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51.ひさしぶりの王都


 まるで何年も離れていたような心地なのに、王都ガルリードに戻ると、拍子抜けするほどになにも変わっていなかった。

 冬の寒さに往来の人通りこそさほどではないが、街は整然とし、人々は穏やかだ。

 平和な国そのものの光景。

 散々見慣れてきたものなのに、波乱尽くしの遠征との落差に、わたしは知らない場所に来たような妙な気持ちになった。


「陛下の晩餐会も予定通り開かれるわ」


 長椅子にゆったりと寄りかかりながら、ティナさまはどこか苛立ったようにおっしゃる。


「テルヴァスの皇子死去の報は公表されていないし、へたに先走ると邪推を招くからなんですって。隣国からは国賓も来るのよ」

「なるほど……まあ、そうせざるを得ないのでございましょうね」

「わたくし、隣国の皇子にはお会いしたことがないの。どういう公務をこなしていたのか、どういうお人柄だったかも知らないわ。でも、唯一の皇子だったから、その生死は当然国を動かす」


 口調ばかりは乙女のそれだが、その目は狡猾な為政者のように、ここではない何かを捉えようと遠くを見つめている。


「わたくしはどうかしら? わたくしが死んだら、国は動くかしら? ……いいえ、動かないわね」

「ティナさま」


 わたしは目を瞬いた。

 普段は完全無欠にお可愛らしい姫君であるのに、まつりごとについて語るとき、ティナさまは思いつめたような顔をなさる。

 それが、なんというか……痛ましい。


「めったなことをおっしゃいますな」

「感傷的になっているわけではないのよ」 眉尻を下げたわたしに、ティナさまは微笑を返してくださった。「事実だわ。わたくしは現状では王の娘のひとりに過ぎない。代わりはいくらでもいるし、このままでは、なんの価値もなく贅を貪って生きているだけ……どうやったら、自分の命に価値を生めるかしら? それを考えるのが、いまはとても楽しいの」


 答える瞳に見えた意志の強さに、わたしはそれ以上の口出しを控えた。

 そうこうしているうちに、侍女が茶器を持って部屋に入ってきた。

 トレイに載ったポットからは、独特の薬草の香りが漂ってくる。


 時間切れだ。

 わたしはティナさまの足元に跪いた。


「ティナさま、そろそろ御前を失礼いたします」

「まぁ、もうそんな時間なの?」 ティナさまが残念そうに吐息をもらす。「もっと話したかったのに、残念だわ」

「また参ります。いまはご自愛くださいますように」

「ニアさんも無理はしないでね。またすぐに来てちょうだい。次はドレスの試着をしましょう。見てよ、このおそろいの装飾。身に着けるところを考えるだけで心が躍ってしまうわ」


 そう言ってティナさまが笑みとともに視線を向けた先には、仕立て終わったばかりのドレスが2着、壁際に飾られている。

 ティナさまと、わたし用にと作っていただいたドレスだ。

 片方が神秘的な青のドレス。もう一方が清楚な薄紫色のドレスになっている。


「ティナさまがお召しになれば、まばゆいほど美しゅうございましょう。拝見できますことを楽しみにしております」

「ニアさんにもきっと似合うわ。装飾をもう少し凝らせるわね」


 上機嫌そうなティナさまに、わたしはあえて何も言わずに下がった。

 ドレスなど騎士の纏うものではない、というわたしの考えは変わらないが、もう出来上がってしまったものを腐すようなことを申し上げ、ティナさまを悲しませたいとは思わない。

 かわりに、継ぎの間に控えていた侍女にこっそりと相談することにした。


「わたしのドレスなのだが、腰回りに余裕をもつよう、手直ししていただけぬか」

「腰回り、でございますか?」


 小声で問い返す侍女どのに、わたしは神妙にうなずいた。


「わたしは騎士だ。ご令嬢と違って、腰回りを締めることに慣れていないので……いざというときに、苦しくて動けないという事態は避けたいのです。あくまで姫殿下の護衛としておそばに侍る覚悟ゆえ、なにとぞ理解いただきたい」

