03_その爵位、剥奪する
鎖につながれた青年が、子爵邸の中庭を引きずられていた。
両手首には鉄輪がはめられ、足元もおぼつかない。背を押した私兵が、よろめく青年を怒鳴りつける。
「さっさと歩け。次の買い手が待っている」
私兵がもう一度手を伸ばすより先に、その手首へ剣先が添えられた。
「その者を離せ」
テオドリックは、門からまっすぐ中庭へ踏み込んでいた。
その後ろにはニーナとケルベールが続き、ケルベールは拘束されたガルドの襟首をつかんでいる。
私兵は黒髪の青年を見て、眉をひそめた。
「何者だ。ここをグラーデン子爵閣下の邸と知っての――」
「知っている。余は、オズワルド・グラーデンに用があって来た」
私兵の顔に嘲りが浮かぶ。だが、テオドリックはもう調査へ来た新人冒険者ではない。
見習いたちは救出した。
帳簿、転移陣の登録記録、被害者たちの証言、ガルドへ出された命令書もそろっている。
ここからは、罪を犯した貴族を裁くための巡察だった。
「ガルドさん……?」
拘束された男に気づき、私兵の声が揺れた。
ガルドは顔を上げるなり叫んだ。
「こいつらを捕らえろ! 俺を助けた奴には、子爵様から褒美を――」
ケルベールが襟首を締め上げる。
「黙れ」
それだけで、ガルドの声は途切れた。
中庭の異変を聞きつけ、邸の奥から武装した私兵が集まってくる。
テオドリックは、その人数ではなく、鎖につながれた青年を見た。
「ニーナ」
「はい」
ニーナが鉄輪を調べ、細い道具を差し入れた。留め具が二度鳴り、青年の両手が自由になる。
「壁際へ。ここから動かないでください」
青年は何度もうなずき、ふらつきながら距離を取った。
テオドリックは私兵たちへ向き直る。
その静かな怒りに呼応するように、白金の光がテオドリックの輪郭を一瞬だけなぞった。
「案内は不要だ。余が直接会う」
私兵たちは剣を抜けなかった。
黒髪の青年が腰の剣へ触れてすらいないのに、誰一人として前へ出られない。
テオドリックが歩き始めると、彼らは左右へ下がった。
◇
オズワルド・グラーデン子爵は、広間の奥に腰掛けていた。
テオドリックたちが入っても立とうとはしない。
連行されたガルドを一瞥しただけで、興味を失ったように視線を外した。
「朝から騒がしいと思えば、薄汚れた冒険者が三人か。しかも、罪人を私の邸へ持ち込んで何のつもりだ」
「罪人だと、すぐにわかったようだな」
オズワルドの指が、椅子の肘掛けを一度たたいた。
「その男の格好を見ればわかる。私には関係のないことだ」
「子爵様!」
ガルドがケルベールの腕の中でもがいた。
「俺はあんたに言われたとおりにやったんだ! 見習いを集めて、転移陣へ送れって!」
「黙れ。貴様など知らん」
オズワルドは冷たく言い捨てた。
「どうせ私の名を使って金を集めていたのだろう。捕まった途端に責任を押しつけるとは、見苦しい男だ」
「ふざけるな! 売った金だって、ほとんどあんたが――」
「双方の言い分は聞いた」
テオドリックが告げると、ガルドが口を閉じた。
オズワルドは初めて、正面からテオドリックを見る。
「ならば、その男を連れて出ていけ。処刑でも何でも、好きにすればよい」
「ガルドの罪は、ガルドに償わせる」
テオドリックは一歩進んだ。
「そして、オズワルド。貴様の罪は貴様に償わせる」
「私を誰だと思っている」
「帝国の爵位を与えられながら、見習い冒険者を奴隷として売った首謀者だ」
広間の空気が張り詰めた。
オズワルドが片手を上げると、壁際の私兵たちが剣の柄へ手を置く。
「世迷い言は証拠を出してからにしろ」
「承知しました」
ニーナが前へ出た。
抱えていた書類を、広間中央の長机へ順に並べていく。
最初に開いたのは、ガルドの一味が保管していた帳簿だった。
「こちらには、失踪した見習い冒険者の氏名、引き渡した日、売却額が記録されています」
頁をめくるたび、いくつもの名と金額が現れる。
人の人生を、物の値段へ置き換えた記録だった。
「ガルドが勝手につけた帳簿だ。私とは関係ない」
「では、次を」
ニーナは別の書類を重ねた。
「奴隷商の収容所と、ダンジョン内の陣を結ぶ転移登録記録です。現場に残った術式とも一致しています」
