第6話「酒場にビジネスは似合わない」
その音にハンナがビクッと肩を震わせて一歩飛び下がった。プリマは姿勢を少し低くする。
「ハンナ」
「あ、あはは。大丈夫。その、ビックリしただけ」
「落ち着いて。歩いて帰る。出勤する時みたいに。いつも通り」
「うん」
「大丈夫だからね。手、繋ご」
「うん」
二人は納屋に背を向けて、努めて平静に歩いた。走ると、慌てると、怯えると追われる。ラットマンは狡猾で、弱い相手はどこまでも追う。そういうことは知識としてハンナも知っている。昔にプリマが教えている。
背後で扉の隙間から赤い目が二つ、四つ、六つと覗いている。ハンナはそういう妄想を振り払って、プリマの手をギュッと握った。
◇
「推定八から十二」
プリマの言葉を一言一句漏らさぬ勢いでエレナが記録する。
「はい」
「武装あり」
「はい」
「集団行動あり」
「はい」
「納屋を拠点化」
「はい」
「周辺で類似被害情報あり」
「はい」
エレナは綺麗な字を積み上げて、やるべきことを導き出す。
「危険度を一段上げます」
「そうして」
「討伐人数は?」
「最低四人。できれば五人。うち一人はラットマンや近似種との戦闘経験者」
「わかりました。すると、報酬は銀貨──」
ベルンが立ち上がり、エレナの帳簿を覗き込んだ。彼が最初に持ち込んだ依頼料とは桁が1つか2つ違う。
「ちょっと待て」
「はい?」
「高くないか?」
「高いですよ」
「昨日トムは三枚で受けたぞ」
「昨日はネズミ三匹くらいの話だったので、そうでしょう」
「でも同じ納屋だぞ」
「場所で値段決めてません」
「じゃあ何で決めるんだ」
エレナが顔を上げた。その目はまだ少し怒気を孕んでいる。
「危険度、必要人数、拘束時間、必要装備、対象数、失敗時の被害想定などです」
「そんなに?」
「細かく言えばまだ倍はあります」
「ネズミなのに?」
「ラットマンです」
「同じようなもんだろ」
「まだそれを言いますか……」
ハンナがプリマに小声で言う。
「あはは。トム聞いたら泣くよ。"ネズミ以下の男"だなんて」
「実際は痛くてもう泣いてると思うけど」
ベルンは低く唸って頭を抱えた。
「払えんぞ、こんなの」
「そうですね。これは個人で払うような金額ではありません」
「どうしたらいいんだ」
「ここまでくると、街に危険が及ぶ可能性があるので、ギルドだけの案件ではなくなりつつあります」
「どういうことだ」
「警備隊に共有します」
「警備隊?」
「はい。行政から支援金と人手を借ります」
「大事じゃないか!」
「大事です。ご存知なかったでしょうが、最初から大事でした」
「ネズミだと思ったんだよ!」
「なら次からは常に二本足で立っている生き物は、とりあえずネズミ以外だと思ってください。あなたもネズミ呼ばわりされたくないでしょう?」
「……覚えとく」
「はい。お願いします」
プリマは腕を組んだ。確かにこの額をベルンに全額負担させるのは厳しい。だが、街の外縁に武装したラットマン集団が居着いていて、街にも危害が及ぶなら、その討伐には公共性がある。街の行政から補助金が出る可能性は高いだろう。
ただ、補助金は極めて面倒であり、またプリマの仕事が増える。
「人事班長」
「なに」
エレナが書類を見た。
「補助金。これ、出ますよね?」
「うん。多分出る。本来だと調査前に申請が必要なんだけど、確か要綱に『緊急時にはほにゃらら』みたいな特例があったはず」
「連絡入れても?」
「うん。お願い」
「はい」
エレナとプリマがわたわたと書類に取り掛かり始めたところで、廊下の奥から誰かがやってきた。何か酷いことがあった後かのような顔つきで腕を包帯で吊っている。
「戻ってきたの」
「戻りましたよ!」
「お大事に。休んでなよ」
「なんか、俺の金が忘れられそうな雰囲気だったので」
「あー……」
トムがヨタヨタと机まで来た。
「で、どうなるんです」
「何が?」
「俺の銀貨三枚」
ベルンも立ち上がる。
「そうだ。それだ」
「払うの?」
「仕事終わってないだろ! 払うものか!」
トムが怒鳴る。
「死にかけたんだぞ!」
「でも倒してない!」
「話が違っただろ!」
「ネズミ退治って言った!」
「ラットマンだった!」
「ネズミみたいなもんだ!」
「ラットマンがネズミみたいなものなら、ドラゴンもトカゲみたいなものか!?」
「あーもう、うるさい!」
プリマが強く机を叩いた。その勢いにビックリして横の受付嬢二人がピョンと飛び跳ねる。三人分の机から書類の束がバタバタと雪崩になって落ちてきた音を最後に建物中が静かになった。
「これはギルドの仲裁案件じゃない」
「えっ」
二人が同時に言った。
「個人間で結んだ契約だから」
「契約って」
ベルンが言う。
「口約束だぞ」
「口約束でも約束は約束」
「じゃあ三枚払わなきゃいけないのか?」