「承知いたしました……一応、針子にはそのように伝えます」

「ありがとう」


 いくらでも細身に、というのがドレスを仕立てるご令嬢の第一義であろうから、わたしの言っていることは相当無茶なことだろうという自覚はあった。

 そこで深く追求せずうなずいてくれた侍女どのに感謝して、わたしはティナさまの部屋を辞した。


 遠征から帰ってきて、まだ3日目である。

 王都に帰る道中は気丈に振舞っていらしたティナさまだったが、さすがに深窓の姫君に強行軍は堪えた。

 お戻りになるなり臥せってしまわれ、今朝がた、ようやく起き上がれるようになったからと、わたしをお呼びくださったのだ。

 しかしそれも、侍医が来るまでのわずかの間だけ。

 薬湯が届くのが合図だった。


 用事の済んだわたしは、足早に騎士の詰め所へと戻った。

 顧問官の執務室に入ると、アルンバートが出迎えてくれた。


「ただいま戻りました、バーティアス様」

「おかえりなさい、ニア。ちょうど出ようとしていたところでした」

「そうでしたか。お供させていただいても?」

「もちろん。助かります」


 よそゆきの顔で笑うところを見ると、顧問官としての仕事らしい。

 アルンバートは、実家の稼業の関係か、たまに当然のような顔をして下町に出ることもあるのだが、その場合はなんとなしに口調がくだけているのでわかりやすい。


「魔法薬を作りたくて」


 廊下を歩きながら、アルンバートがこちらが聞く前に目的を話してくれた。


「魔法薬ですか?」

「わかっていたことですが、騎士隊には怪我人が多すぎるのでね。医者にかかる手間をいくらでも減らせればと、隊長から相談を受けまして」

「なるほど」


 怪我は、職業軍人として騎士がいやでも付き合わねばならないものであるが、今回の遠征では被害が多すぎた。

 その対応を考えるのも、隊を管理するものとしては必要なことだろう。


「みんな、ニアのように超回復ができたらいいんですけどねぇ」

「バーティアス様の薬でしたら、それ以上の効能がありましょう」

「どうでしょう? 僕は物騒な魔法のほうが得意ですからね。魔法研究棟に行って、回復魔法の体系を確認しようと思ったわけです」


 その言葉通り、向かったのは魔術師たちが詰める塔だ。

 入り口を守っているのは、見慣れた魔法騎士団の鎧姿ふたりである。


「銀環騎士隊顧問のバーティアスと、補佐官のエウクレストです」


 アルンバートが名乗ると、騎士たちは静かに両脇に引いて通してくれた。


 通り過ぎるときに、つい騎士の顔を見てしまう。

 兜の面頬も下ろしているので顔は見えないが、何年もともに訓練してきた仲だ。体型や立ち方で、誰なのかは大体わかる。

 勤務中であるから声はかけられない。それでも、兜の奥でニヤリと笑う口元を、たしかに見た。


 かつての同僚の元気そうな姿に、わたしも心が満たされた思いがした。

 なにも言わずにその場を離れたが、アルンバートには雰囲気で察されたようだ。


「入口で歓談して待っていてくれてもいいんですよ? お知り合いでしょう?」

「それでは彼らの邪魔になります。お心遣いだけ、ありがたく頂戴いたします」


 気遣うように言われた言葉に、わたしは軽く頭を下げた。

 アルンバートもそれ以上は追求せず、事務局に行って資料を閲覧したい旨を伝える。

 受付に立っていたのは、いったい最後に睡眠をとったのは何日前なのかと心配になるほど濃い隈を浮かべた男で、アルンバートの差し出した身分証をチラリと見ただけで、資料室へどうぞ、とおざなりに示した。


