第5話 第一回遺跡実習
術式基礎演習から一週間が過ぎた。
あの日以降、レインとフィンが食堂へ向かう時には、いつの間にかセシリアも加わるようになっていた。
友人になったのかと聞かれれば、レインにはまだ分からない。ただ、三人でいることに違和感はなくなっていた。
そして今日、三人は学院正門前の停車場に並んでいた。
第一回遺跡実習。
入学してから初めて、実際の古代遺跡へ入る日だった。
夜明けから間もない停車場には、実習用の外套を着た一年生が集まっている。
期待に満ちた表情を浮かべる者がいれば、眠そうに欠伸をしている者もいる。
その間を学院職員や上級生が歩き、学生の名前と携行品を確認していた。
レインは腰の革鞄へ手を入れ、持ち物を確かめた。
記録帳。石筆。方位器。学院支給の術式手袋。簡易照明石。応急処置用品。
五分前にも確認したが、足りないものはない。
その隣では、セシリアが淡い黄色の革手袋をはめ直していた。
手首の留め具を締め、指を一本ずつ動かして感触を確かめている。
フィンは二人から少し離れた場所に立っていた。
足元には、入学初日に持っていた黒い革鞄が置かれている。
表面には細かな傷が刻まれているが、丁寧に磨かれた革には鈍い艶が残っていた。
フィンは留め金を確かめ、鞄を肩へ掛けた。
「その鞄、入学初日にも持ってたよな」
レインが言うと、フィンは黒鞄へ目を落とした。
「覚えてたのか」
「目立つからな」
「そんなに変か?」
「変とは言ってない。ずいぶん古そうだと思っただけだ」
フィンは少し考えてから、鞄の持ち手を軽く叩いた。
「家にあったものだ。昔から遺跡調査に使ってたらしい」
「学院支給のものではないのね」
セシリアが鞄を眺める。
「支給品より使いやすいんだ」
「ちゃんと整備されているの?」
「されてる。たぶん」
「たぶん?」
「少なくとも、今朝は壊れてなかった」
「その確認に何の意味があるのよ」
セシリアが眉を寄せる。
フィンは笑いながら、黒鞄を背中側へ回した。
学院の時計塔から鐘が鳴った。
停車場に集まっていた学生たちの声が静まる。
正門の前に、グラハム・ブラックウッドが立っていた。
今日も漆黒の外套を身にまとい、片手には学生名簿を持っている。
その背後には、遺跡まで学生を運ぶ三台の魔導車が止まっていた。
鉄製の車体は小型の列車によく似ている。
屋根に取り付けられた術式板から淡い光が漏れ、車輪の周囲を細い魔力線が巡っていた。
「これより第一回遺跡実習を開始する」
グラハムの声が停車場に響いた。
「今回の目的地は、学院から北西へ約四十キロメートルに位置する第八補助遺跡だ」
レインはその名前を聞いたことがあった。
第三文明期に造られた地下施設。
かつては貯水か環境管理に使われていたと考えられている。
学院による調査が何度も行われ、現在は一年生の実習にも利用される安全な遺跡だった。
「諸君には三人一組で行動してもらう。班員は遺跡学科、探索科、戦術魔法科から各一名だ」
職員が学生たちへ紙を配り始めた。
レインも受け取った紙に目を落とす。
第七班。
レイン・アークライト。
フィン・ブラックウッド。
セシリア・アッシュフォード。
予想していた名前が三つ並んでいた。
「本当に一緒になったな」
フィンが横から紙を覗き込む。
「演習の結果が使われたのかもしれない」
レインが答える。
「あれは失敗だったでしょう」
セシリアが言う。
「半分は成功してた」
「少なくとも、班から外されるほどの失敗ではなかったらしいぞ」
フィンが胸を張る。
セシリアは呆れたように息を吐いた。
「なお、今回の実習は発見を競うものではない」
