第3話「仕事のゆくえ」
「七割だけ払う?」
ギルドへ戻ってきたプリマにエレナが聞き返した。羽根ペンを持つ手が止まっている。
「うん」
「根拠は?」
「今考えてる」
「プリマ人事班長?」
「怖い怖い」
エレナの声のトーンは変わらなかったが、その静けさがかえって迫力を持つことを、プリマはよく知っていた。
「根拠のない支払いはできませんよ」
「分かってる」
夕方。西日が窓から長く差し込み、机の影を斜めに伸ばしている。窓口業務も落ち着き、ギルドの職員机にはラウルたち三人と、主要職員が集まっていた。
リーもいる。腕を組み、いかにも不本意そうな顔で壁にもたれていた。
「なんで俺まで」
「暇そうだから」
「鑑定物が二十九件ある」
「じゃあ忙しそうな顔して」
「これが普段の顔に見えるなら、俺は常に忙しいってことだ」
プリマは紙を一枚置いた。机の中央に、皆の視線が集まるように。
「まず、討伐依頼としては未達成」
ラウルが何か言おうとするが、プリマが指で制する。
「最後まで聞く」
口をつぐんだラウルの隣で、ミーナとセスも姿勢を正した。
「討伐してない。証明もない。だから討伐報酬としては払えない」
エレナが頷く。
「妥当です」
「でも依頼目的――農作物への継続的被害の停止。これは現状、達成されている」
ハンナが頷く。
「でしょ?」
「現地確認した。ゴブリンが移動したのも、今のところ事実と見ていい」
プリマは紙に線を引いた。インクがまだ乾ききらないうちに、次の言葉を書き加えていく。
「なので、依頼人の同意を取って、今回の案件を『討伐』から『排除』に変更する」
エレナが瞬きをした。珍しく、感情の読み取れる反応だった。
「そんな依頼区分はありません」
「作る」
「作るって、今からですか?」
「今から」
「誰が?」
「私」
「規程は?」
「明日」
「人事班長?」
「だからその顔やめて」
「規程が後ですか?」
「仮運用」
「承認は?」
「ギルド長に取る」
「今いません」
「明日の朝」
「今日支払うんですよね?」
「七割は」
「どうやって?」
「雑費」
「駄目です」
プリマは黙った。視線をさまよわせ、なんとか逃げ道を探すように天井を見上げる。
ハンナが笑いを堪えている。肩が小刻みに揺れていた。
「じゃあ部分払」
「制度がありません」
「立替」
「もっと駄目です」
「融通利かないなあ」
「会計を融通で処理しないでください」
プリマは椅子にもたれた。背もたれが軋む音がする。
「じゃあ明日」
「はい」
あっさりと折れたプリマに、ラウルが慌てて手を上げた。
「あの」
「なに」
「今日もらえないんですか?」
「エレナが駄目だって」
「私のせいにしないでください」
「昼飯……」
ラウルが呟いた。腹の虫が、ちょうどそのタイミングで小さく鳴いた気がした。
ミーナが小銭を取り出した。革袋の口を開き、中身を確かめるように。
「貸すよ」
「昨日も借りた」
「じゃあ返して」
「今ない」
「じゃあ黙って借りなよ」
若い。プリマは少し笑った。三人のやり取りに、何年も前の誰かの姿が重なって見えた気がした。
「うん。やっぱり七割は先に払う」
「だから、ダメですよプリマさん」
「専決で概算払いにする。支払額調書は私が書く」
「……なるほど。そういう処理にするなら出来るかもしれません」
エレナはなおも何か言いたげだったが、数秒考えたあと渋々折れた。
「監査の時、絶対つつかれますよ」
「大丈夫。毎年何かはつつかれてる。慣れっこだよ」
「慣れないでください」
「いつもごめんね、エレナ」
「もう!」
なんとか話をまとめたプリマは改めてラウルたちを見る。
「残り三割は、一週間再発がなければ支払い」
「再発したら?」
セスが聞いた。後ろの二人も真面目な顔で聞いている。
「今回の方法では解決できなかったと判断する。その場合、残りはなし」
「討伐し直せば?」
「別件にするか、あなたたちに追加対応させるかは依頼人と相談」
「タダ働きですか?」
「場合によっては」
「ええー」
「嫌なら最初から依頼書どおりにやればよかったでしょ」
反論できない。ラウルは机に突っ伏した。額を木の天板に押し付けたまま、くぐもった声を出す。
「世知辛い……」
「冒険者なんだから、冒険増えて嬉しいでしょ?」
「無償の冒険はしたくないです」
「私たちもさせたくはない」
リーが鼻で笑った。腕組みを解き、一歩前に出る。
「一ついいか」
「なに?」
「排除って、どう証明する」
