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68章 導きと告知―――六百七十五年・十月七日(七)




「ごめんなさい、キュー。私、そろそろ行かなきゃ」「謝らなくていいよ。付きっ切りで看病してくれてありがとう……」


 そうやって家族を見送ってから、また微熱でウトウトと二時間。ドアの開く音に目を覚ますと、入口にはおじさんが立っていた。

「済まない、起こしてしまったかな?」

 ママの忠実な後援者にして私達の父親代わりは、そう言って間接照明の電源をONにした。一瞬後、柔らかなオレンジ色が室内を照らす。

「ううん」首を小さく横にしてから、自分のおでこに触れる。「良かった……熱、やっと下がってくれたみたい」

「それは良かった。水を持って来ようか?」

「大丈夫。自分で行けるから、おじさんはママの様子を見て来て」

 私の『発症』で、きっとこれまで以上に根を詰めている筈だ。自分だって辛いのに……。

「ああ、キューが望むならそうしよう。でもくれぐれも無理は禁物だよ」

「うん」

 再び一人になり、廊下へ出てキッチンへ。ミネラルウォーターを二杯飲んだ後、鍋で作ったホットミルクを持って寝室に戻る。


「ハイネ君、またここへ来てくれるかな……?」


 青空みたいな服に変な棒を持った、私を先生と呼ぶ不思議な男の子。熱に魘されながらも、ずっと彼の顔が頭を離れなかった。

 もう一度会いたい。会って検査しなきゃ……でも、もし『そう』だったら私、一体どうすればいいの?ずっと待ち望んでいたのに……この焼けるような切なさ、もしかして、


「あっ!?」


 窓の外、庭に黒い人影を発見して思わず叫ぶ。昨夜ハイネ君を連れ帰ったランファの息子さんだ!彼があの後どうなったか訊かないと!!

 おじさん達に気付かれないよう足音を消しつつ階段を駆け降り、裏口から外へ飛び出す。カーディガンを着忘れたせいで、少し肌寒い。でも、今はそんな場合じゃない!

 しかし、辺りを見渡した私が出会ったのは黒ずくめの彼ではなく、


「キュー先生!」


 長い間待ち望んでいた―――けれど、決して望んでいなかった『適合者』だった。



 薄いネグリジェ姿の先生は僕の出現に酷く狼狽した後、決然と近付いてきた。

「―――ハイネ君、こっちへ来て」

「え?」

「早く!おじさんやママに見つからない内に」

 手招きされた先は、目の前の邸宅。裏へ回り、ドアの前で何故か彼女は立ち止まった。

「ちょっと待ってて」

 そう言うと突然、前のボタンを外す。頭上からの照明に鎖骨の下、花の形をした痣を露出させる事数秒。


 ピピッ。「ショウゴウカンリョウ。ロックカイジョシマス」カチッ。「さ、入って」ボタンを掛け直しながら促す。


「毎回やっているんですか、今の?」

 突然出された柔肌に動揺しつつ質問する。別荘内は清潔に掃除されていて、とても危険な細菌学者のアジトとは思えなかった。

「入る時だけね。認証システム、って言うらしいわ。このカーネーションを見せないと開かないの。無理に入ろうとすると、『ホーム』中の警報機が作動する仕組みなんだって」

 優雅な邸宅に不釣合いな最新セキュリティ。それだけ警察を、そして聖族政府を警戒していると言う事か。

「じゃあここに出入りする全員、こんな珍しい痣を持っているんですか?」

「ううん。私とママは本物の痣だけど、他の皆はタトゥーよ。昔、私がルーシー叔母さんの所へ行く時に彫ってくれたの。離れていてもずっと一緒だから、って」

 叔母?ルーシーさんは実親の筈。でも先生のこの様子、矢張り洗脳を受けているようには見えない。本気で犯罪者、『Dr.スカーレット』を母と慕っている。でも一応確認しておくか。

「あの、キュー先生。お母さんの名前は何と?」

「メアリー・レイテッドよ。ママは凄いの、頭が良くて何でも知ってる」

 誇らしげな笑顔に、僕は黙って質問を変えるしかなかった。

「じゃあ、ここに子供は何人いますか?」

「私を含めて四人よ。でも留守の間に皆大きくなってて吃驚しちゃった!」

 成程。だとすると、『呪われた子供達』は三人組なのか。万が一にも先生が数に入っていなければ、の話だけど……。

(ん?……あ、そうか!)

 閃いた。アラン先生はこの特徴的なタトゥーを偶然見て、その人が『子供達』の一人と特定したに違いない。こんな珍しい柄、先天的にはそうそう無いから。

 長い廊下を抜け、案内されたのは地下室だ。教室ぐらいの広さだが、面積の半分以上を巨大コンピューターが占拠していた。

「ここがお母さんの研究室ですか?」

「予備のね。こっちでは主にコンピューターを使ってウイルスの解析をするの」

 慣れた手付きで電源を入れ、カチャカチャ。プログラムが立ち上がる間に、彼女は備え付けの棚を開けて何かを取り出した。一見すると小型の体温計のようだが、

「ハイネ君、手を出して。ちょっと痛いけど、すぐ済むからね」

「はい」

 言われた通りに差し出す。彼女は左手に油断無く絆創膏を構えながら、右手で機械の先端を人差し指に当てた。チクッ!針が飛び出し、痛みと共に僅かな血が出る。

「ごめんなさい。押さえてて」

 素早く傷口に押し当てた絆創膏を託し、キュー先生はコンピューターに採血した機械を入れて閉めた。

 モニターに映し出される無数の数列をアメジストの瞳が追う度、あぁ、そんな……落胆と悲観の溜息が聞こえてくる。どうやら悪い、それも相当な結果だったらしい。

「キュー先生?」

「しかも、既に『発症』しているなんて……ママに相談?ううん駄目!もし見つかったら絶対……」

 近付く僕へ振り返った先生は、今にも泣きそうな顔をしていた。直後、柔らかな感触が唇に当たる。

(え?)

