36章 広がる合唱の輪―――八百年・一月(五)
奇跡的再会から三日後。再び墓地を訪れると、ちゃんと教え子は同じ場所に寝転んでいた。若しや夢だったのではと半ば心配していたので、ほっと胸を撫で下ろす。
「また来たのか。つーか、プレゼントってもしかして」わざと空けた間に、城の方から響く賛美歌が入り込む。「これ?」「みたい」
どうやら女王陛下がこっそりと私の持っていた楽譜をコピーし、王国内外の人々を呼んで練習しているらしい。道理でここへ来る道中、やたら発声練習する住民を見かけた訳だ。
「フツーに下手で五月蝿えんだが、本番までにどうにかなるのか、あれ?」
「まだ十日以上あるし、多分」直後、それまでとは比べ物にならないダミ声が響き渡った。「……大丈夫じゃないかも」
「酷え音痴!耳が死ぬ!!」
そう叫んで詰襟を頭から被り、騒音に耐える教え子。幸い、この壊滅的レベルの音外しの犯人は一人のようだ。パートはバスかな?
「あ、止んだわ」
「外で、しかも離れててこの被害かよ……城内の連中、今頃ブッ倒れてるんじゃねえか?」
恐る恐る防具を外しながら、そう悪態を吐く。かく言う私も、遠くなった筈の耳がまだジンジンした。
「どう考えても歌わせちゃいかんレベルだろ、あれ。一体誰だよ?」
「うーん。多分、あの人だと思うんだけど……」
会ったのは数回、それも短時間なので生憎確証は無い。
「祝い、なんだよな一応?可哀相に」
「大丈夫よ。本番までにはクランちゃんが何とかしてくれる、筈!」
ぷくくく……毛皮のお腹を抱えて笑い出す彼に、私はやや気弱ながら断言した。
「うわ、酷」「クランベリー!済みません、Mr.ベルイグ。彼女は御存知の通り口が大層悪くて」
不器用なイスラには珍しく、一応フォローにはなったようだ。おじさんはせせら笑いながら、手の中の楽譜を曲げる。
「そうだな。この娘が相手では、世話も苦労の連続だろう?その上、こんなお遊戯の指導を任されては」
「いえ、この王国に尽くす宮廷魔術師に懐かしき歌を捧ぐ。しかもそれが主への物ともなれば、私は幾らでも協力を惜しみません」
「フン。所詮は」
「いけませんよ旦那様、『先生』を困らせては」
アルトの一団に混ざった盲目の女中の一言に、困らせてなどおらん!初老は子供のように地団駄を踏んだ。ああ醜い。
「そうですよ先生。下手は下手なりに素直に教授されて下さい」
「我輩の美声を聴いていなかったのか、小娘!?」
ド直球の指摘に、顔が茹で蛸のように真っ赤に染まる。だが『鬼憑き』にして凡そ怖い物無しの那美に、その程度の脅しなど通じなかった。
「駄声の間違いじゃないですか?折角バスパートの他の人達が頑張っているのに、完全に足引っ張っていますよ。ねえ、大臣さん?」
咽喉元を押さえ復習していたリオウ大臣は、広い額に手を当て困惑の表情を浮かべた。
「ま、まあ今日が初めての参加だし、下手なのは私も同」
「どう甘く見積もっても、矯正不可能な気がするのは私だけですか?」
いや、少なくともここにもう一人いるよ、那美。
「しかし宝 那美。何事もまず努力してみない事には」
ああ、やっぱり。歌自体の指導はともかく、人事調整をこの世間知らずの天使に求める事自体が間違いだったか。―――しょうがない。時間が勿体無いし、さっさと黙らせよう。
「でもイスラ、おじさんリズム感は良いよね?」
「え、ええ。初挑戦でこの複雑な拍の構成に付いて来られるのは、素直に感心します」
「なら指揮者してもらおうよ。丁度まだ決まってないし。それに」噴き出しそうになるのを堪えつつ、言葉を続ける。「一番前なら格好良いおじさんが更に目立てるよね、栗花落さん?」
「はい。生憎私には見えませんが、旦那様の指揮なら皆さん、とても歌い易いかと」
「そ、そうか?お前がそう言うのなら仕方ないな」コホン。「分かった。出来の悪いこ奴等をフォローし、お前が少しでものびのびと咽喉を使えるように力を貸してやろう」
暴言に各パートを宥めて回るレイとアスを横目に、そう言う訳だからイスラ、おじさんには指揮の特訓をお願いね、それで那美も文句無い?と言った。
「ええ。練習の成果をブチ壊されるよりは数百倍マシです」
「ではMrはこれからオルガンの横へ来て下さい。他の皆さんも休憩にしましょう。再開は十分後です」
その一言に、張り詰めていた大広間内の緊張が解けた。
トイレに行く者達に続いて廊下へ出ると、クランベリー、後ろから保護者に声を掛けられた。
「彼を説得して頂き、ありがとうございます。本来なら主に仕える者として、彼の意向に精一杯力添えをしたい所ですが……生憎誕生会まで時間がありませんので、大変助かりました」
「豚も煽てれば踊るって事だよ。いいよ、元々頼んだのは私だし。お兄ちゃん達、今日は仕事?」
「はい。纏まった練習スケジュールを取る為、総員前倒しで職務を行っている最中です。次の御参加は明後日の予定と」
「そっか」
そこまで本気にならなくてもいいのに。ま、大声を出せばストレス解消にもなるし、本人達が楽しいならいいか。
「イスラ先生、ちょっといいですか?」
「あ、はい。今行きます!ではクランベリー、また」
子供等へ小走りに駆けて行く保護者を見送り、ふと視線を感じた。窓の外で一人車椅子に乗るお婆ちゃんと視線が合う。
「あ、見つかっちゃった。お互い知らない振りしてましょうね」
唇だけで悪戯っぽく告げ、宮廷魔術師は刻まれた笑い皺を一層深くした。