「私は決めない」
「じゃあ誰が決めるんだ!」
「二人で話して」
「まとまらねえから来てるんですよ!」
プリマは頭を抱えた。
「だから酒場で仕事受けないでほしいのよ……」
「昨日止めなかったじゃないですか!」
「警告はしたでしょ!」
「でも俺だけが悪いわけじゃないですよね!」
「そう。そこが面倒なの!」
ハンナが思わず吹き出した。
「笑わない」
「ごめん」
エレナがそこで立ち上がった。先程の音によほど驚いたのか少し涙目だったが、態度には出さなかった。
「一応、話を整理することはできます」
「エレナ?」
「仲裁ではなく、事実整理です」
トムとベルンを見る。
「ベルンさんは『納屋の大きなネズミの駆除』を依頼しました」
「そう」
「トムさんは銀貨三枚で了承しましたが、実際の対象はラットマンでした」
「そうそう!」
「トムさんは途中で撤退し、対象は残っている」
「……その通り」
「つまり、依頼内容自体が当事者間で一致していなかった可能性があります」
ベルンが首を傾げて、数秒考えた。
「難しいな」
「ベルンさんはラットマンをネズミと表現しました」
「まあ、そうだな」
「トムさんは普通の大型鼠だと思っていました」
「そう」
「二人が想像していた仕事が違いますので、三枚全額払うかゼロかの二択だけではないと思います」
プリマは「なるほど」と呟いてエレナを見た。
「続けて」
「トムさんは現地まで行っています。危険を負い、対象も確認しました」
「うん」
「結果として、ギルドが今使える情報も得ています」
「たしかに」
「ですので、ベルンさんからは調査相当額のみ支払う。残りは支払わない。という合意なら、比較的妥当では」
男二人が黙った。なんだか文字の上では妥当なように思えるが、二人とも細かい勘定は苦手だった。そこでトムが言う。
「調査っていくらです?」
「正式依頼ならこの位置の納屋一棟なら銀貨一枚程度です」
「一枚……」
ベルンもふむふむと頷いた。
「一枚なら、払おう。ここまでギルドさんに入ってもらって今更ゴネたりはしない」
「命張って一枚かあ……」
まだ少し不機嫌そうなプリマが椅子をくるりと回し、背を向けて冷たく言う。
「勉強料。その足りない頭の」
「言い方ってもんがさあ!」
「事実」
トムは唸った。それからしばらく一人で悶々と考えた。足りないと言われた頭をブンブン振って考えた。最後は観念したのか、エレナに向かって声を絞り出した。
「……分かりました」
「ベルンさんはどうですか?」
「一枚なら払う」
「ではギルドは記録だけ残します。同じことを繰り返さないために」
男二人に背を向けたままのプリマが、そのままの姿勢でエレナに言った。
「あと、この二人の契約の件でギルドは何一つ責任を負ったことにはしない。記録に付け加えて」
「はい」
それを聞いていたトムが言った。
「ひええ、細かいなあ」
「細かいのが仕事です」
エレナが答えた。それから、気まずそうにチラリと横の先輩受付嬢の様子を見ながら言った。
「それよりも、お二人とも。少なくともウチによく出入りするトムさんは、プリマさんに謝った方がよろしいかと。ここまで怒ってるのは、私もあまり見ないので」
男二人の盛大な謝罪劇が繰り広げられるまでに、そう長くはかからなかった。
◇
ラットマン討伐は、その日の午後に正式依頼となった。行政を巻き込んだことで警備隊からも二人が同行する。
冒険者からは四人。
ギルド登録五年目の槍使いと弓使いと盾使い。そして。
「なんで俺も」
トムだった。
「行きたいって言ったでしょ。『挽回の機会があるなら是非』だったっけ」
「言いましたけど」
「じゃあ行って」
「報酬は?」
「もちろん。正規にちゃんと出る」
「やった」
「ただし腕使えないんだから後衛ね」
「剣士なのに?」
「剣を振ることしか出来ないなら見学」
「報酬減ります?」
「見学なら減る」
「じゃあ行かない」
「……うん?」
「嘘、嘘! もちろん行く」
「『行く』?」
「行かせてください。名誉の殿を努めますから!」
結局トムは行かなかった。腕を使えない剣士が居ても、と他のメンバーに断られたからだ。代わりに若い剣士が参加した。
その日の夕方に討伐隊は戻ってきた。結局ラットマンは九体居たらしいが、分かってさえいれば対応は簡単だったとのこと。負傷者もなし。納屋の床下には簡素ながら巣まで作られており、放置して繁殖期を迎えていたら今の何倍もの被害があっただろう。
さらに周辺の農家から盗まれた道具が見つかった。今後は討ち漏らしがないかの調査を継続していく予定だ。
リーが提出された尾を数える。
「九」
「全部で?」
「ああ」
「増えてなかった?」
「子供が二匹いたらしい」
「それも討伐した?」
「そのようだ。これとこれ、短いのがそれだ」
「そっか」
「なんだ。何か気になるか」