「あいかわらず変人しかいないなー、ここは」


 塔の回廊を歩きながら、アルンバートはいつもの砕けた口調に戻って言った。

 言葉とは裏腹に、締め付けから解放されたような、清々しい様子だ。


「もう見慣れたが、初めに来たときは戸惑ったな」

 わたしも、それならばと敬語をやめた。

「きちんと話してみると、気のいい連中なのだが」


「ミリーも、魔法使いに登録したらあれに混じることになるわけだ。ぷぷ、すげー戸惑うだろうなー」


 いたずらっぽく笑った魔導師の横顔を、わたしは少し意外な思いで見た。


「ミリーと話したのか?」


 ミリーをはじめ、遠征先に残った一団はまだ戻ってきていない。

 彼女の魔法が発現した件については、帰ってきてすぐにアルンバートに伝えたのだが。


「アハトが様子だけ見に行った。体調も魔力も、だいぶ落ち着いたみたいだよ。おれの使い魔見て、石投げるくらいには元気」

「それは……とりあえず、よかった」

「蛇の顔見て話したくないとか言いやがったから、ちゃんとは話せてないんだけど、今後の身の振り方について、色々考えるみたいだな。ていうか」

 妹との会話を思い出したのだろう、アルンバーとはふふっと笑った。

「あいつ、結構浮かれてるよ? なんだかんだ言ってさ、魔法使いに憧れてたんだろうな」

「そうなのか?」

「ま、庶民なんてそんなもんよ」


 アルンバートが言うことには、非魔法使いにとって、魔法というものはとにかく未知の力であり、恐れながらも憧れてしまう禁忌の存在らしい。

 王都の住民ともなれば、それこそ魔法騎士や研究者の姿を見かける機会も多く、自分もああなれば貴族位が手に入るのに、と思ってしまうものなのだとか。


 ただし、これが地方になると別の話で、魔法使いが疎遠になれば印象も悪くなる。

 そうすると、魔法力に目覚めても、登録しないものも珍しくないらしい。

 なにしろ手続きは煩雑だし、登録すれば魔力が消えるまでは王都に拘束されてしまう。

 それを嫌って名乗り出ないのだそうだ。


「しかし、魔法が発現すれば髪色に出てしまう。隠し通せるものではあるまい?」

「だから、故郷を出るんだよ。そういうやつが冒険者になる」


 あっけらかんと言うアルンバートの様子が、それが地方に住む非魔法使いの常識なのだと、なにより如実に物語っている。

 故郷を出るということは。当然だがその後の人生を大きく変える決断だ。

 しかも、冒険者になるということは、国の登録から外れる……ガルリア人ではなくなることを示す。

 そうまでして、魔法使いと登録されることを嫌がるのは、どうしてなのか。


 考えれば自然と、先日会った魔女の顔を思い出す。

 レイシーはもともと迫害された魔法使いの一族だと語っていた。

 それが原因で隣国に逃げ、シュルマの巫女になったと。


「魔法使いへの差別は、なくならないのだろうか」

「むずかしいね。だからこそ、この塔で魔法を究明して、誰でもわかる技術にしようとしてるんだろうけど」


 少ししんみりした雰囲気になったあたりで、資料室に着いた。

 図書室のような造りだが、蔵書には束ねられていない書類も多く、ずっと煩雑な印象だ。


「あったあった、治療魔法」


 アルンバートは慣れた様子で目当ての棚を見つけ出す。


「とりあえず、ミリーの今後については心配しなくて大丈夫。王都に暮らしてる限り、魔術師の地位は都合のいいことのほうが多いし。それでいい嫁ぎ先も見つかりやすいんじゃないかな」

「ミリーが、嫁ぐ」 口にして、わたしは目を瞬いた。「複雑だ……この数か月で、わたしはすっかり彼女を妹のように見てしまっている。その彼女が、いつかは嫁いでしまうのだな」

「あ、じゃあ、嫁に行くときはおれの代わりに泣いてやって。おれは多分、笑っちゃう。さもなきゃ、旦那になる男に同情するか」

「薄情な兄だな」

「兄貴なんてそういうもんだよ」


 軽口をたたきながら、数枚の資料を引き抜いて、革張りの冊子についた閲覧者の名札に名前を書き込む。

 手慣れている様子から、資料を借りるのは初めてではないのだろうとわかる。

 行こうか、と促されて、わたしはアルンバートについて魔法研究棟を出た。

 入り口の騎士たちにまた目だけであいさつをして、執務室に戻る。


「調合自体は、あとで店に戻ってやってみる」

 しっかりと防音魔法をかけてから、自分の机に戻ったアルンバートが言った。

「その間、誰か尋ねてきても、塔に面談にいったとかなんとか、ごまかしておいて。下町に戻ったって言うとうるさい連中もいるから」

「承知した」

「ま、すぐには出ないけどね。調合のレシピを組まないと」


 アルンバートがバーティアス魔法具店の人間だと知る人間は、騎士団にはほとんどいない。

 べつに隠しているわけではないが、畑違いの魔導師が騎士団の顧問をしているという事実が気に入らないものもいるのだ。平民出身であることや、実家の場所まで吹聴する義理はない。


