18章 緑の楽園の三人と一匹―――六百七十四年・十一月(五)
新しい環境に戸惑いつつも初めての友人が出来、取り敢えずは順風満帆の学園生活が始まった。だがその後一週間、何故かキュー先生には会えなかった。アラン先生に尋ねてからかわれるのも嫌なので黙っていたが、教科書があるのに授業が無いなんておかしい。
「あぁ?授業の事なんて俺が知る訳ねえだろ」
サボり常習犯の親友は予想通りの答えを返し、僕が別の容器に作ってきたオムレツに齧り付いた。鋭い犬歯が炒めた玉葱をシャクシャク噛む音が響く。
「しっかし変わってるな。俺達の音楽って、確か『あの』レイテッド先公だろ?他の連中は無くてホッとしてるのに、お前と来たら」
「?」
「まぁあろうが無かろうが、授業に出ねえ俺には関係無いけどな」
チーズバーガーのお相伴に預かりつつ、今の台詞で一つ腑に落ちる事があった。
お互いに少しずつ距離感の掴めて来たクラスメイト達。彼等は何故か、音楽室のある特別教室棟三階には近付きたがらないようだった。因みにそこを使用するのは中等部と高等部だけで、初等部は教室棟の一角を使っているそうだ。
―――ねえ私、音楽室に忘れ物したみたいなの。一緒に来てくれない?
―――嫌よ。行ったら『Dr.スカーレット』に何されるか。一人で取って来ればいいでしょ。
―――そんなぁ……。
―――『Dr.スカーレット』。彼彼女達のヒソヒソ話には、しばしばその名が現れた。まるで沼に浮かんでは弾ける、腐った空気を含む泡のように……。
「おいで、タマ」
「にゃおん」
持って来た猫缶を綺麗に食べ終わった雌猫を膝に乗せ、いつものように背中を撫でてやる。
「ところでロウ。タマって本当の名前?」
「違うに決まってるだろ。呼ぶのに困るから、俺が適当に付けただけだ」
「どうしてタマ?」
「そりゃお前、猫って言えばタマだろ」
「そうかな。女の子だし、シロとかの方がしっくりくると思うけど。ねえシロ」
「にゃーん」
甘えて出した白いお腹を撫でていると、高い缶詰に釣られやがったな、現金な猫め、親友が横で頬を膨らませた。
「そう言えばまだ会った事無いね、飼い主。ロウは入学から昼休みはずっとここに?」
「いや、お前が来る二週間前からだ。その前はずっと図書室で食ってたんだが」ムスッとした表情を浮かべ「見つかりたくねえ奴に嗅ぎ付けられたんで逃げてきた。お前と一緒だな」
「ベーレンス先生?」
冷酷無情な点数至上主義者である担任の名前を出す。
「違う。けどそうか、あいつも二番目ぐらいには会いたくねえな……御馳走さん。今日も美味かったぜ奥様」
「どうも」
空になった容器を僕に返し、芝生に寝そべってタマの頭を撫でる。
僕が教室に戻ってからも、ロウはずっとこの中庭にいるのだろうか?少しは授業に出ればいいのにとも思うけれど、彼には彼なりの行動理念があるらしい。父親とも上手くいっていないようだが、それなら何故闖入者の僕を受け入れてくれたのか未だによく分からなかった。
ふと、眠たげだった金目に油断無い光が宿る。誰か来た!警告と同時に、硬い足音が一つ聞こえてきた。真っ直ぐこちらへ、しかも小走りで向かってくる。
「ミーコ、ゴメンね!お腹空いたで―――あ、ハイネ君!!」
一週間振りに会ったキュー先生は荒い息を整えつつ、吃驚仰天した顔で僕達を交互に見た。
「私がいない間、二人でミーコの餌をやってくれてたの?」
「え、ええ。交代でミルクや缶詰を。ね、ロウ?」
「ま、俺等の方が新参者だからな。にしても、選りに選ってこいつが飼い主とは……」小声で嘆息。