「ううん。なんでもない」
リーは尾を袋へ戻して、鑑定時に使う専用の眼鏡を外した。
「一匹、妙な傷があったらしい」
「妙な傷?」
「古い矢傷だ。後日死体回収時に確認するが、恐らく」
「別の場所で狩られて逃げてきた。もしかして南側から?」
「可能性の話だ」
「南は狩り方が荒いなあ。今後も何か南から流れてくる?」
「俺に聞くな」
「誰に聞けばいいの」
「酒場だろ」
プリマは顔を上げた。
「酒場?」
「南側で最近何が出たとか、冒険者の方が知ってるだろ」
「なるほど」
リーはそれで鑑定室に引き上げていった。プリマは役所に提出する報告書をしたためながら考えた。
結局、酒場で問題が起きて。酒場の情報が問題解決に役立つ。酷いマッチポンプだ。プリマは残された書類の山を見ながら、そう思わざるを得なかった。
◇
その夜。酒場はいつも通り賑わっていた。
「ラットマン九匹だって!」
「例のベルンの納屋?」
「そうそう」
「俺、一週間前に南の林で見たぞ」
「なんで言わねえんだよ!」
「ラットマンなんて珍しくもないだろ!」
「九匹なら言え!」
「その時二匹だった!」
「増えてんじゃねえか!」
プリマはそんな喧騒を無視して壁に紙を貼っていた。大きめの紙だ。エレナが文面を作り、ハンナが文字数を減らし、プリマがさらに減らそうとしてエレナに止められた。
『酒場等での個人依頼について』
『冒険者と依頼人が、ギルドを介さず個人的に仕事を受発注することを禁止するものではありません。』
『ただし、ギルドを介さない依頼については、危険度確認、報酬保証、契約内容の確認、事故時の補償、紛争時の仲裁等をギルド側は原則として行いません。』
『報酬を伴う仕事について、不明点がある場合は受注前に受付へご相談ください。』
ハンナが後ろから全文声に出して読んだ。
「うん、長いね」
「これでも減らした」プリマが言う。「『自己責任』でよくない?」
「よくありません」
エレナが即答した。
「じゃあ『死んでも知らない』」
「もっと駄目です」
「分かりやすいのに」
「分かりやすければいいというものではありません」
包帯姿のトムがやってきた。怪我人の癖にジョッキを片手にぶら下げている。
「これ俺のせいですよね」
「正解。名推理だ。"ネズミ以下"のトム」
「やめてくださいよ! それで今日何回弄られたことか!」
「これで晴れて二つ名持ちだ。よかったね」
トムは悔しがりながら紙を読む。
「ええと、報酬保証なし?」
「うん」
「事故時の補償なし?」
「当たり前」
「仲裁なし?」
「二度と御免」
「こんなんじゃあ、ギルド通した方がいいじゃないですか!」
それを聞いた三人がトムを見る。
「……なんですか?」
プリマが言った。
「今日一日で一番いいこと言った」
「馬鹿にしてます?」
「してないしてない」
「顔がしてる」
ハンナがトムの肩を叩いた。
「勉強になったね! これで銀貨二枚ならさ、安いもんじゃん」
「腕縫ってるんですよ!」
「プリマから口まで縫われなくてラッキーって思わなきゃ」
酒場からドッと笑いが起きた。
その騒ぎの向こうでは、知らない若い冒険者が年配の冒険者に聞いている。
「西街道の護衛って、今危ないですか?」
「昼なら平気。夜はやめとけ」
「なんで?」
「昨日、変な光見た」
「魔物?」
「知らん」
「受付に言いました?」
「言ってねえ」
プリマが振り向いた。
「今言ったね?」
年配の冒険者が止まった。
「いや、酒の話だよ」
「ハンナ」
「はーい!」
「聞いといて」
「仕事終わってるよ?」
「私もそう」
「じゃあ明日聞くよ」
「忘れるでしょ。あなたもあの人も」
「じゃあプリマ覚えといて」
「嫌だよ。私も忘れる」
「プリマさん!」
別の卓から声がした。
「なに」
「北森の橋、一枚板抜けてます!」
「それ今言う?」
「今思い出したんです!」
「エレナ!」
「聞こえています!」
エレナはもう紙と羽根ペンまで用意していた。
プリマはふと天井を見上げた。
酒場には情報が集まる。
噂、愚痴、失敗談。誰かが見たもの。誰かが見落としたもの。役に立たない話とたまに役に立つ話。全部一緒になって酒と共に流れていく。
人が、冒険者が酒を飲む限り、これらは消えない。きっと、消さない方がいい。
「プリマ」
リーが飯を持って現れた。この前と同じ煮込み肉だ。
「なに」
「そこ俺の席」
「知らない」
「昨日も座った」
「他にいくらでもあるよ」
「そこが静かなんだ」
誰かが歌い出した。カードで負けた男が机を叩いた。ハンナがジョッキ片手に笑っている。トムが自分の怪我を大げさに語り始めた。エレナは紙束を片手に橋の話を聞いている。
「ここが、静か?」
プリマが聞いた。リーは少し考えた。
「まあ他よりは」
「大差ないでしょ」
冒険者ギルドの酒場は、今日も騒がしい。




