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27章 業火の記憶―――六百七十五年・四月(二) 



 渡り廊下を越え、特別教室棟からホームグラウンドである中等部棟へ。まだ授業中なので廊下は無人だ。運悪く見つからないか若干ビクビクしつつ歩いている内に、目的地へ到着した。

 余程急いで入ったのか、ドアは半開きになっていた。荒い息遣いと衣擦れの音が微かに聞こえてくる。恐る恐る覗いてみると―――保健室の主以外にもう一人、この場にはかなりそぐわない人物がいた。


「う……」「桜、大丈夫か?」


 真っ白いシーツの敷かれた寝台。担任は膝枕した木咲先生へ、何時に無く優しい表情と声でそう問い掛ける。

「ごめんなさい、アダム……自分でも、とっくに克服したと思っていたのに……」

 固く握り締めたまま震える両手に右手を添え、もう片手で強張る肩をそっと撫でる。

「たかがあんなバーナーの音で……っあぁ……!」

「しっかり気を持つんだ。ここにあの火は来ない」

 右手を白衣の上、左腕の肘の内側へと下ろし、軽く力を籠める。

「大丈夫、俺達には『絆』がある。何も恐れる事は無いんだ」

「そう……ね、うん……」

 数分後。解いた手を肘に置かれた手と重ね、安堵の息を吐きながら上体を起こす。

「アダム、付き添ってくれてありがとう……もう平気。授業を抜けて来てしまったの……早く戻らないと、あなたのクラスの生徒達が心配しているわ」

「学級委員が何とか上手い事やってるさ。それより、まだしばらく休んでいた方がいい。コーヒーでも飲んで」

「そんな訳には―――あ……レヴィアタ君?」

「!?」

 反射的に後ずさった僕を、覗きとは良い度胸だなレヴィアタ、担任が低い声で叱る。

「す、済みません!木咲先生が慌てて出て行ったから、心配になって……で、でも僕、絶対言いふらしたりしませんよ!お二人がまさかそんな仲だって」

 彼女等は互いにしばし見つめ合った後、同時に爆笑した。

「??」

「ははっ!成程な。確かにこの画を見れば誰だってそう思うか」

「しかも私達、昔と同じように名前で呼び合っていたものね。誤解するのも無理無いわ」

 保健医はベッドの側面に座り直し、担任と共に尚もクスクス笑う。

「ど、どう言う事ですか?付き合っていないならどうして」

「簡単な話さ。俺と桜は同じ孤児院出身で、小さい頃から家族同然だった。勿論、今はそれぞれ別のアパートに住んでいるがな」

「孤児?お二人が、ですか?」

 あっさり告げられた衝撃の事実に吃驚する僕。

「ええ。どちらも親に恵まれなくて、拾われた先も火事で……そのせいで、この学園へ来るまでずっと離れ離れになってしまったの」

「火事?じゃあ、さっきバーナーがどうこう言っていたのは」

「PTSD、簡単に言えばトラウマだ。ガスバーナーの噴出音を聞くと、桜は炎に巻き込まれた当時の事を思い出しちまう。無理も無いさ。あれはこの世の物とは思えない程酷い光景だったからな……」 

 眉根をキツく寄せ、苦々しげに過去を振り返る。その姿は普段の沈着冷静さとは打って変わって感情的だ。

「―――あの。授業は丁度通り掛かった理事長先生に監督をお願いしてきました。だから、木咲先生はもう少し休んでいて下さい。元々それだけ言いに来たんです、僕」

「まぁ、そうだったの。ごめんなさいねレヴィアタ君、気を遣わせてしまって……そうだ」

 保健医は立ち上がり、流し台の横の小さな冷蔵庫から何かを取り出して差し出す。一口チョコレートの沢山入った袋だ。美味しそう。

「はい、心配してくれたお礼よ。もうすぐ昼休みだし、『皆』で分けるといいわ」

 含みのある言い方をした後、悪戯っぽくウインク。

「おい桜、変に生徒へ物をやるな。だから用も無いのに餓鬼共が屯するんだ」

「御褒美は今日が初めてよ。いいじゃない。あなただってクラス平均点を上げてくれる貴重な子だって褒めてたでしょ?」

「こら!」

 クスクス。

「あの、本当にお二人はその……」

 ただの幼馴染なんだろうか?下世話だけど少し訊いてみたかった。

「ええ。と言うか、アダムには昔からずっと好きな子がいるの。だから、そもそも私に恋愛感情なんて有り得ない。彼女、私とタイプも全然違うし」

「それ以上は止めろ!お前もだレヴィアタ。用が済んだならとっとと戻れ!内申下げるぞ!!」

 林檎のような頬をしつつ、凡そ教師とは思えない問題発言を放つ担任。凄く大人気ない動揺の仕方だ。そんなに知られたくないのか。

 逃げるように保健室を後にし、棟を戻って理科室へ。ドアの内側からガヤガヤと賑やかな声が漏れ出てくる。臨時の臨時だけど、どうやら上手く授業は進んでいるようだ。


 ガラガラ……。「済みません理事長先生。只今戻りました……あ」


 ちゃっかり僕の席に着いた父親は、ニコニコしつつ向かいの息子に語り掛ける。

「ほら、ダイアン君。次が最後だから」

「ぐぅぅぅ……」

「そうだ、ちゃんとレポートは書いているかい?先生に提出しないといけないんだろう?他の皆も書き漏しのないよう、きちんと確認しながら実験を進めるんだよ」

 これ以上無い渋面をした親友は、こちらに気付いて実に恨めしげな視線を向ける。―――うん。親子参観の邪魔をするのは悪いな。実験も終盤みたいだし、僕はもうしばらく席を外していよう。


 ガラガラガラ……「裏切り者!」バタン。




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