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「結木先生、キミの幻のデビュー作を出す話、カバーデザインをボクに頼んだって本当?」
バーの片隅で五十嵐がオン・ザ・ロックを傾けながら言った。
「烏滸がましいとは思うんですけど、私の作品のイメージと先生の作風がピッタリだと当初から思っていて。今回ついにオファーかけてしまいました。ご迷惑でしたか?」
隣に座る佐伯は、ジントニックをひと口舐めた。
「まさか。お仕事をいただけて嬉しいよ。むしろ、キミから誘われるなんてもうないと思っていたから、戸惑ってる」
これで2度目だね、と五十嵐は続けた。1度目も夜に願い出た。佐伯は頭を傾けるだけだった。
「そうそう、彼とは最近どう?」
「どう、とは」
「桜並木デートしてた彼」
「だからデートじゃないですって」
「はは。そういうことにしとこうか。──今も交流続けてるのかい?」
「……まぁ」
佐伯の含むものを捉えるのは、五十嵐は得意らしい。
「何かあった?」
佐伯は恨みがましく五十嵐を見た。
「そういう鋭さは仕事の時にだけ使ってください」
「キミに関しては難しいね。ボク、キミのこと気に入ってるんだから」
「どういう……」
五十嵐は2杯目を注文して、
「あの夜のことを、ボクは忘れたことはない」
とのたまう。佐伯はため息をついた。
「レン君には聞かせたくないな」
軽く脅してやろうと意地悪く言ってみたが、五十嵐は涼しい顔だ。
「レンとは別れたよ」
「え」
咄嗟に五十嵐の顔を見た。店内の薄暗いライトに照らされて、彼の顔はひどく投げやりに見えた。
「結構前にね。あ、キミが原因ではないから、誤解なきよう。──ボクを狙うなら今だよ?」
ウインクに呆れて、佐伯は正面を向き直した。
「考えておきます」
「今、考えてほしいな」
「……」
五十嵐は流す気がなかったようだ。
「次は満足させるよ」
五十嵐の手がグラスを掴む佐伯の手に触れる。
「……もう、次はないです」
「ボクじゃもの足りなかった?」
佐伯の手が五十嵐の指からするりと抜け出した。空気に触れる五十嵐の手が、行き場をなくしたようにカウンターに取り残される。かたわらに彼の注文したグラスが静かに置かれた。
「すみません。先生は悪くないです。私の側に問題があるだけなんで」
「ふぅん。じゃあそれを早く解決しないとね?」
五十嵐の顔が不意に佐伯に近付く。
「そうだ、モタモタしてたら、ボクが彼を奪っちゃうかもしれないな」
彼、とは紛れもなく檜山のことだ。本来の五十嵐の好みの範囲からは大きく外れているはずだが、どこまで本気なのか。
「冗談でしょう?」
佐伯が胡乱な目を向ける。
「定番に飽きたら、たまには他に目を向けることだってあるよね」
責めるように顔を顰める佐伯に、五十嵐はいたずらめいた笑みを返す。
「何せ、キミが靡いてくれないんだ、冗談じゃすまなくなるかも」
「趣味が悪い」
呆れて返す佐伯に、五十嵐はふふふと笑った。
「ボク、無理強いも好きなんだよね。──あるいは、キミがその代わりをしてくれる、とか?」
どんな交換条件だ、と内心悪態をつく。冗談で言っているとは思うが、本音の隠し方が嫌らしい人なので苦手だ。焚き付けるにしたって遅すぎるのだが。
「──痩せたね」
「そう、ですか」
唐突に話が変わった。意図が見えず、佐伯は当たり障りなく答える。
「彼のせい?」
「……」
結局これか。なんでもかんでも檜山に結びつける五十嵐にはさすがに辟易する。佐伯は落ち着いて事実を伝えた。
「よくも悪くも仕事が捗っていただけです」
「なるほど、そうも言えるね」
「先生、いい加減にしてください。彼は関係ありません」
ため息混じりで答える。次の出方次第では万札の準備が必要だ。
「ボクは嫉妬深いからね。キミが否定すればするほど、疑ってしまうんだよ」
「……仕事の話は」
佐伯は最後の手段を繰り出した。しかし五十嵐は平然とグラスをあおる。
「これを機になくなったっていいさ。まぁ、公私を混同しないのが結木先生の美点だと、ボクは思っているけど?」
五十嵐の手が再び佐伯のそれに重なる。
「ああそうだ」
「?」
「勘違いだと思うけど、キミのデビュー作に出てくるあのキャラクター、彼にそっくりだね?」
「!」
佐伯の表情が固まった。
「主人公と1度は袂を分かち、紆余曲折の末に結ばれる運命の相手だ」