「わたしに手伝えることはあるか?」

「えーとね、それじゃ、そっちの書類なんだけど、目は通したから署名を頼める?」

「任せろ」


 遠征中は代わりの補佐がいたわけではないので、アルンバートの身の回りには処理しきれない雑事が溜まりに溜まっている。

 山と積まれた書類を少しでも減らすべく、わたしはすぐに取り掛かった。


「そういえばさあ、軽い気持ちで聞くんだけど」

 借りてきた資料をめくりながら、アルンバートが声をかけてくる。

「どうだった? 遠征」


「どうとは?」

 わたしは自分のインク壺を引き寄せながら訊き返した。


「今回出たのって、みんな新人さんでしょ?」

「出向してきたものばかりだな。野営のときに話したが、みな気のいい連中だよ。癖はあるが」

「へえー。ま、銀環に引き抜かれるくらいなら、それなりに優秀か。癖って、どんな感じ?」

「やけに気にするじゃないか」

「一応、カシウスからは人事の相談もされててさ。でも、おれって普段訓練も行かないし、騎士とは関わらないからさぁ」

「前も言ったが、訓練に行ってみればいいのに。汗を流すと、凝った身体がほぐれて気持ちがいいぞ」

「うへぇ」


 絶対にいやだと表情で物語る魔導師に呆れながら、わたしは次々書類に署名を書いていく。

 顧問官に回ってくるような書類は、軍議の決定事項の共有であるとか、体裁ばかりの会議への誘いであるとか、そういった重要でないものがほとんどだが、とにかく量が多い。


「じゃあ、質問を変えるんだけどさ」

 そう言って、アルンバートはさきほども研究棟で見せた、こらえきれない笑いを我慢したような顔になる。

「カシウスとミリーがいちゃついてたのって、まじ?」


「隊長と、ミリーが」

 わたしはふとペンを止めて、視線を上向けて記憶を探った。

「ああ、そうだった。野営先でな。隊長はとにかくミリーの体調を気にしていらしたよ。食事時にご自身の隣に呼んだり、寝床もそばにと気にされて」


「ぶっは! マジだったのかよ!」

 今度こそ堪えられなかったらしい。アルンバートが派手に吹き出した。

「見たい! やばい、それすげー見たかった! 想像しただけで笑い死にそう!」


 その言葉通り、防音魔法がほんとうに作動しているのかと心配したくなるくらい、アルンバートは机の上で身をよじるようにして笑い転げだした。

 あまりの大笑いに、わたしは驚くやら混乱するやら、目を丸くするしかできない。


「なぜ笑う?」

「いや、あのね、ぶふっ……ちょっと待って」

 腹をさすって、なんとか笑いを落ち着かせようとしながら、アルンバートが涙目で答える。

「あれね、カシウスが新人を試す常套手段なんだよ。今回はミリーがいたからミリーを使ったらしいけど、女に懸想するとか、ありえない凡ミスをするとか、そういうのをわざと見せて、相手がどういう反応をするのか試すんだって」

