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70章 空を舞う逃走者達―――六百七十五年・十月七日(九)




 ガンッ!「ぐっ!?」


 完全に無警戒だった背面からの衝撃に、理事長先生が僕の方へ倒れ込む。攻撃者と思われる黒ずくめは彼を跨いで跳躍。呆気に取られて臨戦体勢を解いた僕の首根っこを掴み、更に高くジャンプした。


「わっ!!?」「こら、暴れるな!!」


 向かい風が吹いた拍子にフードが脱げ、一日半振りの見慣れた顔が現れた。

「ううっ……ま、待ちなさいロウ……!」

 呻いたままうつ伏せに倒れた父親は、それでもどうにか力を振り絞って手を伸ばそうとする。可哀相なのは彼のスーツで、高級な布地にくっきりと見事な足跡が残っていた。

「待てと言われて誰が待つか!?今の内だ、逃げるぞ!!」

「あ、うん!」

 地面に降り立つと、家族を介抱しようと近付いてきたキュー先生と目が合う。彼女は一度大きく頷き、ポイッ!学生鞄を投げ渡してくれた。

「間に合って良かった!行って、ハイネ君。おじさんは私が手当てしておくから」

「宜しくお願いします」

 そう頼み、棍を持っていない方の手を上げた。


「今夜は冷えそうですけど、暖かくしてゆっくり休んで下さいね!」「またな、先公」「会いに来てくれてありがと、二人共!じゃあお休みなさい!!」


 手を振りながら親友が蹴り開けた門を潜り、坂道を駆け降りる。身体能力が上がったせいか、獣人の脚力にも楽に付いて行けた。

「追っ手は!?」

「無し!けど油断するな。まだ船着場であいつの仲間が待ち伏せしているかもしれねえ」

 幸い、ラブレ方面への船が丁度乗り場に来ていた。改札に怪しい人間がいないか確認し、素早く乗り込む。ボックス席に向かい合って座り、再度周囲を点検してようやく一息吐けた。


「あっぶねえ!親父と正面切って戦うとかアホだろ!?」「へ?」


 憤慨した親友は言葉を続ける。

「あいつは剣道弓道棒術に槍術、柔道合気道テコンドーカポエラその他諸々、合わせて百段持ちの化物だぞ!?幾ら得体の知れねえウイルスに感染して能力が上がってても、何の訓練もしてない子供が勝てる相手じゃねえっての!」

「知らないよそんなの!大体、ロウこそどうして殺人犯の格好なんてしてるのさ!?昨日いきなり蹴ったのだって」

「あれは……まさか後を付いて来てるなんて思わなかったんだ。だから、どうにか気絶させて連れ帰ろうと……」

「一言言えば済むだろ!痛過ぎて吐いたんだぞあれ!!」

「それこそこっちの台詞だ!手前がかました一撃のお陰で、こちとら半日寝込む羽目に―――っ!またズキズキしてきややがった……最悪」

「自業自得だよ!……って、何時までも喧嘩しててもしょうがないな。御免。動いて大丈夫なの?病院は?」

 掛けられた心配にぽっ、頬を染める奴。ええい変態め!

「行ってない……けど、一日経って大分楽になった。お前の方は?傷は消えてたけど、痛まないのか?」

「ちょっと待て」今のは聞き捨てならない。「何時確認したんだ、それは?」

「えっと、お前のアパートまで背負って運んだだろ?熱出てたから先公に言われた通り、俺の血を飲ませて……その後だな。いや、だって重傷なら手当てしなきゃ如何だろ?別にお前の裸が見たかったとかじゃ」

「当たり前だ。と言うか、血って……」

 左手首に巻かれた包帯を見て絶句する僕に、気にすんなよ、狼少年は視線を逸らした。途端、ぐぅ。「あ」

「腹減った。何か無いのか?」

「あ、こら!?」

 人の鞄を勝手に漁った狼少年は、これ見よがしに食パンを取り出す。

「何だ、持ってるじゃないか。はむはむ」

「許可無く食べるな!」

 悔しかったので、最後の一枚を口に放り込む。味は殆どしないが、昼食以来の食物に胃が喜んで消化を始めた。

「んぐ、美味い!今日食ったのは出掛ける前のクリームパン一個だけだからな、誰かさんのせいで」

「はいはい。僕が悪うございました」

 当分弄る気だな、これは。まぁいいか。

「そう言えばお前、聖族政府に追われてるんだって?壬堂部長から電話あったぞ。奴等、学園に押し掛けて来たらしいじゃねえか。ったく、あのチーかま。人を使うだけ使っといて裏切りやがって」

「ジョウンさんも、だよ。昼間電話したら留置所だった。あいつ等は別組織。強行課って言って、ジョウンさんの上司の命令で動いているみたい」

 窓枠に肘を乗せ、星空を見つつ説明する。

「何だよそれ。仲間割れか?」

「どうも探られたら困る事があるみたいだよ、この事件には。お陰で当分アパートには帰れなくなった」

「なら俺の所に来いよ。あそこなら親父にも知られてないし、こっちも色々話しておきたい事があるんだ。事件の手掛かりになる、な」

 ん?何かが脳裏に引っ掛かる。数秒後、それに気付いて早速尋ねた。

「理事長先生も知らない所に住んでいるの、ロウは?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「ううん、ちょっと気になっただけ……」

 今まではてっきり監視下だから知れたのだと思っていた。だったら昨日の朝、何故彼は息子が僕の部屋を訪問したと知っていたのだろう?

 僕の疑問を他所に、親友は自らが纏ったローブの裾を引っ張る。

「ところで、こいつがアンダースン先公殺しの犯人の服ってのは本気か?」

「よく似たのが街路の防犯カメラに映っていたんだ。それ、一体何処で拾ったの?」

「親父の家。だったら多分本物だな」胸の辺りを撫で、「この辺、何か染み込んでるし」

「何でわざわざ着てきたんだよ、そんな物」下手すれば現行犯逮捕だ。「近くに凶器は無かったの?白くて長い棒状の、材質は動物の骨らしいんだけど」

「いや……無かったな。何せ、何時あいつが帰って来るか分からなくてさ。取り敢えず奴等に変装出来るかと思って、こいつだけ持ち出したんだが」

 自分の家に忍び込むのもどうかと思うけど、父子の間に今ある距離を考えれば仕方ないかもしれなかった。

「とにかく、その服は処分した方がいいね。怪しさ満点な上、多分内側にはもう君の体毛が沢山付いている筈だから」

 ラブレ在住の獣人は恐らく数える程だ。証拠隠滅にはなってしまうが、止むを得ないだろう。

「だな」

 方針が決まった所で、丁度アナウンスが鳴る。僕等は膝の上のパン粉を払い、降りる準備を始めた。



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