第4話「銀貨三枚のネズミ」
冒険者ギルドには酒場がある。他のところでも大体あるらしい。食べ物も提供しているから、食事目的に来る人も多い。何故わざわざギルドが酒場を設けるのか──プリマは新人の頃、一度考えたことがある。
つまるところ、冒険者が酒を飲むから。あと私も。様々な理由があったとしても、きっとそれが一番の理由だ。
夕刻。
依頼窓口が閉まるころには、昼間まで長椅子と掲示板ばかりが目立っていたギルドカウンターにも、酒場から漏れた酒と肉の香りと大声が満ち始める。日常と非日常が混ざって、毎夜少しだけおかしくなる。
「乾杯ー!」
「今日なんもしてねえだろ、お前!」
「生還祝い!」
「町から出てもねえだろ!」
「それでも今日を生き延びた、違うか?」
「まあ、違いねえな!」
ジョッキが派手にぶつかる。向こうではカード遊び。手前では剣士が鎧を手入れしている。隅では魔術師二人が何かの術式について口論している。酒場の給仕がその間を慣れた足取りで抜けていく。空いた酒樽をひっくり返して、その上で腕相撲を始め出したら、麦酒のオーダーが追加で飛び交う。
プリマは楽しげな広間の端の端で、先程から一人惨めに書類に齧り付いていた。
「プリマー」
「なに」
「飲まないの?」
ハンナだった。すでに仕事着の上着を脱ぎ、右手にはジョッキを持って上機嫌な様子だ。ポケットが少し膨らんでいて小銭か何かが入っている。既に何度かカード遊びをした後なのだろう。
「飲むよ」
「いつ?」
「これ終わったら」
「それ昨日もやってたね」
「昨日終わらなかったから今日もあるの」
「ふぅん。仕事って不思議だね」
「手伝う?」
「じゃ、飲んでくるね」
「聞いて」
ハンナは何も聞こえなかったかのようにそそくさと足早に去っていき、気付いた時にはもうどこかのテーブルに混ざってどんちゃん騒ぎをしていた。
プリマがため息を吐きつつ再び書類に向かおうとした頃合で、音もなくリーがやってきて座った。良い香りがする皿を持って、そこから湯気が立っている。
「ねえ。そこ、私の書類ある」
「この机は本来、皿を置く場所だろう」
「他に机はいっぱいあるでしょ」
「ここが一番静かだ」
「私がいる」
「その上、仕事に苦しんでる顔を肴に出来る」
「悪趣味」
リーは本を片手に広げながらチマチマと煮込み肉を食べ始めた。
「飲まないの?」
「明日仕事だ」
「私も」
「お前は飲むのか」
「これ終わるまでは飲まない」
「じゃあ今は聞くな」
プリマは書類へ視線を戻した。
いつの間にか隣にエレナもいた。窓口は閉めたはずなのに、今日受け付けた依頼の整理をしている。
「エレナ」
「はい」
「飲まないの?」
「これが終わったら」
「ハンナはもう飲んでるけど」
「姉は姉ですので」
酒場の中央から笑い声が上がった。新人冒険者数人が、年上の男を囲んでいる。
「だから言ってやったんだ。北の森の沼地は雨の次の日に入るなってよ」
「なんで?」
「ヒルが増える」
「魔物じゃなくて?」
「ヒル」
「そいつぁ、嫌だな」
「魔物なら剣でなんとかなるんだがなあ」
別の卓では地図が広げられている。
「ここに古い道がある。今は使われてねえけど、東街道より二日は早い」
「なんで使われてないんです?」
「崖崩れ」
「駄目じゃないですか」
「春なら通れる。お偉方のお忍び移動に使う道だからな」
「まだ秋ですよ」
「雪解けの楽しみが増えたな」
プリマは少し疲れて、ペンを止めた。
こういう話が、酒場では毎晩流れている。どの森に何がいる。どの道が安全。どの宿屋の主人が気難しい。どの村では果物を買った方がいい。どの魔物は最近見ない。どの魔物を最近よく見る。依頼書には書かれない情報ばかり。ここは単に飲食店というより、半分は生きた知識の社交場なのだ。
「おおい、誰か!」
そんな頃に、酒場へ大きめの声が響いた。入口近くで年配の男が立っている。風体は冒険者ではない。布の上着は仕事帰りらしく、袖が汚れていた。
「誰か仕事受けてくれんか?」
仕事。その単語に何人かが振り向いた。プリマも顔を上げた。確認していないが、多分エレナとリーも。
「うちの納屋にな、でかいネズミが住み着いたんだ」
「ネズミ?」