「そのような魔術のことなど知らん」
「生きて救出された見習いたちの証言もあります。攻略へ誘われた経緯、拘束された場所、ガルドが口にした売却方法まで、それぞれ別に聞き取りました」
証言は、帳簿の日付や手順とも食い違っていない。
それでも彼は鼻を鳴らす。
「すべて、その男の罪を示すだけだ」
「いいえ」
ニーナが最後の一通を取り出した。
「ガルド・ベインに、見習い冒険者を選別し、転移陣へ送るよう命じた書面です」
開かれた命令書には、対象の選び方、受け渡しの手順、売却金の配分まで記されている。
そして末尾には、オズワルド・グラーデンの名があった。
「帳簿は実行、転移登録は手段、証言は加害の事実。そして、この命令書が指示者を示しています」
ニーナはオズワルドを見据えた。
「ガルドの実行責任と、あなたの指示責任。どちらも消えません」
ガルドが乾いた笑いを漏らした。
「ほら見ろ……俺だけ切り捨てようったって、そうはいかねえんだよ」
「黙れ!」
オズワルドが立ち上がった。
椅子が倒れ、床へ激しい音を立てる。
「平民風情が、子爵である私を裁けると思うな。この領地で私の言葉に逆らえる者などいない!」
テオドリックは静かに尋ねた。
「証拠を前にしても、まだ否定するか」
「証拠など、目撃者ごと消せばなくなる」
オズワルドは私兵たちを見回した。
「全員殺せ! 書類は焼け! 地下にいる商品も一人残らず始末しろ!」
剣が一斉に抜かれた。
テオドリックは、オズワルドから目を離さなかった。
証拠も、命令系統も、本人の責任も確認した。
そして今、オズワルドは自らの口で、証人と囚われた人々の殺害を命じた。
もはや、裁きをためらう理由は一つもない。
「ケルベール。ニーナ」
「御意」
「はい」
二人の近衛が、同時に剣を地面へ突き立てる。
巨大な両手剣と細身の直剣が床を穿ち、二つの金属音が一つに重なった。
テオドリックは、受け継いだ皇統の言葉を唱える。
「二剣を門に、我が血を鍵に。皇統よ、白金の証をここに――《皇装》」
白金の光が広間を満たした。
黒髪を覆っていた擬装が、闇を洗い流すようにほどけていく。
現れたのは、光を受けて輝く金髪。
黒かった瞳は、吸い込まれそうな深い翡翠色へ変わる。若い冒険者に見えていた顔立ちも、声も、そこに立つ者の気配さえも、本来の姿へ戻っていった。
白金の輝きが身体を包み、鎧となって顕現する。
背にマントが翻り、その上に皇統紋章が浮かび上がった。
ケルベールの左腕には、白金のカイトシールドが現れる。彼は床から引き抜いた大剣を、右手一本で軽々と構えた。
ニーナの両眼では、人工聖痕が皇装の力を受けて安定する。揺らぎのない光が宿り、広間を流れる魔力のすべてを見通した。
オズワルドは、誰より早く皇統紋章の意味を理解した。
「こ、皇統紋章……まさか、皇太子殿下……」
膝から力が抜け、机へ手をつく。
ガルドがオズワルドの顔と、マントに輝く紋章を交互に見た。
「皇太子……? あの荷物持ちが……?」
広間にいた私兵たちにも、動揺が走る。
目の前にいるのは、皇統の正当な継承者。帝国の皇太子、その人だった。
「剣を捨てよ」
テオドリックの声には、もう擬装の名残がない。
「いま武器を収める者まで、オズワルドと同じ罪には問わぬ。だが、民へ刃を向けるなら、余が止める」
何人かの私兵が、すぐに剣を落とした。
「騙されるな!」
オズワルドが叫ぶ。
「紋章など偽物だ! 殺せ! 命令に従え!」
迷っていた私兵が、恐怖に押されるように踏み込んだ。
ケルベールが最前列へ出る。
振り下ろされた剣と槍を、カイトシールドがまとめて受け止めた。
衝撃が広間を揺らしても、その巨体は一歩も下がらない。
「殿下の道を空けろ」
右手一本で振るわれた大剣が、私兵たちの武器だけをまとめて弾き飛ばす。
側面では、杖を掲げた兵が火球を生み出していた。
ニーナの両眼が、その魔力を捉える。
彼女は細身の直剣を銃身のように向けた。
放たれた火球が剣先へ吸い込まれ、形を失う。
次の瞬間、吸収した魔力が小さな光弾に分かれた。
連続して放たれた光が、私兵たちの剣、槍、杖を正確に打ち抜く。誰の身体も貫くことなく、武器だけが手から落ちていった。
その中央を、テオドリックは歩く。