一同が黙った。西日の中で、埃がゆっくりと舞っているのが見えるほどの静けさだった。
「……現地確認?」
ハンナが言う。自信なさげに、語尾が小さくなる。
「毎回職員が行くのか」
「大変だね」
「誰の仕事だと思ってる」
プリマはリーを見た。
「鑑識?」
「殺すぞ」
「物騒」
「討伐依頼なら耳一枚で済む。排除は対象がその場所からいなくなったことを確認しなきゃならん。居ないことの証明が一番難しいんだぞ。移動先まで追うなら、職員の負担は計り知れん」
「なるほど」
「あと、別の畑に行っただけだったら?」
エレナがそれに続けた。指先で羽根ペンの軸を弄びながら。
「当該依頼人の被害は止まります。しかし、近隣住民に被害を移しただけという可能性があります」
「そうだね」
「隣町まで追いやったら?」
ハンナが聞く。
「外交問題」プリマが答える。「下手打てば戦争になる」
「ゴブリン四匹で?」
「ゴブリン四匹から始まる外交問題もあるでしょ」
「嫌だなあ、その国」
ラウルたちは黙って聞いている。さっきまで単純に見えていた話が、机の上に広げられた紙のように、少しずつ大きくなっていく。彼らの手柄話は、いつのまにか制度の穴を突く議題に変わっていた。
プリマはそれを見ながら、紙に文字を書いた。羽根ペンの先が、乾いた音を立てて紙を滑る。
排除。
その下に、達成条件。『指定区域から対象を移動させ、一定期間の再侵入が認められないこと』
さらに。『他地域への明確な被害転嫁がないこと』
リーが覗き込んだ。肩越しに紙面を見つめる。
「一定期間って何日だ」
「対象による」
「曖昧だな」
「じゃあリー決めて」
「俺は鑑識だ」
「私も受付嬢なんだけどな」
「人事班長だろ」
「人事の仕事かなこれ」
「それはこっちの台詞でもある」
エレナが紙を取った。指先が紙面の上を滑り、項目を一つずつ確かめていく。
「依頼受付時に、討伐と排除のどちらを希望するか選択できるようにしますか?」
「いや」
「なぜ?」
「依頼人に判断させるには難しい」
「では職員判断?」
「基本はね。ただ、確認は取る。『殺害必須ですか』『被害停止だけで構いませんか』くらい」
エレナは少し考えた。視線を宙に彷徨わせ、今日の自分の仕事を振り返るように。
「今回、私も『殺して構わないか』とは確認しました」
「うん」
「でも『殺す必要があるか』は確認していません」
「そうだね」
「……違いますね」
「似てるけどね。違う」
エレナは依頼書を見た。自分の書いた文字を、初めて見るもののように眺めている。失敗を悔いた顔ではなく、考えている顔だった。
プリマはそれでいいと思った。仕事で一番困るのは、間違える人間ではない。私だけは間違えないと思っている人間、間違いを間違いと気付かない人間だ。
「次から一個増やそう」
「はい」
「面倒?」
「少し」
「仕事だから」
「プリマさんに言われると少し腹が立ちますね」
「なんで?」
「勤務表を三日放置しているので」
「あ」
プリマは目を逸らした。窓の外、傾いた日差しの方を見るふりをして。
リーが言う。
「俺の休み」
「明日やる」
「昨日も聞いた」
「明日は明日だよ。昨日じゃない」
「いい言葉みたいに言うな」
その横で、ラウルが手を上げた。姿勢を正し、さっきまでの不満げな空気とは違う、少し硬い声で。
「プリマさん」
「なに」
「俺たち、間違ってましたか?」
急に真面目な声だった。ミーナとセスも、答えを待つように口をつぐんでいる。
プリマは少し考えた。指先で机の木目をなぞりながら。
「仕事として?」
「はい」
「うん。間違ってる」
ラウルはしょんぼりした。分かってはいたはずの答えでも、面と向かって言われると重さが違うらしい。
「でも、やったこと自体は────」プリマが続けた。西日が、彼女の横顔にゆっくりと影を作っていく。
「私は好き」
「好き?」
「ゴブリンを殺さずに済んだことも、別の方法を考えたことも。そういう冒険者がいるのはいいと思う」
三人が顔を上げる。
「ただね」
プリマは机を指で叩いた。二度、軽く。
「自分で方法を変えたなら、その方法の責任まで持ちなさい」
「責任」
「そう」
「結果上手くいった、じゃ駄目なんですか?」
プリマは一瞬だけ黙った。
それは昔、自分も似たようなことを言った気がした。
もっと若くて、もっと無鉄砲で、輝いていて、真っ赤な剣を片手に駆け回っていたころ。
依頼された魔物を斬って、帰ってきて、報酬を受け取る。依頼人がその後どうなったかなんて、あまり考えなかった。
