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ろすとま! ~古代魔法、解析中~  作者: 石崎さかな


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15/19

第15話 最初の一行

 退院の許可が出たのは、レインが目を覚ましてから三日後だった。


「授業への出席は許可します」


 治療師は記録板をレインへ向けた。


「ただし、実技への参加は禁止。強い魔力を流すことも、遺跡に関する調査も禁止です。胸に痛みが出た場合は、すぐ医務棟へ戻ること」


「分かりました」


『発話内容と過去の行動傾向に不一致を確認』


 レインは聞こえないふりをした。


「今、少し間があったわね」


「守れるか確認していただけです」


「余計に不安になったわ」


 治療師は溜息をつき、退院許可証へ署名した。


「固定具は外さないこと。明朝、必ず診察を受けなさい」


 扉の外で待っていたフィンが、終わるのを見計らったように顔を出した。


「終わったか?」


「まだ呼んでないわよ」


「扉が開いてたから」


「今、あなたが開けたのよ」


 治療師の視線を受け、フィンは静かに扉を閉めた。


 ただし、自分も室内に残った。


「外で待てという意味だったんだけど」


「もう出るところだから同じだろ」


「あなたも一度診てもらった方がよさそうね」


「どこを?」


「主に頭を」


 フィンは首を傾げたまま、レインの荷物を黒鞄へ入れ始めた。


 着替え。本。記録帳。


 最後に、小さな鍋を押し込もうとして止まる。


「まだ戻らない」


「普通に持って帰れ」


 フィンは鍋を見た。


「その発想はなかった」


「鞄を持ってから、物を運ぶ方法を忘れてないか?」


「便利な道具は、人間から不要な技術を奪うんだ」


『当該見解には合理性があります』


「アークがお前に賛成した」


「見る目があるな」


 フィンが満足げにうなずく。


「だから不安なんだ」


     ◇


 医務棟を出ると、午後の鐘が学院中へ響いていた。

 石造りの回廊を学生たちが行き交い、窓の外では実技授業の光が時折空へ上がっている。


 数日しか離れていない。それでも、何もかもが少し遠く感じられた。

 すれ違う学生の何人かが振り返る。声をかけようとしてやめる者もいれば、小さく頭を下げる者もいた。


「人気者だな」


「見世物の間違いだろ」


「入場料を取れば、壊れた魔力計の弁償に回せる」


「まだ気にしてるのか」


「請求書は善意より遅れて来るんだ」


 レインは鍋を抱えて歩くフィンを見た。


「その格好で言われても説得力がない」


 教室へ入ると、話し声が一瞬だけ止まった。


「見世物じゃないぞ。見るなら一人一枚だ」


「何を取るつもりだ」


「案内料」


「あなたは何も案内していないでしょう」


 セシリアがレインの席から鞄をどけた。

 机の右側は空けられ、左手だけで記録を取れるよう筆記具が並んでいる。


 久しぶりに受ける授業は、初級術式構築論だった。


 教師は教卓へ、浅い皿と水に濡らした布を置いた。


「今日扱うのは、基礎乾燥術式です」


 術式手袋を着けた指が空中を滑る。


 中央には、水分を熱へ変換して外へ逃がす乾燥核。その周囲を、濡れた布だけに固定する対象環が囲む。処理環には温度を一定に保つ曲線が左右対称に巡り、四つの制御節点が流量を抑えていた。


