127話
月明かりが優しく溶け、肌触りの良い風が高揚する熱気を運んでくれる。
そんな夜だった。
昨夜と変わらず、きっと明日以降も変わらないそんな夜だと思っていた。
それが突如として特別な夜へと相成った。
それはとても忘れ得ぬ光景。
寝物語ような現実味の無さでありながら、夢ではありえない鮮烈さ。
楔を打ち込まれたかのような衝撃。
良いのか悪いのか。
今後の人生を一変させてしまう、そんな一夜だった。
事が始まった切っ掛けは何の気なしの無い一言から。
誘った当の本人ですらダメ元前提の提案。
しかし、思いがけない了承。
幾つもの思いが重なった偶然の一夜。
万全ならずとも悔いを残さぬようにと、わらび餅は急いで外に出て準備を整える。
そして約束の時間。
事ここに至って、わらび餅は考える。
これを独り占めするのは、いささかバツが悪い。
多少の罪悪感が沸いた。
折角だ、と眠る子供達を起こして声を掛ける。
夜更かしする価値があると。
ついでに近くにいたアゥリスにも声を掛けた。
ストーカーは止めとけと言葉を添えて。
そして中庭へと向かった。
突如として声を掛けられた者達は訳も分からず騙されたつもりで中庭を覗き見た。
そこには2人の人物が立っている。
声は聞こえないが仕草からして一言二言、なにかの言葉を交わしていた。
そして2人は動き出した。
それは踊っているようであり、語らう姿は歌っているようだった。
楽しそうに歌い踊る姿はどこか幼子の遊びのように見え、しかし神々しくもあった。
踏みしめた砂の息遣いが聞こえるようである。
夜でも明るいこの国の光が彼らに集中して浮き彫りにしているようであり、夜の暗闇が2人以外の全てを塗りつぶしているかのようだった。
言葉が出ない。ただただ、凄いという感想しか出てこない。
どんな着飾ったセリフもこれを前には陳腐に感じる。
一つ一つの動作に目を奪われ、一つ一つの所作にまばたきする事を惜しませる。
呼吸を忘れてしまいそうになる。
無垢な者達は目を輝かせた。
ただただ、その光景に魅入ってしまう。
そこに彼に対する恐怖心はなかった。
雄弁に語る躍動が飛散させた。
恐怖は憧れへと変化した。
月の光を溶かしたかのような毛並みの獣人は、時が止まったかのように微動だにしない。
あぁ、目が眩みそうだ。されど焼き付けねば。
それが終わるまでひたすらに見続けて焼き付けた。
脳と目と魂に。
あぁ。
あぁ.........。
もうあなた以外に見えはしない。
焼き印を押されたかのようにジクジクと胸が焦がれる。
魂を焼く残火の熱が吐息として甘く漏れ出る。
今夜のことを思う事はそれぞれではあるが、どちらも目撃したものは眠れぬ夜となった。
◇◆◇
わらび餅と遊んだ翌朝。
清々しい朝だ。
程よい運動と久し振りに全力で動いたおかげでとてもスッキリとしている。
遊びは心の栄養だな。
御礼を言おうと思ったが、わらび餅は今日もどこかへ行っている。
こういった日は晩御飯あたりに帰ってくるのは分かっているのだが、行くなら行くで一言言ってくれればお弁当ぐらいは作るんだがな。
まぁ、先に食べておこう。
いつものように朝食を持っていくと子供たちの雰囲気が妙に変わっていた。
いや、妙ではない。あからさまと言っていい。
こちらに対して恐怖交じりの視線だったのが、今日は異様に目が爛々と輝いている。
羨望と好奇心。
視線がくすぐったい。
「えー、ご飯食べようか」
その言葉にソロソロと近づいてくる。
ん?
なんだか子供達にうっすらとクマがあるように見える。
眠そうには見えないが、昨日は夜更かししたのだろうか。
興奮するような話題で盛り上がったのだろうか。
どんな話だったのか聞いて見たくもあのだが、ここは夜更かししていたことを注意すべきだろうか。
んー。
少し悩んでスルーする事にした。
そういう日があってもいいよね。親睦が深まったと言う事なんだから。
こっちも夜更かしして遊んでたわけだし。言える立場でもない。
モグモグと朝食を一緒に食べ進めていると子供たちがジワジワと近づいてくる。
いつもは距離を取って食べているのだが......もしかしたら一緒に食べてくれるチャンスか。
拒絶されたら悲しいが、ここは勇気の奮いどころ。
軽く手招きをすると顔から光が差したかのように明るい表情で近づいてきた。
仲良く一緒に朝食を食べる。
あぁ、嬉しい。
シンプルに嬉しい。
なんか一気に報われた気がする。
この瞬間で今日の一日は勝ちが確定した。
何が起きてもご機嫌である。
「スープのおかわり欲しい人」
はい!!
