40章 疑念―――六百七十五年・九月(四)
その十日後。一人増えて十人での練習を終え、六時頃に帰宅。二〇一号室の鍵を開けようとすると、丁度アラン先生が階上から降りて来た。
「よう、おかえり」
「ただいまです。あれ、小父さん達はいないんですか?」
彼の抱えた鍋を見て尋ねる。病院の仕事で夜遅くなる時、ルナ小母さんは必ず僕等の夕食を用意してくれていた。有り難い事だ。
「ああ、ちょっと知人に不幸があってな……腹減っただろ?食おうぜ」
「はい」
自室に鞄を置き、部屋着のトレーナーに着替えて再びリビングへ。中身はハヤシライスらしく、開けた鍋からは独特の甘い香りが漂っていた。
「久し振りですね。先生と二人きりで夕食って」
「ああ、そう言えばそうだな」
大抵は三〇一号室で四人一緒か、アラン先生抜きで三人かのどちらかだ。一家全員偶々いなくて留守番と言う日も一度だけあったが、その時は心配したキュー先生がわざわざ電話を掛けてきてくれた。だから正直『また』を少し期待している。
弁当用に小分け冷凍してあった白米をレンジで解凍し、ガスの前に立つアラン先生にルウを入れてもらう。スプーンとコップ、お茶入りのペットボトルをテーブルに用意して、準備完了だ。
皿を運び胡坐を掻いた先生はリモコンに手をやり、テレビを点けた。ニュース番組をボンヤリ眺めつつ、二人共黙々とスプーンを動かす。
「先生、ビール取って来ましょうか?」
「……」
「アラン先生?」
「!?あ、ああ……頼む」
冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを持って戻たが、彼は先程と同じく物思いに耽っていた。
「疲れてますか?後で肩でも」
「いや……なあハイネ。学校はどうだ、楽しいか?」
「?ええ」
最初は不安だったけれど、今はこれまで通った学校で一番愛着がある。仮令今父さんが何か言って来ても、金輪際転校なんて嫌だと突っ撥ねるだろう。
「そうか……ところで担任はどうだ?二年続けてベーレンスだが、何か厭味を言われたりしてないか?先生達の間でも性格悪いって噂だが」
「確かに先生は厳格な点数主義で、事ある毎に内申を下げるとか聖職者にあるまじき発言をしますけど、少なくとも悪い人ではないですよ。感情的に罰則を下したりしないし、僕は結構好きです」
人間に振り回され、苦労性な所も共感出来る。尤も、向こうの相手は人事権を握る上司だが。
「それに動物好きに悪い人はいませんよ」
「!!?あいつが、動物を……?どうして知っているんだ、そんな事?」
しまった。まさか学園内で飼っているミーコの件を説明する訳にもいかないし……そうだ!
「前に飼育小屋で見たんです、凄く優しい顔でウサギに話し掛けていたのを」
うん。これは普通とありそうだ。担任は人を嫌っている様子だったから、実際に足を向けていても全くおかしくない。
「それにああ見えてベーレンス先生、幼馴染の木咲先生にはとても優しいんですよ」
「!?幼馴染……本当に、あいつがそう言ったのか?」
「え、ええ……同じ孤児院出身とかで、二人きりの時は互いをファーストネームで」
返答を聞き、同居人はビールが温くなるのも忘れて腕を組んだ。眉根を寄せ、深く考え込む。と、分厚い唇が動いた。
「変な事訊いて済まなかったな、ハイネ。ちょっと気になる事があっただけだ。忘れてくれ」
「はぁ……あの、アラン先生。僕で良かったら相談に乗りましょうか?」
子供で人生経験も乏しいが、他人に話すだけでも多少はスッキリするのではないだろうか?
だが大半の大人がそうであるように、彼もまた首を横に振った。
「お前はまだ中坊だ。けど、そうだな……これからしばらく帰りが遅くなる。親父達にアリバイを頼めるか?何、持ち帰りの仕事で忙しいと言って、晩飯をここに置いておいてくれるだけでいい。日が替わるまでには戻る」
「小父さん達に内緒って、一体何処へ行く気ですか?」
「心配するな、別に犯罪とかじゃない……大丈夫、全部俺の勘違いの可能性だってまだ……」
恐怖を振り払うように頭を左右に振った後、徐に水滴の浮き出た缶へ手を伸ばす。
プシュッ!ゴクゴクゴク……。「あー、美味い!」
浮かべた笑みを引き攣らせ、体育教師はそうカラ元気を出した。




