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65章 潜伏―――六百七十五年・十月七日(四)



 最上階と聞いて予想はしていたけれど、矢張りここはスイートルームのようだ。

 ドラマや漫画でしか見ない、総羽毛の二人掛けソファに恐る恐る荷物を置く。目の前のテーブルには瑞々しい葡萄の入った籠が乗せられていた。

「何か、豪華過ぎて落ち着かないな……」

 思わずそう独り言が漏れる程、一介の学生兼武芸者には不釣合いな部屋だ。

 天井には立派なシャンデリア。奥のキングサイズベッドは見るからにふかふかだが、生憎まだ起きたばかりで用は無い。

 ふと、ベッドサイドの純銀製電話が目に入る。ポケットの財布から渡されたばかりの電話番号の走り書きを取り出し、そちらへ向かう。

 枕に尻を沈み込ませながら、書かれた番号を押し、受話器に耳を当てる。


 プルルル、ガチャッ。『はい、こちら留置所ー!』


 意味不明な第一声。しかし、この馬鹿みたいに明るい声は間違い無くジョウンさんだ。

「ハイネ・レヴィアタです。ジョウンさん、今何処です?こっちは大変なんですよ」

『だから政府館内の留置所だよ。昨日の夜遅く家でむにゃむにゃしてた所を連行されて、そのまま監禁さ。ったく、強行課なんて長く出入りしているが初めて聞いたぞ。あのゴリラーマンめ、人をずた袋みたいに引き摺りやがって』

「バントレーって男の人ですね。僕のアパートにもさっき現れました」

『マジで?子供泣いちゃうぞ、あの面は。エルの奴配慮が足りんなあ―――あぁシェニー。ありがと』

 パカッ、ゴソゴソ。

『んぐ……でだ、ハイネ君こそ何処にいるんだ?電話してきたって事は、もしかして逃げ出したのか?』

「ええ。ベランダから道路に降りて、今は知人の手引きでホテルの一室に」

 ジョシュアの件は伏せておこう。僕自身、未だ狐に抓まれた状態だし。

『へー、いいなー。俺なんて床は硬いし夜は寒いしで最悪だよ。もぐもぐ……あー、やっと人間らしい飯にありつけた。特にこの卵焼きが最高だ、美味い美味い』

「誰かいるんですか?」

『ああ、俺のフィアンセのシェニーだ。こうしてブチ込まれるといつも弁当を差し入れてくれる命の恩人だよ。料理の他にもガーデニングが趣味でさ、家の庭もしょっちゅう花を植えたり手入れしてくれる』

『昼行灯のジョウンに任せておいたら、あっと言う間に雑草だらけになるわ。折角御両親が遺してくれた立派な庭なのに勿体無い』

 へえ、仲が良いんだな。 

 ペロッ。『俺のプライベートはさて置いて、そこが安全ならしばらく潜伏してた方がいいな。一回逃亡した以上、今度は奴さん本気で捕まえに来るぞ?』

「分かっています」

 通算一分も見ていないが、凡そ理性的な話し合いが通じる相手とは思えなかった。

『迎えに行きたいのは山々だけど、生憎上司直々に魔力制御装置を嵌められちまったからなー。こいつさえなきゃ壁をブッ壊すなり抜け出すなり出来るんだが』

『物騒な事言わないで。大人しく反省していないと、またこの間みたいに拘留が伸びるわよ。と言うか没収されてなかったの、携帯電話?』

『はいはい。―――つー訳でそろそろ切るよ。下手に見つかって逆探されてもお互い困るしね』

「そうですね。では、また」

 昨夜の諸々の出来事を話すには、とても時間が足りない。また今度だ。尤も、次の機会が訪れればの話だけど。

 受話器を置く瞬間、遅まきながらやっと気付いた。家の留守番電話にあるべき物……親友からの通話記録が一切無かった事に。

 事情を確認するため、今度は暗記した彼の携帯に掛ける。単にうっかり忘れただけかもしれない。取り敢えず昨日の調査報告を聞かなければ。

 だが受話器から聞こえてきたのは、お掛けの電話は電源が切れているか圏外ですと言う無機質なメッセージ。仕方ない。通話を諦め、ソファに戻ろうとした時だった。


 バタンッ!「おまたせ、ハイネおにーちゃん!」


 ドアを開けてパタパタッ!走って来た勢いのまま、少年は真っ直ぐ僕の胸に飛び込んできた。その衝撃を受け、上半身が布団に倒れ込む。

「匿ってくれてありがとう、ジョシュア。でも一体何処へ行ってたの?」

「ないしょ!……やっぱりケモノくさい」

「え?で、でもこの長袍を着てから、ロウには一度も会っていないよ?」

 それとも他の臭い、例えば僕の体臭、だろうか?それはそれでショックだ。

 すると突然、彼は僕の右腕を引っ張り始めた。

「くさいのヤダ!おふろ!ふくはクリーニングにだしたらいいよ。あちこちドロもついてるし」

「でも」

「しはいにん!」

「お呼びですか、ジョシュア様」

 何時の間に入って来たんだ?ロビーにいた筈の支配人は、相変わらず虚ろな目で僕等のすぐ正面に立っていた。

「これをクリーニングして!なるべくいそいでね!」

「畏まりました。三時間後にお持ちします。その間は脱衣所にバスローブを御用意しておりますので、そちらにお召し替え下さい」

「そういうわけだからぬいで、おにーちゃん」

「あ、うん……」

 急展開に混乱しつつ、僕は鎖骨のホックを外し始めた。




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