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久々に会おう、となったのは、梅雨と夏の暑さが入り乱れる深い極まりない時期になってからだった。
見るからにやつれている佐伯を見て、檜山は彼の注文したサワーを移動させながらさすがに声を上げた。
「やばいぞ、お前」
当の佐伯は意に介さず、苦笑いでこれを受け取る。
「やっぱりそう見える? 今回はテーマがちょっと難しくてさ。自分で受けたから仕方がないんだけど、締切ギリギリで三島さんには迷惑かけちゃって。まぁ、自業自得だね」
三島とはあの女性編集者のことだ。
「とりあえず食え」
「はーい」
佐伯の前に注文したシーザーサラダと刺身盛り合わせと唐揚げと肝串ととんぺい焼きを並べたら、佐伯は大笑いした。
「帰省した息子を心配するお母さんじゃん」
「バカ。こんなでけぇ息子こっちから願い下げだ」
結局2人で粗方食べ尽くして、追加注文したホタテのバター焼きを肴に日本酒をちびちび飲みながら会話が再開される。
「誰か看てる奴いねぇの?」
「誰って?」
「お前」
「ああ」
佐伯の健康面で面倒を看る人物がいるか。そう檜山が訊くと、頬がほんのり桃色になった佐伯はあっさりと答えた。
「いないよ。ずっと独り暮らしです」
「ペット飼うとか」
「考えたことないなぁ。世話が大変そうで」
檜山も自分の部屋でうろつく小さな生き物を想像してみた。想像できなかった。
「まぁ、自分の世話で精一杯か」
「そうそう。自営業で自由業で、出来が悪ければ懐も冷えて、想像力の枯渇に怯えながら毎日を過ごしている」
「ひどい言いようだな。それでも続けてるんだから、お前にはその才能があるし、身の丈に合ってんだろうな」
「君だって、辛い辛いと言いつつ続けてるんだから、適性はあるんだよ」
「はぁ。それ褒められてもなぁ」
ぼやきつつも、檜山はまんざらでもなく思った。佐伯が認めるなら、もう少し続けてみてもいいかと。
「こうやって世間の狭さも実感できたことだし、今までがんばってきてよかった」
「大袈裟だな」
ご機嫌に笑顔を見せる佐伯を見て、檜山はふと口が滑った。
「あの人には面倒看てもらってないのか?」
「あの人?」
「前の花見の時の」
佐伯の空気が変わったのがわかった。静かに檜山の目をひたと見据える。
「五十嵐先生? どうしてそう思う?」
「え、いや……親しそうに見えたし」
「そりゃあ、仕事で何度かお世話になってるしね。だからって、それで面倒看てもらうなんて考えたこともないよ。あれだよ、ビジネスパートナーって奴」
檜山は、思った通りだ、と内心安堵した。しかしそれにしてはやけに馴れ馴れしかったが。
「俺に当てつけみたいにベタベタしてた」
「そう?」
「──どうせ、『処女を捧げた』のもあいつだろ」
アルコールの責任となすりつけるには失言に過ぎた。
店内が静かになったのかと勘違いするくらいに、檜山の耳に唐突な空白が生まれた。周囲は相変わらず出鱈目に騒いでいて、店員も誰も檜山たちの不穏な空気に気付かない。
「いや。いい。忘れてくれ」
「……たしかに、俺の最初の相手は彼だよ」
呆気なく認められて、檜山は却って冷静になった。
「そう、か」
「勘違いしてほしくないんだけど、あの人にはパートナーがすでにいるんだ。俺はその人の許可を得た上でおこなっただけだよ。檜山だって、どこの馬の骨とも知らない相手よりはいいだろ?」
「え? まぁ、そりゃ……」
言ってから嵌められたような気分になった。なぜ自分の気持ちを慮られなければいけないのか。
「何ごとも経験だよ。やって後悔するか、やらないで後悔するか。短い人生なんだし」
何度も聞いた佐伯の口癖。空の猪口を見つめながらの佐伯の諦念めいた言いように、檜山は苛立ちを覚えた。
「──後悔は」
「ん?」
「後悔はなかったのか」
やった後悔はなかったのか、と檜山は訊いた。
──俺の時とは違って。
「……全体的には気持ちよかったよ。だからやって後悔はない」
男の体のなんと単純なことか、と笑ったけどね、と佐伯は言った。
「でも、もうこれきりだ」
「……もう、しないのか?」
檜山は確認するように訊く。
「うん。しない。俺はそういう分野では期待しないことにしたんだ。というかどちらも俺には向いてない」
実に晴々とした答えだった。
そんなことはないだろう、と檜山は思った。いや、世の中には異性同性どちらも不向きとされる人が存在することは知っている。
佐伯はおのれもそうだと言う。
かつて檜山に告白した自分を、「向いていない」と断じた。
彼の可能性を断ち切ったのは自分かもしれない、と檜山は思った。だから彼の言葉を否定するために言った。
「向いてないなんて、決めつけんなよ。諦めるな」
檜山の言葉に、佐伯は黙った。黙って、静かに口を開いた。
「君が……」
そこまでだった。言葉を忘れたように佐伯は止まり、訝しむ檜山の前に数枚の紙幣を置いた。
「おい?」
いきなりなんだ、と問う声には答えず、佐伯は「ごちそうさま」と言って席を立ち、店を出ていってしまった。
「……」
その様子を見ていた戸惑い気味の店員がとりあえず「あっしたー」と声を投げ、檜山とテーブルを見た。檜山は「会計で」とだけ言い、佐伯の残した紙幣を財布に押し入れた。
以降、佐伯との連絡は途絶えた。
※
檜山はいわゆるカースト上位の女子を羨ましく思うことがある。よく言えば「歯に衣着せぬ」、ありていに言えば「ノンデリカシー」。その境目を綺麗に縫ってくる判断力は見習いたい。
特に今。
「佐伯さぁ、檜山のこと好きなん?」
学園祭の準備で居残りさせられた日。
廃材を廃棄場所に運び、教室に戻る途上だった。教室から、クラスの女子たちのある種威圧的な声が聞こえた。檜山は足を止める。同じ空間には佐伯がいるようで、彼に話しかけているのだ。
外野は黙ってろよ、と内心毒付くものの、足は声の主の方へ向かず立ち止まったまま。
「あいつに迷惑だから、その話はやめよう」
「えー? でも檜山のやつ、山下殴ったんっしょ? 山下が佐伯をいじったからって」
「違うよ。俺が最初に檜山を揶揄ったんだ。それに山下が気づいて、俺が謝って、でも遅くて……」
それは違う。
「元は俺が悪いんだ。だからもうその話はしないでほしい。檜山にも迷惑だから」
女子たちの戸惑う笑い声が上がる。
「てことは佐伯は檜山のこと、なんとも思ってないわけ?」
「そうだよ。なんとも思ってない」
佐伯は無感情そのままでそう言った──ように檜山には聞こえた。
クラスの雰囲気は、よそよそしくも次第に元に戻っていった。穏やかに、〈楽しかった3年生〉を無事に終えた。
檜山と佐伯はただのクラスメイトの関係に戻った。いや、最初から進んですらいなかったのだから、戻るも何もない。檜山と佐伯は互いに風景の一部であり続ける。




