第7話「触ってはいけないもの」
冒険者ギルドの掲示板には、人によって触っていい紙と、触ってはいけない紙に分かれている。
「だから、それは駄目だってば!」
「見るだけですよ」
「剥がそうとしてたでしょ」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけ剥がすって何? 貼り直す身にもなってよね」
朝。
ハンナは掲示板の前で、若い冒険者の手首を掴んでいた。
男の名前はノア。冒険者歴一年半のDランク。腰には装飾多めの剣。背中には小さな盾。
そして手には、触ってはいけない依頼書。
「あっ! 剥がしてるじゃん!」
「これ、報酬すごいんですよ」
「知ってるよ、もちろん」
「護衛だけですよ?」
「それも知ってる」
「馬車一台ですよ?」
「馬車一台だね。書いてあるとおり」
「じゃあ俺でも」
「Cランク以上とも書いてるよ?」
「そこだけ読めない」
「便利な目だね。視力不安定でEランクに戻そうか?」
ハンナはノアの手から依頼書をひったくって元の位置に貼り直した。
掲示板の上段。赤い線が引かれた部分より更に上。Cランク以上限定の依頼しか貼られない場所だ。当然、数は少なく、報酬は桁違いに多い。
対して、ノアが手を伸ばしていい高さには、Dランク向けの依頼が何十枚も並んでいた。数があり、報酬はまちまちだが上とは比べるまでもない。
「こっちにしなよ」ハンナが一枚取る。「北街道の荷運び補助。いいね。世のため人のためだ」
「地味」
「じゃあこっち。東の丘で薬草採取」
「地味です」
「これは? 廃農園の害獣駆除」
「地味ですって」
「でもこれ討伐だよ? 派手寄りじゃん?」
「もっとこう、冒険者っぽいのないんですか」
「冒険者っぽいって?」
「オーガとか」
「死ぬ気? せめてCランクになってからね」
「俺、倒せますって」
「Cになってからね」
「俺、強いですよ」
「知ってるよ。酒場でもよく聞くもんね」
「じゃあ」
「Cになってから」
話が同じところを回り始めた。プリマはそれを少し離れた机から見ていた。
「二人とも、朝から元気だね」
誰にでもなく呟いたのを、向かいで書類を確認していたエレナが聞いていた。
「ノアさん、最近あれ多いですね」
「Cの依頼を受けたいーってやつ?」
「はい」
「酒場で何か言われたんじゃない?」
「昨日、同年代の方がC昇格候補になったそうです」
「え? そんな子いたかな」
「別支部ですが」
「なるほどね」
若者は比べる。年齢、稼ぎ、装備、討伐数、そしてランク。比べるものが数字になっていると、なおさら比べたくなる。もっとも冒険者なら若者に限った話ではないが。
「プリマさん!」
ノアがこっち来た。
「なに」
「俺、Cいけますよね?」
「今?」
「今すぐじゃなくても」
「じゃあいつ」
「次の昇格審査!」
「知らない」
「人事班長でしょ!」
「だからこそ、知らないって返事してるの」
「なんでですか!」
「審査内容を本人に教える人事がどこにいるの」
ノアは不満そうだった。プリマは面倒くさそうに手を振る。
「ほら、仕事しておいで」
「Cの?」
「やってみなよ。ここの三人の誰にもバレずに受けれるならね」
「Dにいってきまーす……」
ノアは一枚の依頼書を乱暴に取った。ハンナがそれを受け取る。
「採取クエスト? 討伐じゃなくていいの?」
「いいです」
「じゃあ内容読んで」
「東丘陵、岩百合の採取。十株」
「危険生物は?」
「小型魔物あり。大型種の目撃なし」
「注意事項」
「北側の崖には近づかない」
「よーし、OK!」
「子供じゃないんですけど」
「なんかさっき読めないところがあるって聞いたから」
「むー! 行ってきます!」
「いってらっしゃーい」
ノアは仲間二人を引き連れて腹立たしそうに出ていった。
プリマ達はそれを見送る。
「元気だね」
「若いですね」
エレナが言った。
「私たちもまだまだ若いよ」
「班長は私たちより上ですが」
「そういう意味じゃない」
「聞こえたぞ」
奥からリーが出てきた。朝から不機嫌そうな顔をしている。
「何が?」
「若いってところ」
「リーも若い」