「対象、処理、上限温度を確認し、最後に外周を閉じます」


 残っていた切れ目がつながる。

 完成した術式へ魔力が流れ、全体が淡い赤に光った。布から薄い湯気が立ち、数秒後には水気が消える。


「対象が布以外なら、対象記号を書き換える必要があります。生体や薬品へ、この標準術式をそのまま使ってはいけません」


『対象および処理を実行前に固定しています』


 そういうものだ。


『対象の状態変化に応じた再構築は行われません』


 上限まで乾いたら止まる。途中で方法を変える必要はない。


『安全な停止を優先する設計として記録します』


 レインは乾燥核を見つめた。


 核を構成する線の意味は、入学前から知っている。中央の変換記号も、その下へ接続された放出記号も、現代魔法の教本に載っている標準形だ。


 遺跡で見た古代術式にも、似た線はあった。

 だが、似ているのは断片だけだった。


 知られている古代記号は少なくない。発光、接続、遮断、保存。長い研究によって、単独の記号や短い並びなら意味が推定されている。

 それでも、記号同士を結ぶ線の規則が分からない。

 なぜそこに空白があるのか。途中で切れた線がどこへ続くのか。静止した古代術式を見ても、研究者に分かるのは散らばった単語だけだった。


 以前のレインも同じだった。

 アークと接続した今は、線が次にどこへ向かおうとしているのか、変化の意図だけが薄く伝わってくる。

 古代術式を習得したわけではない。

 動いている術式の内側を、アークの隣から覗いているようなものだった。


「レイン」


 セシリアの声で顔を上げる。


「聞いている?」


「聞いてる」


「今、教師ではなく術式だけを見ていたでしょう」


「術式構築論なんだから、間違ってない」


「そういう時のあなたは、大抵ほかのことを考えているわ」


 レインは否定しなかった。


     ◇


 授業中、レインは実技を免除されていた。


 終了の鐘が鳴っても、指先には術式を描きたい感覚が残っていた。数日しか休んでいないのに、見ているだけの時間がひどく長く思えた。


 教授と学生たちが教室を出た後、レインは術式手袋を左手にはめた。


「何をしているの?」


 セシリアがすぐに気付く。


「描くだけだ。発動はしない」


「それを治療師の前で言える?」


「発動しなければ実技じゃない」


「その解釈を確かめるために医務室へ戻る?」


「戻るつもりはない」


 フィンが反対側から覗き込む。


「なら、再入院しない程度にしておけ」


「止める側に回るのか」


「見舞いの品をもう一度考えるのは面倒だ」


「鍋でいいだろ」


「二つ目はいらない」


 レインは手袋の補助を借り、教本どおりに指を動かした。


 乾燥核。その周囲に布を指定する対象環。左右対称の処理線。等間隔の四つの節点。

 最後の外周だけは閉じない。

 これで魔法は発動しない。


 手袋の補正が線の揺れを整えていく。久しぶりに自分の手で術式が形になる感覚へ、レインは小さく息を吐いた。


「同じ目的を、古代式ではどう書く?」


『参照可能な術式構造を検索します』


『該当記録の欠損率、六十四パーセント』


『完全な構造は提示できません』


「残っているところだけでいい」


『視覚情報として提示します』


 レインの視界に青白い線が重なった。


 机にも空中にも、実際の魔力反応はない。アークが接続経路を通して、残存する構造情報だけを視覚へ送り込んでいる。


 最初に見えたのは、現代式と共通する三本の原型線だった。

 そこまではレインにも分かる。

 だが、その先が続かない。


 原型線の周囲には位置の定まらない三つの節点が浮かび、二本の線が大きな空白の手前で途切れていた。外周にも複数の切れ目があるが、その先へ伸びるはずの線は存在しない。


「何か見えてるの?」


 セシリアが尋ねる。


「俺にだけ。アークが記録に残っている術式構造を見せてる」


「読める?」


「共通する記号は分かる。でも、全体は無理だ」


 レインは片目を閉じ、動く節点を追った。


「アークが意味の候補を重ねてくれてる。それでも、この空白に何が入るのかは分からない」


「つまり、あなた自身が古代術式を習得したわけではないのね」


「通訳というより、欠けた文章を一緒に見てる感じだ」


『欠損箇所の処理情報を保持していません』


 セシリアは記録用紙を取り出した。


「見える順に説明して」


「その前に描けるか試していいか?」


「駄目と言っても試す顔ね」


 レインは青白い像をなぞるように指を重ねた。

 手袋の補正光が原型線までは追従する。


 しかし、そこから枝分かれする細線へ入った瞬間、光が乱れた。位置を変えた節点を固定しようとして、手袋が古い位置へ線を引き戻してしまう。


 レインはすぐに指を止めた。


「無理だ。細すぎる。それに、節点が動くたび手袋が元へ戻そうとする」


『現行補助具は可変術式線に対応していません』


「現代の手袋では、動く線を誤差として補正するみたいだ」


「なら、これ以上は試さないで」


 セシリアの声が低くなる。


「途中までしか書けない術式ほど危険なものはないわ」


「分かってる」


 レインは手を下ろし、見えた構造を一つずつ説明した。


 セシリアが記号と線を紙へ写す。フィンは黙って、現代式の対象環と教卓の布の位置関係を書き加えた。


「この線は?」


 セシリアが、空白の手前で途切れた線を指す。


「単独なら排出の記号に似てる。でも、この並びでは分からない」


『該当経路の参照記録が欠損しています』


「目的も分からないの?」


「水分に関係するのは確かだと思う。でも、乾かすためなのか、別の状態へ変えるのかまでは読めない」


 視界の中で、途切れた線が一度だけ向きを変えた。


「今、動いた」


「どう変わったの?」


「空白の右側へつながろうとした。でも、途中で止まった」