グラハムの声に、学生たちが再び正面を向く。
「各班の課題は、指定区画の簡易地図を作成し、壁面に残された術式を記録することだ。現代の補修箇所と古代の構造を判別し、判断の根拠も記載しろ」
グラハムは名簿を閉じた。
「立入禁止区画には、いかなる理由があっても入るな。発見より安全を優先しろ。安全に入り、安全に戻るまでが調査だ」
浮き足立っていた学生たちの空気が、少しだけ引き締まった。
実習だからといって、遺跡が危険でなくなるわけではない。
グラハムは三台の魔導車へ目を向けた。
「班番号に従って乗車しろ。出発は十分後だ」
学生たちが一斉に動き始めた。
三人は第七班の指定された車両へ向かった。
フィンが先に乗り込み、窓際の席を確保する。
レインが向かいへ座り、セシリアはその隣を選んだ。
やがて全員の乗車が確認されると、魔導車の下部から低い振動が伝わってきた。
車輪を取り囲む魔力線が青く輝く。
魔導車は静かに動き出し、学院の敷地を後にした。
王都の端を越えると、窓の外の景色が変わった。
石造りの建物が減り、草原と森が広がる。
遠くには、かつて使われていたらしい古い街道が見えた。
路面はところどころ崩れ、雑草に覆われている。
街道沿いには、先端に青い石を埋め込んだ金属杭が一定の間隔で打たれていた。
「あれは何だ?」
レインが窓の外を指差す。
フィンが身を乗り出した。
「警戒杭だ。周囲の魔力に大きな変化があると、管理所に信号を送る」
「魔物除けではないの?」
セシリアが尋ねる。
「弱い魔物なら近付かなくなる。でも大型にはほとんど効かない」
「それでは意味がないでしょう」
「近付いてきたことが分かるだけでも違う。全部を防ぐより、早く気付いて逃げる方が現実的なんだ」
フィンは窓の外へ目を凝らした。
「三つ目の杭だけ、光が弱いな。魔力が切れかけてるのかもしれない」
レインには、どの杭も同じように見えた。
フィンは術式そのものに詳しいわけではない。
しかし、野外に置かれた道具や周囲の変化を見る目は確からしい。
さらに進むと、学生の誰かが声を上げた。
視線を追う。
遥か遠くの空を、翼のある影が横切っていた。
鳥にしては大きい。
長い尾が風になびいている。
「ワイバーンだ」
フィンが言った。
学生たちが窓へ集まる。
ワイバーンは魔導車へ近付くことなく、山岳地帯の方角へ飛び去っていった。
「あの距離なら問題ない」
同行していた上級生が学生たちを席へ戻す。
「車外へ手を出すな。警戒結界が誤作動する」
窓際に身を乗り出していた学生たちが、慌てて腕を引っ込めた。
一時間ほどで魔導車は停車した。
到着したのは、森と岩山に囲まれた小さな拠点だった。
学院の調査員が使う木造の詰所と、敷地を囲む金属製の柵がある。
その奥に、地下へ続く石造りの入口が見えた。
第八補助遺跡。
入口そのものは学院の校舎より小さい。
しかし、暗い地下へ続く階段を目にした瞬間、レインの胸の奥で何かが動いた。
本の中でしか知らなかった遺跡が、目の前にある。
けれど、急いで近付くことはしなかった。
入口には立入許可を示す学院の標識と、複数の安全術式が設置されている。
グラハムの話がまだ頭に残っていた。
安全に戻るまでが調査だ。
学生たちは詰所の前で装備を確認した後、班ごとに遺跡へ入った。
階段を下りるにつれて、外の光が遠ざかっていく。
壁へ設置された現代の照明石が、一定の間隔で通路を照らしていた。
古い石壁の横に真新しい金属枠が埋め込まれている。
現代と古代が、同じ通路の中に並んでいた。
第七班へ割り当てられたのは、入口から近い貯水区画だった。
