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茨木くんと名雪さん  作者: 橘悠


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【サイフォン】

吊り下がった葡萄の照明、厚い木のテーブル、ガラスのサイフォンがステージのセンター。

アルコールランプに火が入ると、コポコポと地鳴りみたいな音が始まった。


「サイフォンはさ、抽出じゃなくて召喚って感じが好き」

「召喚、ですか」

「下のフラスコが大地で、上のロートが空。沸点の魔法陣で、香りを呼ぶ」

「表現が壮大ですね......」


水が上がり、粉が雨に濡れるみたいに揺れる。

ガラス越しのコーヒーは、ダンジョンの霧の色。

店主さんの手つきはレベルカンスト。

混ぜる回数も、火を落とすタイミングも、まるで譜面通りだ。


「見てるだけで落ち着きますね」

「ね。いつまでも見れられる。これも魔法の一つかな?」

「音の密度がちょうどですかね?コポコポ、カチャ、すべてがBGMとして整っているので」

「そうそう。あと、サイフォンは“逆転”が可愛い。上から下へ戻ってくる時の『ただいま』感」

「抽出が終わる合図ですね」


液面がするすると下がり、上部の粉がしゅっと乾く。

店主さんがガラスの棒を抜くと、香りが一段高く立ち上がった。


「どうぞ」

「ありがとうございます。——いただきます」


深煎り。

厚みがあって、角が丸い。

舌の上を、低音の弦が滑るみたいに通り過ぎる。

カップの縁に、黒い鏡ができる。


「おいしいです。これは読書向けですね」

「でしょ。存分に読むといいよ。私はこれでレポート書く。文章が重力を得るやつ」

窓際の席にペンを広げる。

外の雨粒が、ガラスに小さなドット絵を描く。

店の奥から『珈琲いかがでしょう』のコミックスが覗いていている。


「茨木くん」

「はい」

「もしまた課題が詰まったら、ここに戻ってくる。コポコポでリスポーン」

「良案です。チェックポイントの設定は攻略に重要ですし」

「うむ。じゃ、ちょっとコーヒーで休憩しようかな。サイフォンの逆流みたいに、言葉が『ただいま』って戻ってくるまで」

「全力で向き合います」


湯気は静か。

心拍は一定。

カップの底が見えたとき、今日も少しだけ進んだと分かる。

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