63章 執行者―――六百七十五年・十月七日(二)
「ん……あれ、ここは……?」
目を覚ますと、そこは紛れも無く自室のベッドだった。
先生との再会が夢でない証拠に、身に纏っていたのは寝巻きではなく、青鮮やかな長袍だった。
(変だな……記憶も無いのに、どうやってここまで戻って来たんだろう?)
人工太陽はもう大分明るい。だるさを感じつつ、どうにかベッドから起き上がる。鞄は勉強机の上、三節棍はベッドサイドに立て掛けてあった。ん?鞄の横、見慣れないノートが置いてあるぞ?
表紙にデフォルメされたテディベアが印刷された、赤と茶色のチェック柄。サイズはB五。中央の題名欄には『マル秘研究ノート』、下の名前欄はキュクロス・レイテッドとある。
(先生のノート?でもこの筆跡、今より随分丸いぞ?)
所謂丸文字と言う奴だ。可愛らしいが若干読み辛い。
ペラッ。試しに最初のページを開いて読んでみる。
「『スカーレット・ロンド(赤の輪舞)』―――宇宙史上最強のウイルス。あらゆる抗生物質を無力化し、異種ウイルスに対しても非常に攻撃性が高い。しかも一度感染すると『適合者』を除き、数分以内に全身へ赤い発疹が出てショック死する―――要約、とってもキケン!」
書かれた事項の重大さと、赤字で出された結論とのギャップに思わずクスッとなった。キュー先生、昔からお茶目だったんだなあ……あれ?でもこれ、一体何時記したんだ?
ノートの紙は所々撓み、相応の年月を感じさせた。どう見ても最近の物ではない。しかし十歳以前の先生は本来の御両親と暮らしていて、こんな物を書く必要など無い。
ならば、持ち主は同姓同名の別人か?偶々『Dr』にも同じ年頃の隠し子がいたとか……うーん。有り得なくはないけれど、可能性はかなり低く思えた。取り敢えず、今度『ホーム』へ行ったら先生に直接尋ねてみよう。
キッチンへ行き、水道水をコップに注いで立て続けに二杯飲み干す。何だかとても咽喉が乾いていた。意識を失う直前身体中から高熱も感じたし、纏う布地も汗ばんでいる。登校前にシャワーを、って!
「え、十一時……しまった……!!」
時計を確認し、十数秒間パニックに陥る。が、どうにか深呼吸して気持ちを落ち着かせた。寝坊した時間は今更慌てても取り返せない。昨夜は色々大変な目に遭ったし、多少寝過ごしても無理は無いだろう。
そうだ、留守番電話は……あった、二件。学園と、三階の小父さん達の番号だ……ん?何か変な気が……。
頭に何かが引っ掛かったが、一晩熱に浮かされていた頭ではモヤモヤするばかり。早々に諦めてリダイヤルボタンを押す。
プルルルルル……。「出掛けたのか、コーディー小父さん達」
十コール目で受話器を置く。まぁ病院には夫妻を頼りに、毎日大勢の患者が訪れるのだ。寝坊した下宿人一人に構っている暇など無いだろう。
仕方ない、せめて午後からの授業には出よう。取り敢えずシャワーを浴びて、それから適当に何か食べ、
コンコン。「はーい!」
無意識でもちゃんと玄関の鍵は掛けていたらしい。内鍵の抓みを捻り、ドアを開いた。
「おはよう。いや、もうこんにちはかな」
そこにいたのは見覚えの無い男性だった。ラガーマンのように全身が筋肉で覆われ、顔立ちはまるでゴリラのようだ(失礼極まりないが、乏しい人生経験ではそうとしか形容しようがない)。年齢は四十後半から五十代前半。特注であろう政府員の制服を、尚も窮屈なのかボタンを所々外して着用していた。
「私はバントレー、聖族政府強行課課長だ。宜しく、ハイネ・レヴィアタ君」
「は、はあ……あの、ジョウンさんの同僚ですか?」
握手の力は強く、一瞬腕ごと千切られるかと思った。
「ああ、そんな所だ。―――早速で悪いが、現時点を以って君を拘束させてもらう」
「……へ?」
バントレー氏は懐から畳んだ書類を取り出し、徐に僕の目の前へ掲げた。小難しい文章が並んでいるが、どうやら僕を軟禁するための礼状のようだ。
「心配は要らん。『Dr.スカーレット』とその一味を鎮圧するまで、政府館の一室に避難してもらうだけだ。既に保護者代理のアンダースン夫妻からは許可を貰っている。速やかに荷物を纏めてくれ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!?どうして突然」
すると服を着た類人猿は前歯を剥き出し、学生相手とは思えないドスの利いた声で告げた。
「心当たりならある筈だ―――フィクスと君は探り過ぎた。これ以上我々の邪魔は赦さない」
彼はパーを出し、五分だけ待ってやる、必要な物を準備しろ、冷酷に命令した。
「え、ええ……分かりました」
バタン。ドアを閉め、頭を抱える。
あいつのボスはまず間違い無く、あのエルシェンカと言う人だろう。折角キュー先生を見つけたのに、まさかこんなタイミングで妨害してくるとは!
(ジョウンさんも今頃、何処かに閉じ込められているのかな……?いや、今はここをどう凌ぐかを考えないと!)
小父さん達の許可が出ている以上、篭城作戦は無しだ。かと言って大人しく付いて行けば、まず酷い結末を迎える。そんな予感がひしひしとした。




