66章 奇妙な休息―――六百七十五年・十月七日(五)
「わーい!」バシャバシャッ!
シャワーで軽く済ませようと思ったのに、何故かジョシュアも入りたいと言い出した。いいよと許可を出すと、勝手知ったる風にバスルーム内のスイッチをいじり、あっと言う間に大理石のジャグジー満タンに湯を張ってしまった。そして乞われるまま一緒に浸かり、今に至る。
湯船を泳ぎ回る少年を眺めつつ、シャワーで髪と身体を洗う。シャンプー、リンス、ボディソープ。全てとても良い匂いだ。きっとこのボトル一本で、目が飛び出る程高いんだろうな……。
「ジョシュアも綺麗にしなよ。何なら僕が洗ってあげようか?」
「うん!」
ザバッ!外に溢れ出した湯も気にせず、少年は椅子を僕の前に置く。
「目を瞑っててね」
「はーい!」
シャンプーを泡立ててシャッシャッシャッ。一度流して、今度は丁寧にリンスを付ける。
「じょうずだね、おにーちゃん。もしかしてプロ?」
「まさか。昔父さんにしてもらったのを真似しているだけだよ。また流すね――――はい、終わり。そろそろ出ようか」
「うん。えへへ、ぼくルームサービスもたのんでおいたんだ。おにーちゃんがおなかすいてるとおもって。どう、すごいでしょ?」
「ありがとう。でもこのホテルってその……高いんじゃない?お金はどうするの?」
「だいじょーぶ!おじさんのくろいカードもってるから、ぼく」
黒って、もしかしてブラックカードの事か?ゴールドカードより上って言う伝説の……何者なんだろう、おじさん。
ふわふわのバスタオルで身体を拭き、用意されたバスローブに身を包む。まるで本物のお金持ちみたいだ。落ち着かない。
リビングへ戻ると、テーブルサイドに入浴前は無かった二段の白いワゴンがあった。下の段には二人分のライスとコーンスープ、それにオレンジジュースと烏龍茶の入ったコップ。そして上段には、鉄板でジュージュー焼ける分厚いステーキが僕等を待っていた。
「わーおいしそー!はやくたべようよ!」
「う、うん……」幾らだろう、これ……?
向かい合わせでテーブルにサーブし、二人で手を合わせる。
「いただきまーす!」「い、頂きます……」
いきなり肉にナイフを入れて頬張るジョシュアを見つつ、まずはパセリの浮いたスープを一口啜る。市販品と違い、とうもろこしの味がしっかりしていた。美味しい、凄く。
「はやくたべないとさめちゃうよ?」
「あ、うん」
恐縮する僕に、彼は心配そうに眉を顰めた。
「もしかしておにーちゃん、おにくきらい?おさかなのほうがよかった?」
「ううん、好きだよ。ただ、こんなに厚いステーキは初めて見たから、ちょっと吃驚して」
そう答えると、へんなの!少年はケラケラ笑った。
意を決してナイフを突き刺すと、予想以上に柔らかい。滴る肉汁ごと口へ放り込む。
「美味い!」思わず叫んだ。
人生初の美味に歓喜する僕に、奢る者も嬉しそうに手を叩く。
「あはは、よろこんでもらえてよかった!―――ねえ、ぼくやくにたってる?あのケダモノよりゆーしゅーでしょ?」
身を乗り出して尋ねてくる。
「え?う、うーん……どうだろう。ちょっと比べられない、かな?」
子供相手とは言え変に褒めるのも気が引け、曖昧に濁す。
「あ、でも役に立つ立たないに関わらず、僕はジョシュアが好きだよ」
「あいつより?」
どうも変にライバル意識しているみたいだ。何でだろう?
「御免、それも比較出来ないよ。ロウは親友で、ジョシュアは弟みたいな存在なんだ。別次元って言うか」
「そっか」にこっ。「ハイネおにーちゃんって、ホントにウソつけないんだね」
その一瞬、少年の笑う瞳が微かに紫色を帯びた気がした。錯覚?
「そういうところもすきだよ、ぼく」
それからしばらくは食べるのに専念。肉片が無くなる頃、例の支配人がタイミング良く食後のコーヒー片手に現れた。
「他に何か御入用はございますか?」
「特にはありません。ありがとうございます」
ワゴンに空の食器を乗せ、老人は静々と出て行った。小さいホテルだし、昼間だから彼一人で切り盛りしているようだ。
「ジョシュアはコーヒー飲めるの?」
「ミルクとさとうをいれたらね」
そう言ってミルクポットを傾け、砂糖瓶の中身をスプーン二杯入れる。
仲の良かったキュー先生が現在行方不明扱いされている事、ジョシュアは知っているんだろうか?尤も記憶を消された今の彼女は、この無邪気な少年すら恐らく覚えていないのだけれど。
「―――ねえ、どーしてかみさまは『こころ』をつくったのかな?」「え?」
真摯に見つめてくる眼差しはだが、先程の支配人よりずっと昏くて深かった。
「みんながだれもぜったいきずつけない、きれいな『こころ』をもってたらいいとおもわない?」
問いの意味を理解し、戦慄した。こんな小さな身に、そう思わせる程辛い出来事が……?
「そしたら、ぼくらみたいな『こじ』もうまれないでしょ?せんそーだってない。だれもなかまはずれにならない。それに」
彼は虚ろな目を大きく見開き、無垢に笑んだ。
「―――たいせつなともだちだって、おいていかずにすむ」「っ!!?」
違う。彼が知っている筈無い。僕が、あんなにも優しかった老犬にした酷い仕打ちを……。
「ジョシュア……確かに、君の言う通りだけど……」
現実問題として不可能だ。こうしている間も、宇宙のあちこちで毎日諍いや悲しみは発生している。現に僕等は殺された、大切な家族を―――それに。
「無理なんだ……もう、二度と会えないんだよ……」
「ハイネおにーちゃん」
スベスベの手が、そっと僕の濡れた頬をなぞる。
「ごめんね。ぼく、ただおしえてあげたってことをいいたかっただけなんだ―――おまえのしていることはぜんぶ『むいみ』だ、ってさ」
「え?」
どう言う意味だ?そして何より、誰へ……?
「いっけなーい。おにーちゃんといると、ついくちがすべっちゃうなあ。えへへ」
照れ臭そうにカフェオレを啜るも、大きな丸い目だけは笑っていない。怖い。一瞬、本能的な恐怖を覚える。
「あれ、こんどはおびえさせちゃった?」「っ!?」
カップを持ったまま無邪気に顔を覗き込んだ少年は、又もくすくす。
「ごめんね。そうだ、ふくがかえってくるまでトランプしようよ!ぼく、したでかりてくるね!」
言うなりピョン!とソファを降り、パタパタ部屋を出て行ってしまった。
残された僕は、やや温くなったブラックを啜る。そうしてから、先程少年が触れた頬に手を当てた。
(多少気味悪いぐらい何だよ……ジョシュアは僕の立派な友達なんだ)
残った体温を感じ取りつつ、密かにそう自分へ言い聞かせた。