 セシリアは紙へ新しい線を書き足した。


「同じ記号でも、接続先が変われば役割も変わるのかもしれない」


「まだ断定はできない」


「ええ。だから記録するのよ」


 共通する記号はある。


 だが、停止した図だけを写しても意味はつながらない。節点は位置を変え、空白には実行時まで何も書かれていない。


 現代の研究者が読めなかった理由を、レインは初めて理解した。


 彼らが見ていたのは文章ではない。

 処理の途中で止まった、単語と余白の集まりだった。


「読めたわけじゃないな」


 レインが言う。


「そうね」


 セシリアは二枚の図を並べた。


「でも、今までの読み方では足りないことは分かった」


「形じゃなく、変化も見ないといけない。今まで古代術式が解読できなかったわけだ。」


「これが最初の一行ってことか」


 フィンが言った。


「まだ一文字かもしれないわ」


「厳しいな」


「研究はそのくらいでちょうどいいの」


     ◇


「アークに現代魔法を教えた方がいい」


 古代魔法について考察を交わす中で、セシリアが言った。


「古代式を解読するためじゃない。あなたの現代術式へ、勝手に介入させないためよ」


 納得のいく理由だ。現にレインは現代術式を描く最中、アークが口出ししようとしていたのがわかった。


「何から教える?」


「構築途中と損傷の区別から」


 セシリアは、レインが描いた現代式の開いた外周を指した。


「これは何に見える?」


『外周経路の欠損』


「違うわ。まだ描いていないだけ」


『不足経路の補完を提案します』


「しないで」


 セシリアは即座に言った。


「現代式では、外周が閉じるまで構築は完了していない。開いているからといって、損傷とは限らないわ」


『構築途中と損傷の識別方法を要求します』


「まず、術者の手袋から構築信号が続いているか確認する。続いているなら、術者が描き終えるまで待つ」


『信号が停止した場合は?』


「術式全体を検査する。対象環や処理環まで途中なら未完成。完成後の術式に意図しない断裂があれば損傷よ」


『識別できない場合は?』


「何もしない。術者へ確認する」


『目的の達成が遅延します』


「安全を確認できないなら、遅れていいの」


 セシリアは四つの制御節点を順に指した。


「現代式では、目的を達成することより、制限を越えないことが優先される。これは温度の上限。これは対象外への熱移動を止める節点。これは異常時の遮断」


『制限により目的を達成できない場合は?』


「停止する」


『代替処理を検索しませんか』


「その処理が最初から記述されていなければ、しない」


『不足処理を補完しない』


「そう。分からないなら、勝手に完成させない」


 短い沈黙があった。


『処理を実行しないことを、安全処理として記録します』


 セシリアが小さく頷いた。


「まずはそれでいいわ」


 フィンが紙の端へ、術者と布の位置を書き込んだ。


「次は対象だな」


『対象環に布が指定されています』


「布なら何でもいいわけじゃない。どの布かを決める」


 フィンはレインの机から教卓まで線を引く。


「術者から前方六メートル。床から一メートル。指定範囲はこのくらい。現代式では、発動前に対象の位置まで固定する」


『対象が指定範囲から移動した場合は?』


「追跡処理がなければ外れる」


『新しい位置を取得します』


「しない」


「しないわ」


 レインとセシリアの声が重なった。

 フィンだけが一拍遅れて頷く。


「別の場所を勝手に探したら、違う布へ作用するかもしれない。対象を失ったら止まるんだ」


『目的を達成できません』


「それでいい。対象を間違えるよりはな」


『安全な失敗として記録します』


「そういう言い方になるのか」


「意味は合ってるわ」


 セシリアは新しい紙へ、教えた内容を書き出した。


 一、構築中の術式を補完しない。

 二、不明な場合は停止して術者へ確認する。

 三、制限記号を目的より優先する。

 四、指定対象を失っても、別の対象を選び直さない。


「今日はここまで」


「まるで教師だな」


 レインが言う。


「あなたの術式へ介入されたくないだけよ」


「次は現代術式の文法まで教えよう」


 フィンが身を乗り出す。


「フィンまで教師みたいだ」


「俺は鞄に物の名前を教えるので慣れてる」


「それで鍋が出てきたの?」


「教育には失敗もある」


「失敗したまま私たちに渡さないで」


 レインはアークへ、四つの規則をもう一度確認した。


 すべて同じ言葉で返ってくる。


『記録しました』


「覚えたらしい」


「お前より素直だな」


 フィンが言った。


「俺も覚えてる」


「お前は今、禁止されてるのに術式を描いた」


「描くだけなら実技じゃない」


「その理屈で医務室へ戻されたら?」


「次は見つからない場所で描く」


「反省の方向がおかしいわ」


 教室の窓を、硬い音が二度叩いた。


 白い鳥が窓枠に止まっている。脚には、学院章の入った小さな封筒が結ばれていた。

 セシリアが窓を開けると、鳥は机へ降り、レインの前に封筒を置いた。


 宛名はレイン。

 差出人は学長室。


「何をした?」


 フィンが尋ねる。


「復帰初日だぞ」


「初日だから聞いてる」


 レインは片手で封を切った。

 中には、一行だけ記されていた。


『体調が許す時に、茶を飲みに来なさい』


 署名は、セドリック・オルドレン。


「呼び出しというより、招待ね」


 セシリアが言った。


「学長からの招待ほど、断りづらいものはない」


 フィンは医務棟から持ち帰った鍋を持ち上げた。


「手土産にするか?」


「持っていかない」

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