朝起きれば、次の仕事があった。仕事をやり尽くしたら次の街へ行けば良かった。それで仕事は回っていた。少なくとも、自分にはそう見えていた。
あの頃の自分の背中に、今のラウルの姿がうっすらと重なる。剣を振ることだけが仕事だと思っていた頃の、根拠のない万能感。それがいつか誰かの重荷になることも知らずに。
「上手くいってる間は、それでいいよ」
プリマは言った。
「じゃあ」
「上手くいかなかった時に困る」
ラウルを見る。西日を背にしたその目は、思いのほか静かだった。
「誰が責任取るの?」
「俺たち……?」
「今回ならね」
「はい」
「仕事っていうのは、上手くいったことだけじゃなくて、上手くいかなかった時に誰が引き受けるかまで含めて仕事なの」
ラウルはしばらく黙っていた。言葉を噛み砕くように、視線を机の上に落としたまま。
「難しいです」
「うん」
「冒険者って、もっと簡単だと思ってました」
「剣振るだけなら簡単」
「プリマさん、剣使えるんですか?」
プリマは答えなかった。窓の外へ目をやり、何も聞こえなかったかのように。代わりにハンナがニヤニヤと笑っていた。
「ハンナ」
「ごめんごめん」
「なんです?」ラウルが聞く。「昼間もそんなやり取りが」
「なんでもない」
「絶対なんかありますよね」
「昔ちょっとね」
リーが立ち上がった。椅子を後ろに押しやり、鑑定用の眼鏡をかけ直す。
「話終わったなら戻るぞ」
「うん」
「犬の牙の報告書、偽装なら懲戒だろ。お前が書け」
「なんで」
「俺は鑑定した」
「ハンナ」
「私は受付した」
「エレナ」
「私は無関係です」
「人って冷たいね」
「班長」
「はい」
「仕事です」
「はい……」
プリマは紙を引き寄せた。今度こそ観念したように、羽根ペンを手に取る。
ラウルたちが立ち上がる。椅子の音が重なって響く。
「じゃあ、一週間後ですね」
「うん」
「戻ってきませんよ」
「だといいね」
「絶対です」
「その言葉、書面にする?」
「やっぱ絶対じゃないです」
「その方が賢い」
三人は笑いながら帰っていった。泥のついた鎧の音が、扉の向こうへ遠ざかっていくをプリマはヒラヒラと片手を振って見送った。
扉が閉じる。一瞬だけ静かになる。西日だけが、無人になった窓口をゆっくりと橙色に染めていた。「平和に終わってよかった」とハンナがつぶやく。プリマもエレナも、それで少し微笑んだ。
すぐに次の依頼人が入ってきた。大きな籠を抱えている。籠の中で何かが微かに動いた気配がした。
「すみません」
エレナが席へ戻る。表情はもう、いつもの落ち着いたものに戻っていた。
「はい。ご用件を伺います」
「家の屋根に、でっかい鳥が巣を作っちまって」
「鳥の種類は分かりますか?」
「分からん。でかい。俺くらいある」
エレナの手が止まった。羽根ペンの先が、紙の上で小さく震える。
「……翼を広げて、ですか?」
「いや」
「身体が?」
「そうだ。その上卵もデカくて──」
それを横で聞いていたハンナがこちらを見る。口元がすでに笑いを堪えている形になっていた。プリマは目を逸らした。
「プリマー」
「聞こえない」
「面白いの来た」
「聞こえないって」
「小屋くらいある卵産んだって」
「それは先に言って!」
プリマは立ち上がった。その拍子に、机の端に置いてあった勤務表が床へ落ちた。赤い印が三つ。ひらひらと宙を舞い、床に落ちてもなお目立っていた。
リーが拾った。屈んで拾い上げ、埃を払うように紙の端を指で弾く。
「プリマ」
「なに」
「俺の休み」
「明日!」
「覚えてろよ」
「覚えてたらね!」
冒険者ギルドの一日は長い。
魔王がいなくても、勇者がいなくても。仕事はいくらでも降ってくる。屋根より大きな鳥も、腹を壊すほど甘い実も、休みの一日を巡る攻防も、みんな同じ一つの窓口を通り過ぎていく。
◇
一週間後。
南農地区からゴブリンの被害報告はなかった。麦は風に揺れ、踏み荒らされた跡もいつのまにか新しい茎に覆われていた。
ラウルたちには、残り三割の報酬が支払われた。窓口で手渡されたそれを、ラウルは何度も数え直していた。
その日。
冒険者ギルドの依頼区分に、ひとつ新しい項目が追加された。
『排除』
規程の紙には、まだインクの匂いが残っていた。
職員からは、確認作業が増えたと不評だった。冒険者からは、討伐より楽そうだと好評だった。プリマはそのどちらにも挟まれたが、無いよりは良いかなと開き直った。
そしてリーの休日は、その日ようやく確保された。