元気のいい返事だ。これで3日は保ちそうだ。
全員のおかわりを配っていて気が付いた。
1人多い。
そして、あまりにも自然にいて気が付かなかった。
何故か隣にアゥリスがいる。
えー.........
シンプルに怖かった。
何故ここにいるのかを聞き出したいが、先程勇気を奮ったので在庫切れだ。
少し遠回しに聞いてみるか。
「えっと、美味しいですか?」
「うん」
遠回しすぎたかもしれない。
だが美味しくはあるらしい。
うむ、嬉しくはある。
だがそんな言葉では引き下がらない。
一呼吸入れて腹を括る。
よし、言うぞ。
「特に出汁が良いのかな。ホッとする優しい味だ」
「まぁね」
そこを褒めるのか............。
まぁ、分かってるじゃないか。時間かけたしね。
取り方にも工夫したしね。
うん。今回は見逃す事にしよう。
こだわった所を褒めてくれる人に悪い奴はいない。
知らない仲でも無いし。良い事にしよう。
全員でご飯を食べてごちそうさまをした。
子供たちは楽しそうにひそひそと話し合いながら、いつも通り仕切りの中へと入っていった。
可愛らしいものだ。
鼻歌でも歌いたい気持ちで後片付けているとアゥリスから声を掛けられる。
「最近........どうだ」
どうだ、と言われても反応に困るのだが。
「割と、順調ですかね。稼ぎも安定してるし子供達もようやく心開いてくれたようだし、うん。順調ですね」
「そうか」
会話終了かな。
「困った事とか無いか?」
「細かいところは言えばキリないですが、おかげさまで大きいのはないですかね」
「そうか。良い事だな」
「そうですね」
........なんだろうか。この空気は。何かしらの話題をこちらから提供しないといけないのか。
「あぁ、えっと。あえて言えばですが」
「うん」
顔は平静ではあるのだが、耳が一斉にこちらを向く。
「社会奉仕ってのは何処まですれば良いのかなってのが気になってますかね。基準みたいなのがあれば教えて欲しいかな、と」
何時まで居れるのだろうか。
「.........本人が一定の収入を得て税を納められるようになった時。里親のような責任が取れる人が見つかった時などがあるな」
「どれも時間が掛かりそうですね」
「そうだな」
「他にはありますか?」
「........手っ取り早いのが国指定の学術機関などの入学だな」
なるほどな。
まぁ、そもそもが学校への繋ぎとしてを想定しての社会奉仕と言う事か。
学校への入学。普通はその方が良いか。
いざとなれば里親を考えていたが、比べるまでもなく学校の方が良いよな。
「入学となるとアズガルド学園とかですかね」
フレアが入ってた学校だ。
「それも一つの選択ではあるが、あそこは魔法重視だ。獣人では難しいだろうな」
「子供らでも入れそうなとことかありますか?」
「人間でいうところの血筋、金、学力という前提が無いとなると、やはりこちら側になるだろう。こっちは良くも悪くも実力主義だからな。実力があればどこへでも、だ」
「オススメとかありますか?」
「........」
サラサラと何かメモ用紙に書きあげる。
「ここなら入るだけで一目置かれるだろう。今の実力では難しいだろうがな」
メモを受け取る。
学校名と受付についての情報が書かれている。
有難い。
ただ、子供達との別れのラインも明確に見えてしまった。
少し寂しく感じるのはエゴだろうか。エゴだろうな。
仕込みのために食堂へ向かう。
「他にはないか?」
まだ付いて来ていた。
「え、まぁ、先程の事じゃないですけど、順調とは言えお金ですかね。額が額なので」
「良ければ私が立て替えるが」
「それは流石に申し訳なさすぎますよ」
どんな奴だって貸し出すのに躊躇する額だ。さらには保証も担保も無いのでなおさらだ。
もしかしたら冗談だったのだろうか。
真剣な顔で言われると判断が難しい。
その後、幾つかの雑談をこなして解散した。
黙々と仕込みをしているとボスが顔を出した。
「ちょっといいかい?」
「まだ開けてませんよボス。夜まで待ってください」
「違うよ。そっちじゃ無い。ちょっと噂で聞いてね。お金が必要とか」
「耳が早いですね」
ついさっきだ。
聞き耳でも立てていたのだろうか。
「頑張ってる奴は助けたくなるのもんさ。人情さね」
「なるほど」
「あんたに良い話を持ってきたんだがやるかい?」
「内容次第です」
「食堂が終わったら来な。終われば小金持ちだ」
断れなさそうな雰囲気だ。
おそらく提示される報酬額相応の厄介事だろうな。
断りたいものだ。




