35章 意外な動物愛護者―――六百七十五年・八月(二)
「にゃぁおん❤」「よしよし、良い子だな」
ふわふわのタオルで全身を拭かれながら、凄く気持ち良さそうに身悶える白猫。洗われたらしく、毛並みがまだ少し濡れて貼り付いている。
だが、それは正直些細な事だった。ミーコを満面の笑顔で膝に抱えていたのは誰であろう。中等部一のテスト至上主義者、堅物極まりないと噂の元担任(先月末で一年生が終わったからだ。二年生でも当たらない事を切に祈ろう)だった!
(う、嘘だろ。あのベーレンス先生が……?)
「にゃーお」
気配を感じたのか、ミーコが腕から飛び出し、こちらへトコトコ。釣られて視線を移動させた本人と目が合う。
「―――何だ、お前かレヴィアタ。脅かすな」安堵の息を吐く。「教師かと思っただろ」
「ベーレンス先生、ミーコを入浴させてくれたんですか?」
「ああ。宿直室のシャワーでこっそりな」
猫の首根っこを掴んで抱え上げ、咽喉を撫でる。ゴロゴロゴロ。
「珍しいですね。人見知りのミーコがこんなに懐くなんて」しかもこんな仏頂面に。
「見ての通り無愛想だが、昔から動物にだけは好かれるんだ。意外だろ?」
「ええ―――っ!!?」
慌てて口を押さえた僕へ、教師は自虐的に笑う。
「評判が悪い事ぐらい知っているさ。教師共の間でも、取っ付き難いとしょっちゅう陰口叩かれてる。お前の所のアンダースンとは真逆だな」
彼の隣に座り、当初の目的である猫缶を開ける。食事は貰っていなかったのか、勢い良く餌にがっつく。
「こいつを見ていると、クローディアを思い出すな」
「先生も猫を飼っていたんですか?」
「……親友だ。大分前に死んじまったが、今でも時々夢に出てくる」
「それは、木咲先生と住んでいた孤児院で?」
すると元担任は目を閉じ、皮肉気に唇を曲げた。
「―――ああ、そうだ。俺とクローディア、桜、それに……あの場所で俺達は、ずっと平和に暮らしていける筈だったんだ。なのに……!」
ガンッ!拳を芝生に叩き付けた衝撃で、ミーコと缶が一瞬宙に浮く。
「済まん。つい厭な事を思い出しちまった。お前も驚かせて悪かったな」
硬直した彼女を撫で撫で。ふにゃー。穏やかな笑顔で謝る。
「生徒よりよっぽど好きなんですね。なのにどうして教師を?」
動物と関わるなら獣医や調教師や、他にも色々職業はありそうなものだが。
「人のプライベートを探るな。内申下げるぞ」
得意の決め台詞を放ち、後頭部に両手をやる。
「ああ、自分でも重々承知しているさ。人間って奴はどいつもこいつも阿呆のくせに口ばかり達者で、一緒にいるだけでドッと疲れちまう……『彼女』達を除いてはな」
溢れ出す愛情の言葉に、厭でもピンときた。同じ孤児院出身なんだ、以前木咲先生が言っていた、ベーレンス先生の愛する人も。
「では御両親も?」
「そうだな。前も桜が言っていたが、俺達は親に好かれてなかった。お前はどうだ、レヴィアタ?」藍色の瞳が真摯に問い掛ける。「親ってのは、離れていても大事と思える物なのか?」
「少なくとも僕はそうです。実は今日も―――」
父の訪問の話をすると、ベーレンス先生はとても眩しげに僕を見つめた。
「泣き虫なんだな、お前の親父は。だが、少し羨ましくもある……って、生徒にする話じゃなかった。済まん」
そのまま校則を無視しドサッ、芝生に寝そべる。カッターシャツ越しでも引き締まり具合の分かる腹部に、口の周りを舌で綺麗に舐め終えたミーコが擦り寄った。
「ところで、相変わらず仲良しこよしなのかダイアンとは」
「弁当目当てで懐いているだけですよ。向こうはバーガー目的だって言うに決まってますけどね」
僕の返答に、珍しくゲラゲラ笑う元担任。
「いやいや、違いない。だが、イチャイチャも程々にしといた方がいいぞ?奴のお父様が最近えらく心配してるからな」
「理事長先生が、ですか?」
「こら!……まぁそう言う事だ。全く、人に厄介な荷物押し付けたその口で、あの子達はデキてるんじゃないかとか。俺が知るかよ、なあ?」
「は?デキてるって……僕とロウが?まさか」
いや。よく考えてみると、理事長先生がその発想に至っても全然おかしくない。毎日いそいそと弁当を手作りし、授業中や昼休みも大体一緒。しかも何だかんだ言って、長期休暇中も五日と空けず会っている……何処からどう見ても、立派な付き合いたての恋人同士だ。でも絶対違う!僕にはキュー先生と言う立派な女性がいるんだ!!
「そう言えばあいつ、最近やけに髪型に拘っているような」
「止めて下さい!向こうはともかく、僕にそっちの趣味はありません!!」
「にゃあ?」
「本当だってばミーコ!信じておくれよ!!」
猫相手に反論するのを眺め、数学教師は又も心底愉快げに笑った。