一人が横から斬りかかる。
テオドリックは足を止めず、迫る剣を根元から断った。返した剣の腹で胸を打つと、男は床を滑って倒れる。
背後から放たれた風の刃も、振り向きざまの一閃で両断した。
「来るな……来るな!」
オズワルドは腰の剣を抜き、両手で振り上げた。
「私は子爵だぞ! 貴様のような若造に――!」
「爵位は、民を売る許しではない」
オズワルドが剣を振り下ろす。
テオドリックの一閃は、その刃を半ばから断ち切った。
続く柄頭がみぞおちへ沈む。
オズワルドは息を詰まらせ、膝から崩れ落ちた。
最後の私兵が武器を捨てる。
広間が静まり返った。
テオドリックは、床に伏したオズワルドを見下ろした。
「オズワルド・グラーデン。見習い冒険者を欺いて連れ去り、奴隷として売った罪。さらに証人と、拘束した者たちの殺害を命じた責任は明白だ」
「お、お待ちください、殿下……私は帝国に尽くしてきた子爵で……」
「帝国に尽くす者は、帝国の民を商品とは呼ばない」
テオドリックは剣を収めた。
白金の鎧と皇統紋章を、広間にいる全員が見ている。逃れようのない証拠も、本人の命令もそろっていた。
「オズワルド・グラーデン。皇帝陛下より預かりし巡察大権に基づき――その爵位を剥奪する。」
オズワルドの顔から、残っていた色が消えた。
「グラーデン家は取り潰す。領地と財産は直ちに封鎖する。奴隷売買に加担した者は、身分を問わず一人ずつ責任を裁く」
「そんな……私の家が……私のすべてが……」
オズワルドは床へ両手をついた。
「殿下! 俺は命令されただけです!」
ガルドが声を張り上げる。
「子爵に逆らえなかった! 全部こいつが命じたんだ。俺は悪くない!」
テオドリックはガルドへ視線を向けた。
「貴様の責任がオズワルドと同じだとは言わない」
ガルドの顔に、希望が浮かぶ。
「だが、命令されたという言葉で、貴様が拘束した者たちの恐怖は消えない。人質を取ろうとした事実も、奴隷として売った罪も消えない」
希望はすぐに崩れた。
「ガルド・ベインは連行し、正式な裁きを受けさせる」
「そ、そんな……」
ケルベールが、逃げようとしたガルドの肩を押さえた。
「動くな」
ガルドは力なくうなだれた。
◇
子爵邸の地下には、窓のない部屋がいくつも並んでいた。
扉を開けるたび、鎖につながれた人々が見つかる。
冒険者らしい者もいれば、立ち上がる力さえ失った者もいた。
ニーナが一人ずつ状態を確かめ、拘束を外していく。
ケルベールは歩けない者を抱え、地上へ運んだ。
テオドリックは、最後の鉄輪を剣で断つ。
解放された男は、外れた鎖を信じられないように見つめていた。
「もう、売られることはない」
テオドリックは男の目を見て告げた。
「ここにいる全員を保護し、家へ帰せる者は帰す。奪われたものも、記録を調べて取り戻す」
男の唇が震え、何度も頭を下げた。
「ありがとう……ございます……」
テオドリックは、その礼を受けるために正体を明かしたのではない。
だが、自由を取り戻した人々の顔を見て、処断が届くべきところへ届いたことを確かめた。
地上へ戻ると、ニーナが新たな書類を持って待っていた。
「殿下。売却先の一覧です」
「オズワルドが人を流していた先か」
「はい。通常の取引先には、商会名か買い手の名があります。ですが、一部だけ名がありません」
ニーナが示した欄には、文字の代わりに同じ印が押されていた。
古い商会印とも、宗教的な装飾とも見える印だった。
だが、その印は一度ではなく、人が引き渡されるたび、受領を示す位置へ繰り返し残されている。
「魔術的な仕掛けはありません。人を受け取った側の受領印です」
「買い手の正体を、名ではなく印で隠しているのか」
ニーナは印を見つめた。
「商会ではなく、信仰で結ばれた組織が使うものです」
奴隷売買は、オズワルド一人を裁いて終わりではなかった。
名を隠したまま、人間を受け取り続けていた者たちがいる。
テオドリックは、売却記録に残る印を見据えた。
ニーナが静かに告げる。
「売却先は商会ではありません。――正体不明の教団です」
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