先生は上半身を起こした不良をじっくり眺め、眉を微かに歪めて少し考え込む。
「……もしかして、あなたが最近ずっとミルクをあげてくれてた子?―――あ、やっぱり!ありがとう、えっと」
「中等部一年、ロウ・ダイアンだ。言っとくが先公、ここに俺がいる事チクるなよ?つーか学園の敷地内で動物飼うのは御法度な筈だぞ?」
「う……ごめんなさい。うちのアパート、ペット禁止で……その、ちゃんと寝床とトイレも作って、トレーニングもやったし、避妊もこの間済ませたから……そのぅ」
段々小声になっていく弁解に、流石の親友も罪悪感が湧いたらしい。ま、サボりがどうこう言えた義理じゃねえけどさ、顔を背けた。
「気にしないで下さいキュー先生。ロウは天邪鬼なんです。心配しなくても他の先生達には内緒にしておいてくれますよ、タ……ミーコの事。勿論僕も」
「ありがとう。二人共、優しい子達で良かった!」
彼女は微笑みながら一週間前の親友と同じく、校舎の角を曲がっていく。隠すように置いてあった折り畳み椅子を手に戻り、僕達の丁度中間で座る。
「でもキュー先生、一週間も何処へ行っていたんですか?」
「“黄の星”の首都、シャバムの大学よ。宇宙中の音楽の先生達が集まって研修会をしていたの。私はまだ新人だから、色々行って勉強しないと」
「大変ですね。でも、余り無理しないで下さい」
もしキュー先生が倒れでもしたら、きっと僕はいても立ってもいられなくなるだろう。母親みたいな感情、或いはそれ以上を抱くのは、本来ならいけないのだろうけれど……でも。
「ハ、ハイネ君?そんなに思い詰めた顔しないで。大丈夫。ここ二日はゆっくり休んだから、もう元気一杯よ。午後は三年生の授業もあるし、今の内にお弁当食べとかないとね」
そう言って、彼女はランチバッグから猫がプリントされた小さな弁当箱を取り出す。パカッ。
「二人はもう食べ終わったの?今日のメニューは?」
タコさんウインナーを頬張りつつ尋ねる。白米の上では桜でんぶでお花が咲き、うずら卵は包丁の切れ込みと黒胡麻の装飾で可愛らしいひよこになっていた。隅には緑鮮やかなグリーンリーフ。色彩、可愛らしさ、栄養価ともに完璧なお弁当だ。
「俺達はオムレツとチーズバーガーだ。ハイネ、お前まだ食ってないだろ?先公に見せてやれよ」
「え!?いや、でもこっちは失敗作だから……」
「ハイネ君もお弁当作ってるの!?大変じゃない?まだこっちの環境に慣れてないでしょう?」
本心からの心配にいたたまれなくなる。転校も通算十回以上経ると、周りはともかく本人達は即座に適応出来てしまうのだ。僕が生まれるずっと以前から転勤族の父なんて、越した翌日にはどう見ても十年以上住んでいたように振舞える特技持ちだ。
「大丈夫ですよ。コーディー小父さんとルナ小母さんはいつも親切にしてくれますし、学園ではアラン先生やロウが色々教えてくれますから」
弁解するも、彼女の視線は僕の弁当箱から一ミリも動かない。無視するのも失礼だし、仕方ない。蓋を開き、端の破れたオムレツを晒した。恥ずかしい。何で成功していた方を親友にあげてしまったんだろう……?
「え?何処が失敗しているの?凄く美味しそうじゃない」
手放しに褒められ、耳まで熱くなるのがはっきり分かった。
「ねえ。私のウインナーあげるから、一口味見させて」
「だ、駄目ですよ!」
「いいじゃんか美味いんだし。先公、勝手に取っていいってさ」
「こらロウ!!」
怒って掴み掛かろうとする僕を、二人と一匹はケラケラ笑った。




