04_凶作の村と非情な徴税人
「返してください! それは、冬を越すための麦なんです!」
痩せた女が、荷車へ積まれた麻袋へしがみついた。
徴税人は女の指を一本ずつ引きはがし、地面へ突き倒す。
「税を納められない者に、食う権利があると思うな」
乾いた土の上へ、女の幼い息子が駆け寄った。
「母さん!」
荷車には、村中から集められた麦や豆の袋が積まれている。その後ろには痩せた山羊がつながれ、さらに何枚もの木札が重ねられていた。
木札には、没収する農地の場所が書かれている。
ひび割れた畑を見渡せば、今年の収穫がどれほど少なかったかは明らかだった。
それでも徴税人たちは、村人が残したわずかな食料まで奪おうとしている。
「その麦は、もうバルガス男爵閣下のものだ。返してほしければ、足りない税を今すぐ払え」
「先月、言われた分はすべて納めました!」
「今月になって不足が見つかった。金がないなら家畜を出せ。家畜もないなら畑を差し出せ。それが領主様の決まりだ」
「畑までなくなったら、私たちはどうやって……」
「それを考えるのは、お前たちの仕事だ」
徴税人の後ろで、武装した男たちが笑った。
一人の老人が、女と子どもをかばうように前へ出る。
「もうやめてくれ。この家から取れるものは、それで全部だ」
「まだ口答えする元気があるじゃないか」
徴税人が手にした棒を振り上げた。
振り下ろされるより先に、その手首がつかまれる。
「そこまでにしてください」
黒髪の青年が、老人との間に立っていた。
テオドリックは徴税人の腕を押し戻し、女と子どもから距離を取らせる。
その後ろには、巨大な両手剣を背負ったケルベールと、黒髪を短く切りそろえたニーナがいた。
オズワルド子爵を処断した後、三人は予定していた巡察を続け、別の土地へ入っていた。
ここはドミニク・バルガス男爵の領地。その最初の村で目にしたのが、この徴収だった。
徴税人は手首をさすりながら、テオドリックをにらむ。
「何者だ。余所者が領主様の徴税を邪魔する気か」
「僕たちは旅の冒険者です」
テオドリックは女へ手を差し出した。
「立てますか」
「は、はい……」
女が立ち上がるのを確かめてから、徴税人へ向き直る。
「今年、この村は凶作だと聞きました。なぜ、食料まで取り上げるのですか」
「貧乏人がいくら泣こうと、納めるものは納めてもらう。これはドミニク・バルガス男爵閣下の命令だ」
徴税人は、村人たちへ聞かせるように声を張った。
「男爵閣下に逆らえば、この村に二度と商人も治療師も寄こされない。井戸の修繕も、魔物が出たときの兵もなしだ。それが嫌なら黙って差し出せ」
村人たちがうつむく。
領主の名を出せば、誰も逆らえないと思っている顔だった。
「徴収額を記した書面を見せてください」
「平民に見せる義務はない」
「では、食料と家畜を返してください。農地の没収も中止してもらいます」
「冒険者風情が、男爵閣下の命令を取り消せると思うな!」
徴税人が腕を振ると、武装した男たちがテオドリックを囲んだ。
最初の一人が、鞘に入ったままの剣を振り下ろす。
テオドリックは半歩だけ前へ出た。
腰の片手剣を抜き、相手の剣を根元から断つ。
驚いて止まった男の胸へ、刃の腹を当てて押し返した。男は後ろの二人を巻き込み、乾いた地面へ転がる。
別の男が槍を突き出した。
テオドリックは穂先を斬り落とし、そのまま柄を踏みつける。槍を引き戻そうとした男が前のめりになり、柄頭をみぞおちへ受けて膝をついた。
残った者たちの足が止まる。
テオドリックの剣には、血の一滴も付いていない。
「まだ続けますか」
誰も動かなかった。
ケルベールが荷車の前へ立つ。
巨大な両手剣を地面へ下ろしただけで、馬を進ませようとしていた男が手綱を離した。
「荷を戻せ」
短い命令に、徴税人の配下たちは顔を見合わせる。
「聞こえなかったかな」
テオドリックが剣を収めると、彼らは慌てて荷車から袋を下ろし始めた。
ニーナは受け取った袋の印を確かめ、持ち主の家ごとに分けていく。つながれていた山羊の縄も外し、泣いていた子どもへ渡した。
最後に、農地を没収するための木札を一枚ずつ回収する。
ケルベールは徴税人たちから武器を遠ざけ、持っていた縄で両手を拘束した。
「勝ったつもりでいるな」
徴税人が地面に座り込んだまま、テオドリックをにらみ上げた。
「男爵閣下の徴税人に手を出したんだ。この村も、お前たちも、反逆者として処刑されるぞ」
「そうならないよう、事実を確かめます」
「何を確かめようと同じだ。ここでは男爵閣下の言葉が法だ」
「帝国の中に、帝国の法が届かない土地はありません」
テオドリックの声は穏やかなままだった。
だが、徴税人はそれ以上言い返せなかった。
◇
村の集会所には、何枚もの徴収証が持ち込まれた。
「最初は、凶作でも税は変わらないと言われました」
村長が、震える指で一枚目を示す。
「どうにか全戸から集めて納めました。すると次は、領地を守るための特別徴収だと。先月は、納付が遅れた罰金まで求められました」
「遅れたのですか」
「いいえ。言われた日までに納めています。ですが、徴税所には受け取った記録がないと……」
ほかの村人たちも、次々と証書を差し出した。
名目は違う。
領地防衛費、街道修繕費、凶作対策費。
同じ家から、ひと月のうちに何度も徴収されていた。