若い冒険者が聞き返した。
「そう。でかいやつだ。袋は破るわ、麦は食うわ、夜中にガタガタうるせえ」
「何匹?」
「知らん。二、三匹じゃねえか」
「報酬は?」
「銀貨三枚」
「OK。やるよ」
即答したのはギルドでもよく見る若い男で、名前はトム。登録四年目の剣士で特段優れてはいないが劣ってもいない。小さな討伐や護衛を中心に、それなりに食べていけてる冒険者だ。
「明日の朝行けばいいか?」
「ああ。南門の外、粉ひき小屋の隣だ」
「分かった」
男は嬉しそうに頷いた。
「いやはや、助かるよ」
「銀貨三枚な。金の用意を忘れるなよ」
「もちろんだとも」
話はそれで終わって、トムはまた酒を飲み始めた。依頼人らしい男も一杯注文して、適当な冒険者に絡んでいる。
その一部始終をプリマとエレナも見ていた。
「プリマさん」
「なに」
「いいんですか」
「なにが」
「何がって、今のですよ」
「個人の頼み事でしょ」
「ギルドを通していません」
「通さなきゃいけない規則はないよ」
「そうですけど」
エレナは少し気になる顔をしている。その心情はプリマも分からないではないが、実際ネズミ駆除や倉庫掃除くらいの仕事なら、いちいちギルドを通さずに個人間でお願いをすることも多い。
「止める?」
「いえ」
「じゃあいいじゃん」
「でも、ネズミです」
「ネズミだね」
「ただのネズミに、銀貨三枚」
「ずいぶん高級なネズミ捕りだね」
「……大きさを聞いていません」
「でかいって」
「何と比較してでかいのか聞いていません」
プリマは一瞬考えた。キナ臭い感じはする。銀貨が三枚もあればゴブリンくらいなら討伐依頼を出してお釣りが出るレベルだ。
「ねえ、トム。それ、受けるの?」
「なんですかプリマさん。あげませんよ」
「要らない。でもただのネズミに銀貨を払うなんて変じゃない?」
「よほど困ってるんですよ。もしくはネズミが大の苦手」
「ふぅん。それなら止めないけどさ」
酒が入った男はダメだ。冷静じゃない。そんなことを思いながら書類に戻ろうとすると、隣に未だしかめっ面のエレナがいた。
「エレナ」
「はい」
「今日はもう仕事終わり」
「……はい」
「そういう顔しない」
「してません」
「してる」
未だ憮然としているエレナに、煮込み肉をつついているリーが言った。
「放っとけ。アイツも死んだら次から気をつけるだろう」
「言い方」
「それに、人から言われたって気付くようなタイプには見えん」
「それはそうかもしれませんが……もう!」
「プリマさん」開き直ったエレナが言う。「仕事終わりました。飲みませんか?」
「お。もう少しだけど、飲んじゃおうかな」
「まだ終わってないんですか? なら忘れてください」
「なんて残酷なことを。飲もうよ、一杯くらいならむしろ捗るはず」
「似非科学です」
「いいでしょ。奢るからさ」
プリマは二人分の葡萄酒を注文して、再び書類へ戻った。酒場ではもう別の話が始まっている。
その日の夜は、それで終わった。
◇
翌日の昼前、ギルドの扉が乱暴に叩かれた。
「開けろ!」
「開いてる」
「開いてねえ!」
「引くの。何年通ってるの」
「あっ」
扉が開いて、昨日のトムが転がり込むように入ってきた。血まみれだった。身体中切り傷と刺し傷だらけで、当たり所が悪ければ死んでそうな怪我もあった。
「……うわ」ハンナが思わず漏らした。それくらい痛そうな怪我だった。
プリマは立ち上がった。
「何したの?」
「ネズミ!」
「まず座って」
「話が違うぞ!」
「座って」
「ネズミじゃねえ!」
「いいから座って!」
「……わかった。すまねえ」
トムは大人しくなって座った。傷の深そうな左腕には応急処置的に布を巻いているが止血布に使うようなものではなく、血で濡れている。革鎧には三本の深い傷が残っていた。
「エレナ、治療所」
「もう呼びました」
「ハンナ、水を」
「うん! ほら、これ。ゆっくり飲んで」
トムがそれを嫌そうな目で見た。
「いや、酒がいい」
「駄目」
「マジで痛えんだよ」
「もう死ぬ気なら一杯奢るけど?」
トムは大人しく水を飲んだ。
「で」
プリマが聞く。
「何がいた?」
「ラットマンだ」
ふっと、周囲が静かになった。