「下手な世辞はやめろ」
「じゃあ中年」
「殺すぞ」
「元気じゃん。若い若い」
いつもの朝だった。
◇
いつもの朝ではなくなったのは、昼を過ぎてからだった。ざわざわとした喧騒が少しずつ建物に近づいてくるのが分かった。
扉が開き、若い声が響く。
「誰か!手伝って!」
プリマが立ち上がって入ってくる人影を確認すると、ノアたちだった。まずはちゃんと三人いるかを数える。
「怪我人がいる!」
ノアともう一人が、仲間の少女を肩で支えている。少女の足から血が次々と出ていて、顔色も真っ青だ。
「エレナ!」
「治療所、今連絡してます!」
「ハンナ、ソファに寝かせる! その後、止血布と桶に水!」
「わかった!」
プリマが急いで駆け寄り、ハンナと二人で近くのソファに寝かせた。ふくらはぎ付近の裂傷で、傷が大きく血が止まっていない。プリマは少女のスカート付近に上着をかけ、患部を少し高く保持する。
「これくらい、大丈夫……」
「無理は駄目。よく頑張ったよ。名前言える?」
「アイラ」
「何があった?」
「オーガが」
プリマの目が大きく開かれた。
「どこで」
「東丘陵……」
ノアが口を挟む。
「北側の崖の近くです」
「北側?」
「はい」
「近づくなって書いてあった」
「違うんです!」
ノアは背負っていた袋を下ろした。ドスンと重い音が響く。
「これ。これを見てください」
袋の口が開くと、大きな角が見えた。ノアが持ち上げると、黒ずんだ皮膚が根元に残っているのまで確認できる。ギルドの中がパッとざわめき始めた。
「見てください。オーガの角です」
ノアが言った。少し息を切らしながら。どうだ、と得意気な表情だった。
「俺が倒しました」
「そう。ハンナ、止血布急いで!」
「俺が、倒したんです!」
プリマはそれを一瞥すると、すぐ少女の手当に戻った。
「ほう。こいつは驚いた」
奥からリーが出てきた。眼鏡と手袋をつけて、丁寧にノアから角を受け取る。重さを確かめるよう軽く上下に振り、角の根元を確認した。
「洗ってないのか」
「急いでたんで」
「正解だ」
「え?」
「証拠が多く残る。大物狩りを今後もこなす気なら覚えておくといい」
リーは角を机へ運び、何やらゴタゴタとした機械の近くにそっと置いた。
「後で見る」
それを眺めていたノアが言う。
「本物ですよね?」
「後で見ると言った」
「でもオーガですよね?」
「恐らくは」
「じゃあ!」
「ノア」
プリマが止めた。声色はいつも通りなはずなのに、それだけでギルドにピリッと緊張が走った。
「角、角ってなんなの。まずはアイラ。そうじゃないの? 私、あなたを嫌いになりそうだよ」
「あ……」
ハッとノアは目を見開いた。自責と後悔と羞恥が混じった目の色をしていた。角のやり取りの間もプリマだけが処置をしてアイラに声をかけ続けていたのを、その場にいる誰もが知っていた。
そこでようやく治療所の職員が到着した。アイラを担架へ乗せるための準備を始めていく。
「骨までいってるかも」
「この止血布はいつ?」
「今。ギルドのものだから清潔」
「わかりました。他に何かありますか?」
「普通の衝撃ではならない裂傷だった。足だけじゃなく、広めに診てあげて」
「ええ。必ず」
職員はそれだけ聞くと慣れた手つきで患者を担架に乗せていく。
「俺、俺着いて行きます」
「ノア」
何かしようと、動こうとしたノアをプリマが静止した。
「あなた怪我は?」
「擦り傷だけです」
「もう一人」
槍を持った少年がおずおずと手を上げる。
「僕も大丈夫です」
「名前」
「ダニエルです」
「二人ともここにいて」
「でも」
「治療は彼らに任せて。プロだから」
それを見ていたアイラが担架の上から言った。
「着いて来なくていいよ」
「でも」
「うるさいから。傷口に響きそうだし」
「はい……」
そのまま担架が運ばれていくのを皆で見送った。ノアは少し寂しそうだったが、すぐに何か思い出したようにプリマに向き直った。
「プリマさん!」
「なに」
「これ、昇格ですよね?」
それを聞いたハンナがあちゃーと言ったジェスチャーを取り、エレナはスッと受付の仕切り板の陰に隠れた。