「なるほど」


 わたしは感心してうなずいた。

 たしかに、常にない状況を作り出して、そのものの人となりを知るというのは重要なことだ。

 言われてみれば、微笑ましく見守るもの、呆れるもの、それぞれの反応を示していた。

 直後にそれ以上の非常事態があったためにうやむやになった感はあるが、それこそ、ああいった事態でどう動くかを測るためには必要なことだろう。


「わたしはてっきり、アルンバートの大切な妹であるから気にかけているのだと思っていた」

「カシウスがぁ? ないない。あいつがうちの店に通い始めて何年にもなるけど、まともに口きいたこともなかったよ。平民は貴族に関わらないもんよ」


 それは、世間の不文律だ。

 住む世界が違うもの同士は、わざわざ関わる必要がない。

 特に身分が下のものが上のものに関わることは、下手をすれば命に関わる問題になってしまう。


「だが、カシウス様がミリーに敬意を持って接しているのは感じた。心の機微には疎いほうだが、あれは演技ではなかったぞ」

「へー。とりあえず、みんなでそれを生ぬるい目で見守ってた感じか」

「まあ、中には渋い顔をしているものもいた。オランドという男だったな」

「オランド」


 名前を聞いて、アルンバートは近くの書類を探った。

 引っ張り出して覗き込んだのは、名簿か何からしい。


「オランド・レイク……こいつか」

「わたし以上に四角四面な男だよ。いかにも真面目といった感じでな、しかし実力はなかなかなもので、敵襲の際には怪我を負いながら伝令に走ってくれたのだ」

「ふーん、そっか。ありがと」


 わたしの言葉を最後まで聞いているやら、いないやら。

 気のない返事をして、アルンバートは名簿を書類の山に戻すと、また目の前の羊皮紙に集中し出した。

 それを邪魔するわけにいかないので、わたしも目の前の作業にとりかかる。


 そういえば、と思い出す。

 ケイネスを出る前に、オランドに不穏なことを言われたのだった。

 キプリーに気を付けろと……あれはどういう意図だったのだろう?

 オランドも、アルフォンソ・キプリーも、まだケイネスから帰還していない。

 だからなにかを確かめようにも無理な話なのだが、このことは、一応アルンバートかカシウス様には報告しておくべきだろうか……


 思案していると、ドアが外から叩かれた。


 わたしは顔を上げて、一瞬アルンバートと目交ぜしてから席を立った。

 誰かの訪問の予定はなかったはずだと頭の中で思い出しながら、戸口に立つ。


「ラウルでございます」


 誰何するまえに名乗られた。

 ティナさまの護衛の名に、わたしは内心で緊張した。

 なにかあったのだろうか? そう思って扉を開けると、あいかわらず布で顔の半ば以上を隠した、見慣れた護衛殿の姿があった。


「お嬢様から伝言を承ってまいりました」

「さようでございますか。では、中へ」

「いえ、ここで」


 そう言って、ラウル殿はそっと顔を寄せてきた。

 一瞬迷ったが、わたしも顔を寄せた。


「お嬢様の占い師殿に、テルヴァスから召還命令が参りました」

 ラウル殿は、わたしにだけ聞こえる程度の低い声で告げる。

「火急の呼び出しとのことで、明日の夜には馬車が出る手はずになっております」

「占い師……リヒテルマイア殿か」

「お嬢様が、エウクレスト中尉が占い師殿に興味を持っていらしたので、知りたいだろうと」

「そうでしたか、感謝申し上げます」


 わたしが礼を言うと、ラウル殿は軽く頭を下げ、一歩身を引いた。

 用事は済んだらしい。あとは一言も発することなく、静かに場を辞した。

 相変わらず、つかみどころのない御仁だ。

 影となり動く護衛らしい、といえばそうなのだろうが。


「急ぎの用事?」


 扉を閉めると、アルンバートが声をかけてきた。

 報告を求めているというより、仕事か私用かの確認のようなものだ。

 ここでわたしが言葉を濁せば、深く追及はしてこないだろう。アルンバートはそういう男だ。


「リヒテルマイア殿が本国から呼び戻された。明日の晩には発つらしい」

「えっ、マジで?」


 隠すようなことではない。素直に答えると、下を向いていた魔導師の顔がこちらに上がる。


「あー、そうきたか……思ったより早いな。てか、そんなに重用されてる占い師なのか、あの婆ちゃん」

「この早さから見るに、皇室お抱えでも不思議ではないな。こちらとて、姫君の賓客として招いたほどのひとだ」

「ニアがいない間に何回か会いに行ったんだけど、忙しいとかで会えない日が多かったんだよなー。やっぱ人気なんだな」


 アルンバートが、あまりおもしろくない、という顔をして羽ペンの背で自分の頬をつつく。


「会いに行ってきてもいいか?」 わたしは思い切って聞いてみた。「彼女には確かめたいことがある。もっと事後処理が落ち着いて、こちらでも意見を交換してからと思っていたのだが」

「そういう暇もなさそうだね。いいよ、こっちはやっておく。話を訊けるだけ訊いてきて」


 迷うことなく許可してくれる上官に感謝して、わたしは急いで机の上の仕事を片付けた。


「行ってくる」

「うん、頼むね、ニア」


 穏やかにほほ笑むアルンバートに見送られて、わたしは執務室を後にした。



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