弧を描く通路の片側に、浅い水路が続いている。
水はほとんど残っていない。
底には白い鉱物が薄く堆積していた。
壁面には複数の術式が刻まれている。
その大半は色あせ、一部は石そのものと一緒に欠けていた。
「ここからは役割を分けるぞ」
フィンが黒鞄を床へ下ろした。
留め金を外し、片手を中へ入れる。
迷う様子もなく、折り畳まれた測量棒と方位器、記録紙を取り出した。
「俺が通路を測る。レインは壁の術式。セシリアは周囲の警戒を頼めるか?」
「分かったわ」
セシリアは手袋の留め具をかちゃかちゃと鳴らした。
通路の中央へ小さな円を描き、その中へ感知と警告の基礎術式を加える。
完成した魔法陣は床近くへ降り、淡い光を残して透明になった。
「この線を何かが越えれば反応するわ」
「俺たちは大丈夫なのか?」
「今、三人の魔力を登録した。自分で踏んで確かめてみる?」
「信用してる」
フィンは即答し、測量を始めた。
レインは術式手袋をはめ、壁へ近付いた。
古代術式の表面へ直接触れないよう、少し距離を取る。
記録帳を開き、見える線を写していく。
図形は午前の講義で見たものと異なっていた。
火属性術式に似た部分はない。
この施設が貯水か環境管理に関係するという推測が正しいなら、水量や温度を制御する術式かもしれない。
ただ、用途を示す記号は読めなかった。
分からないことを、分かったように説明するな。
レインは推測を記録せず、確認できる線だけを紙へ写した。
外周を描こうとして、石筆が止まる。
術式の円が、一箇所だけ途切れていた。
午前の講義で見た古代術式と同じだった。
レインは顔を近付ける。
損傷ではない。
切れ目の両端は滑らかで、最初からその形に刻まれている。
「どうした?」
フィンが測量の手を止めた。
「外周が開いてる」
「壊れてるのか?」
「たぶん違う」
レインは記録帳を開き、午前中に写した術式の図と見比べた。
「別の遺跡でも、同じ形の切れ目が確認されてる」
セシリアも壁へ近付いた。
「同じ術式なの?」
「分からない。全体の形は違う」
「なら、同じ機能とは限らないわね」
「ああ」
似ているものを、同じだと決めつけるな。
グラハムの言葉どおりだった。
二つの術式に同じ切れ目があるというだけでは、何も証明できない。
それでも、別の用途と思われる施設で同じ特徴が使われている。
レインは切れ目の位置と長さを記録帳へ書き加えた。
その時だった。
床近くに展開されていた警戒術式が、淡い赤色に変わった。
セシリアがすぐに通路の奥へ向き直る。
レインも石壁から離れた。
水路の奥で、何かが動いている。
暗がりの中に、小さな青白い光が幾つも浮かんだ。
「下がって」
セシリアが右手を上げ、術式を描き始める。
フィンは黒鞄を閉じ、測量棒を片手に持った。
「燐光トカゲだ」
青白い光の正体は、小型の魔法生物だった。
全長は人間の腕ほど。
半透明の鱗が照明石の光を反射し、背中の突起が淡く発光している。
一匹ではない。
五匹。
さらに暗がりの奥にも光が見える。
「危険なのか?」
レインが尋ねる。
「普段は大人しい。でも、強い光に寄ってくる」
フィンは通路の照明石へ目を向けた。
「繁殖期じゃなければな」
「今は?」
「青く光ってるから、たぶん繁殖期だ」
「先に言って」
セシリアの指先から魔力線が伸びる。
防御術式の外周が描かれ、その内側へ壁状の形状術式が加えられた。
半透明の結界が三人の前へ現れる。
先頭の燐光トカゲが結界へぶつかり、甲高い鳴き声を上げた。
後ろの個体も次々に集まってくる。
結界の表面を青白い光が這った。