「……」
「彼はもう先生の小説は読む気はないのかな?」
「さぁ……わかりません」
「とぼけるなんて先生らしくない。ボクにカバーを頼んだのは、そういうことでしょ? ──ていのいい虫除け」
カラン、どこかのグラスの氷が崩れた。
「……」
「ボクを利用する見返りくらいはほしいなぁ」五十嵐の顔が佐伯の耳に近付き、「未練がましい先生の我儘に、付き合ってさしあげますよ」
佐伯は睫毛を震わせながら目を閉じた。勝てない、と思った。
※
佐伯はあの日から態度を変えることはなく、檜山も淡々と日々をこなしていた。まるであの告白は夢だったかのように。
けれどコンビニであのひと口チョコレートを見る度に、あれは現実のことだったのだと突きつけられる。佐伯の手に転がされていたビターチョコレートの塊。返事の買収なんておかしな話だが、そもそも男が男に告白したのだから、そういう退き方もあるのだろう。だからここは佐伯の思うようにすればいいはずだ、と檜山は結論付けた。
それで終わったと思っていた。
それが誤りだとわかったのは、数日後の放課後のこと。檜山が教室に足を踏み入れた時、誰もいないと思われていたそこには人がいた。
「お、檜山じゃん。ちょうどいいや。災難だったな、お前こいつに告白されたんだって?」
クラスメイトの山下だ。取り巻きに巻かれながら生きているこの男は、今日も手下を引き連れて、ニヤニヤしながら檜山に声をかけた。
彼らの向かい側には佐伯がいた。なぜか白い顔で棒立ちになっている。
檜山は不穏な空気を察したが、山下を一瞥するだけで自分の机に向かった。買ったまま放置していた菓子パンを引き出しの奥から引っ張り出す。
「なんで知ってんの」
否定も肯定もせずに問い返すと、山下がおもむろにボイスレコーダーを掲げた。
「……盗聴趣味かよ」
「違ぇし。地理のトイセンが現国のヤマピと不倫してるって噂聞いてよ。証拠集めしてたんだよ」
それが悪趣味だと言っているのに、山下はニヤニヤ笑いのままボイスレコーダーを掌で転がしている。
「昨夜再生したらこれだよ。マジで、爆笑もんじゃん?」
檜山は黙ったまま。山下は痺れを切らしたのか、再生ボタンを押した。
『……好きだよ』
『なに』
『それだけ』
忘れかけていたあの日のやり取りが檜山の蝸牛を刺激した。心の内に湧き立つものを感じる。
「こういうのはさー、胸にしまっておくもんじゃねぇの? 檜山困ってんべ? なぁ、謝れよなぁ、ちゃんと」
真っ白い紙みたいな顔をした佐伯の目線が、檜山の上靴のあたりを見ていると感じた。それがふらりと動き、彼の体が沈む。両膝を床に付いて、両手も床に付けて頭を下げる。
「──迷惑をかけてごめんなさい」
檜山はその言葉を聞き終わる前に山下に飛びかかり、殴っていた。
土下座の態勢のまま、佐伯がビクッと体を揺らすのを視界の端に見える。檜山は床に倒れ込んだ山下を追って、道を塞ぐ机や椅子を蹴り飛ばしていく。山下の取り巻きはそれを怯えたように見つめるだけだ。
「お前、おもしろいことしてんのな。俺にも参加させろよ」
「痛えって! やめろよぉ!」
「知らねぇよ。頭を床に擦り付ける遊びだろ? お前でもできんじゃん。早くやれよ、ほら」
言いながら山下に追いついた檜山は、痛みに喘ぐ山下の胸ぐらを掴んでもう1発殴り付け、悲鳴をあげて倒れ込む彼の頭に上靴を乗せた。
やめろよ檜山、と弱々しく訴える取り巻きと、蹲ったまま頭を上げて呆然とその様子を眺める佐伯と、騒動を聞き付けて駆けてきた教師らとで、教室内は混沌とした。
その後、双方の事情を鑑み、山下は通院加療込みで1週間の謹慎。檜山は怪我の補償はしない代わりに3週間の謹慎処分が下った。
檜山が復帰したあとの教室の雰囲気は最悪だった。
席替えも行われていた。以前は隣り合っていた檜山と佐伯は教室の端と端に移動させられていた。しかも檜山は窓側の1番うしろ、佐伯は廊下側の1番前という徹底ぶりだ。ちなみに山下は廊下側の1番うしろだった。佐伯と視線が交わることはなくなった。
変わったことはもう1つ。休み時間のたびに佐伯が教室からいなくなるようになった。始業チャイムが鳴るギリギリまで帰ってこないことも増えた。遅れて戻ってきても、教師もクラス委員も誰も佐伯を注意することはなかった。檜山とはまた違うやり方で、関わらない、触れない、が徹底されていた。
檜山はそれにただイライラした。