払えなくなった家には没収の印が押され、食料、家畜、最後には農地まで奪われる。
「帝都へ凶作の訴えは出しましたか」
「徴税所を通して、何度も。男爵様が必ず届けると……」
テオドリックは徴収証を日付順に並べた。
帝国の規定では、凶作地には納付の猶予や減免が認められる。少なくとも、冬を越す食料や翌年にまく種まで奪う徴収は許されていない。
まして、徴税人が勝手に農地の所有を移す権限などない。
「この額は、正規の税ではありません」
村人たちが顔を上げる。
「でも、男爵様の命令だと……」
「領主の命令でも、許されないことはあります」
「では、返してもらえるのでしょうか」
すがるような問いに、テオドリックはすぐには答えなかった。
食料と家畜は、今ここで返せる。
だが、すでに奪われたものをすべて取り戻し、責任者を裁くには、村人の証言だけでは足りない。
帝都へ報告された税額と、この村から実際に取った額。その両方を記した記録が要る。
「取り戻すために、確かめるべきものがあります」
テオドリックはニーナを見る。
「徴税所と男爵邸を調べられるかな」
「はい。日が落ちる前に、出入りと保管場所を確認します」
ニーナは村人たちから徴収証を数枚借り受け、折れないよう布へ包んだ。
「ケルベールは、ここを頼む」
「承知」
集会所の外では、拘束された徴税人たちが村人の見張りを受けている。
ケルベールが入口へ立てば、彼らが逃げることも、村人へ報復することもできない。
テオドリックは、床に並んだ徴収証へ視線を戻した。
「今夜は、返ってきた食料を使ってください」
「ですが、また奪われたら……」
「奪わせません」
短く告げると、女は胸元に徴収証を抱きしめ、深く頭を下げた。
◇
日が落ちてしばらく後、ニーナが集会所へ戻った。
黒い外套には土埃一つ付いていない。
彼女は戸を閉めると、机の上へ数枚の書類を広げた。
「徴税所に、帝都へ提出した表帳簿の控えがありました」
ニーナが一枚目を指す。
「バルガス領は凶作地として申告されています。この村の税も減免され、正規額はすでに完納したことになっています」
村長の目が見開かれた。
「では、私たちがその後に納めたものは……」
「帝都へは一切報告されていません」
次に示したのは、徴税所の机から確保した集計書だった。
村人の徴収証と同じ日付、同じ名目、同じ額が並んでいる。
だが、表帳簿にはそのどれも記されていない。
「上乗せ分だけを別に記録しています。正規税として帝都へ送るのではなく、すべて男爵邸へ運び込んでいました」
「男爵邸も確認したのか」
「はい。裏門から入った荷は、領の倉庫ではなく、邸の敷地内にある別棟へ集められています」
ニーナは、最後の紙へ指を置いた。
「この集計書は、その別棟へ送る荷の控えです。末尾に、男爵邸の受領印があります」
村人の証言と、手元に残った徴収証。
帝都へ出した表帳簿と、そこから外された上乗せ分の集計書。
別々の記録が、同じ不正を示している。
ドミニク・バルガスは、凶作を報告して正規税の減免を受けながら、住民にはそれを隠していた。
そのうえ、名目を変えて何度も徴収し、余分に奪った食料と財産を自分のもとへ運ばせている。
「ただし、これだけで全容を確定することはできません」
ニーナが続けた。
「男爵邸には、上乗せ徴収をまとめた別の帳簿があります。没収命令書と、別棟へ入れた財産の記録も保管されていました」
「持ち出せなかった?」
「警備が増えています。集計書が一枚なくなったことにも、間もなく気づくでしょう」
テオドリックはうなずいた。
急いで責任者を捕らえれば、目の前の被害は止められる。
だが、ドミニク本人の命令と、不当に奪った財産の行き先まで確定しなければ、すべてを村人へ返すことはできない。
必要な証拠は、男爵邸に残っている。
「明日、男爵邸へ行く」
「では、今夜は?」
「村を守る。ドミニクが集計書の紛失に気づけば、黙って待ってはいない」
その言葉に答えるように、遠くで馬のいななきが聞こえた。
◇
ドミニク・バルガス男爵は、食べきれないほど料理の並んだ卓上へ杯をたたきつけた。
「徴税人を捕らえ、荷を村へ戻しただと?」
ひざまずいた使者が、床へ額を近づける。
「はい。黒髪の若い冒険者と、二人の仲間です。女のほうは徴税所へ入り、集計書を持ち出したものと……」
「役立たずどもが」
ドミニクは、皿に残った肉を床へ払い落とした。
使者の肩が震える。
「表帳簿の原本までは奪われておりません。裏帳簿も、邸の書庫にございます」
「村人が証言すれば同じことだ」
ドミニクは椅子から立ち上がった。
凶作で何人飢えようと、彼には関係がない。
税を減らせば、自分が使える金と食料が減る。ただそれだけだった。
「徴税人を襲い、領主の財産を奪い、徴税記録を盗んだ」
口にするたび、村人の罪が作り上げられていく。
「十分な反逆ではないか」
「しかし、相手の冒険者はかなりの腕だと――」
「ならば、数で押し潰せ。討伐兵を出せ」
ドミニクは使者を見下ろした。
「村を包囲しろ。黒髪の三人から証拠を取り戻せ。村人も旅人も、一人残らず反逆者として扱え」
「御意」
使者が立ち上がり、扉へ向かう。
「待て」
ドミニクは冷たく告げた。
「夜明けを待つな。反逆者どもを処刑しろ」
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