」
「ああ。二人共、良い夢を」
私達は昔通り互いに手を振り合い、就寝の挨拶を交わした。