「攻撃する?」
セシリアが尋ねる。
「待って」
フィンが止めた。
「こいつらは餌か光を探してるだけだ。刺激すると群れ全部が興奮する」
「なら、どうするの?」
レインは通路を見回した。
現代の照明石が一定の間隔で並んでいる。
燐光トカゲは、そのうち三人に最も近い照明石へ集まっていた。
「あの照明を消せるか?」
レインが聞くと、フィンが頷いた。
「術式板の留め具を外せば止まる」
「奥の照明だけ残せば、そっちへ移動するかもしれない」
「やってみる」
フィンは壁際へ移動し、黒鞄から細い金属器具を取り出した。
結界の内側から照明石の枠へ差し込み、留め具を外す。
一つ目の光が消えた。
燐光トカゲたちが動きを止める。
フィンが二つ目の照明石も停止させた。
通路の手前が闇に包まれる。
奥に残された照明だけが、水路の先を照らしていた。
一匹の燐光トカゲが頭を動かす。
やがて光の残る方へ向きを変えた。
ほかの個体も、その後を追っていく。
結界の前から青白い光が少しずつ離れていった。
「今だ」
フィンが声を落とす。
三人は余計な音を立てず、その場から距離を取った。
燐光トカゲの群れは奥の照明へ集まり、三人を追ってはこなかった。
セシリアが防御術式を解除する。
半透明の壁が光の粒となって消えた。
「倒した方が早かったんじゃない?」
「たぶん増援が来てた」
フィンが答える。
「増援?」
「燐光トカゲは興奮すると、光を強くして仲間を呼ぶんだ」
セシリアは暗がりの奥へ目を向けた。
そこには先ほどより多くの青白い光が集まっている。
「先に説明しなさい」
「説明する時間なかっただろ」
「繁殖期だと分かった時点で言えたでしょう」
「結界を張ってくれて助かった」
「話を逸らさないで」
フィンは黒鞄へ器具を戻した。
手を入れただけで、器具は決められた場所へ収まったようだった。
「その鞄、中で道具が動かないのか?」
レインが尋ねる。
「動かないようにできてる」
「どうやって?」
「知らない」
「家の鞄だって言ってたな」
「そうだ。詳しいことは後で調べればいいだろ」
フィンは鞄の留め金を閉じた。
その話は終わりだと言うように、測量の続きを始める。
レインは少しだけ鞄を見てから、壁面術式の記録へ戻った。
実習終了の鐘が鳴ったのは、それから一時間ほど後だった。
学生たちは遺跡の入口へ戻り、班ごとに記録を提出した。
グラハムは第七班の簡易地図と術式記録へ目を通す。
レインが記録した外周の切れ目にも視線を止めた。
しかし、その場で質問はしなかった。
「初回としては問題ない」
グラハムは記録を閉じた。
「ただし、警戒術式が作動してから状況を把握するまでが遅い。次回からは三人とも退路を意識しろ」
「はい」
レインとセシリアが答える。
フィンはわずかに遅れて頷いた。
グラハムは次の班の記録を受け取り、それ以上こちらを見なかった。
「褒められたのか?」
レインが尋ねる。
「どうだろうな」
フィンは曖昧に答えた。
「問題ないと言っていたでしょう」
セシリアが言う。
「言い方ってものがあるだろ」
「事実が分かれば十分じゃない?」
「お前たち、そういうところは似てるよな」
フィンが言うと、セシリアは不満そうに眉を寄せた。
レインは返事をせず、記録帳を開いた。
古代術式の外周に残された切れ目。
講義室で見たものと、今日遺跡で見つけたもの。
用途も、発見された場所も違う。
偶然にしてはよく似ていた。
けれど、似ているものを同じだと決めつけるな。
グラハムの言葉が頭をよぎる。
レインは記録帳を閉じた。
今はまだ、問いを持ち帰るだけでいい。