 永遠とも思えた十数秒後。離れた彼女は、両の拳を握り締めながら小さく呟いた。―――私が後なら良かったのに……と。


「せ、先生?」「ハイネ君……落ち着いて聞いて?あなたは―――『スカーレット・ロンド』に感染しているわ」


 その告知よりも正直、彼女が泣きじゃくり始めた事の方が余程衝撃だった。慌てて椅子に座らせ、背中を擦って宥める。

「『スカーレット・ロンド』って、このノートに書かれているウイルスですか?」

 鞄からチェック模様の冊子を出すと、きちんとランファの息子さんに返したのに、どうしてあなたが持っているの?逆に尋ねられた。

「さあ?今朝起きたら、僕の机の上にあったんです。これ、先生のですよね?お返しします」

「ううん、君が持ってて。内容は全部暗記しているし、注意事項は一通り書いてあるから」

「注意事項?」

 まだざっとしか目を通していなかったが、確かに『スカーレット・ロンド』は他の項目と明らかにページ数が違う。

「とにかく、他人に血を触れさせたらもうアウトなの。たった一ミリリットルでも感染して、あっと言う間に死んじゃう」

「そんなに危険なウイルスなのに、どうして僕はまだ死んでいないんですか?それに一体、何時何処でうつされて」

「それは……とにかく『適合者』な以上、いきなり重症化する事はまず無いわ。安心して。ただ」

「ただ?」

 ごくり、唾を咽喉に流す。

「―――そのノートにも書いてあるけれど、『スカーレット』は時々強烈な全身の乾きと発疹、私達が『発作』と呼ぶ症状が出るの。息子さんには言ったけれど、そうなったらなるべく早く血液を吸収して。自分のでも構わないから」

「ちょ、ちょっと待って下さい!血って、それじゃまるで怪ぶ」


「分かっているわ、そんなの!でも他にどうしようもないじゃない!?」


 叫んだ先生は顔を覆い、ごめんなさい、全部私のせいなのに……頭を横にブルブル振って謝罪した。状況に付いていけない僕は、ただネグリジェ越しに細い肩へ手を置いている事しか出来ない。

「ねえ、またあの歌を歌って……?その間に涙を治めるわ。そうだ」

 彼女は棚から別な機械を取り出す。あ、音楽室で見た事がある。テープレコーダーだ。

「録っておけば何時でも聴けるから」

「僕なんてまだまだ下手ですよ。先生も一緒に歌いましょう」

「え?」まだ濡れる頬を赤く染める。「きょ、今日は駄目。ハイネ君のを聴いて練習したらね……はい。ここ押したらスタートよ」

「ええ、距離はこれぐらいですか?」

 試しにあー、と吹き込んでみる。巻き戻して再生すると、自分の物とは思えない酷く間抜けな声がした。

「音量は大丈夫そうですね。じゃあ―――」

 昨日と同じように歌いながら、先生の様子を窺う。とりわけ、さっき触れたばかりのやや紫色の唇を。

(ひょっとしなくてもキス、だよなあれ……やった!!)

 己の身に起こる大事も忘れ、小躍りしたい気分になった。教師と生徒だし、絶対無理だと思っていたのに!危険な橋を渡り、また会いに来た甲斐があった!!

 停止スイッチを押し、念のため頭出しして確認する。テープは何度も上書きされたらしく、所々ノイズが走った。

「古いテープなんですね」

「昔、よく皆で声を吹き込んで遊んだの。他にも色々やったのよ、海賊ごっことか。ハイネ君はどんな遊びをしていたの?」

「いえ、僕は……父さんとキャッチボールぐらいしか」

 今とは違い、昔は校外で会うような友達がいなかったので、休日は専ら一人で過ごしていた。遊びらしい遊びの記憶は殆ど無い。そう言う意味でも、このキュー先生はとても恵まれていると思う。

「そうなんだ。お父さんは優しい?」

「ええ、とても。死んだ母の分まで僕を愛してくれます」

「私のママもよ。死んじゃったパパは可哀相だけど、キューがいてくれるだけで嬉しいって、いつも言ってくれるの」嬉しそうに胸を張る。

 録音機を返し、言われるまま絆創膏を取る。すると、先程あった刺し傷は跡形も無く消えていた。驚く僕に、大丈夫、これも『スカーレット・ロンド』の力なの、彼女は悲しげに告げた。

「昨日の怪我もすっかり無くなっていたでしょ?」

「あ……そう言えば」

 普通なら青痣ぐらい出来てもおかしくないのに、蹴られた鳩尾は綺麗なままだった。痛みも勿論皆無だ。

「何時ママ達が来るか分からないし、そろそろ今夜は帰って。門の所まで送るから」

「先生も一緒に来て下さい。コーディー小父さんもルナ小母さんも皆、先生の帰りを待っているんですよ?」

 だが当然、十五年分の記憶を失った彼女は困惑を示すだけだった。

「でも、ハイネ君……出来たらまた来て。あなたといると、不思議と気持ちが安らぐの。それに、大切な事を思い出せそうな気がする……」

「ええ、勿論。絶対来ます」

「ありがとう。今度はもっと色々お話ししようね。―――じゃ、付いて来て」

 再び案内されるまま、僕は第二研究室を後にした。



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