有閑魔王に温泉を。(3)
「さて。とりあえず、さっそくスプリングスの街へ向かおうではないか」
話が決まると、グレアスは馬車の主に、少年も一緒に荷台に載せて街まで運んでくれるよう頼んだ。スペースはあるし、少年による被害は出なかったということもあって、男はグレアスの頼みを呑んでくれた。
「オレは、リオっていうんだ。前は、スプリングスの街で、お客さんの荷物運びとか案内とかやって、小銭を稼いでた」
十六、七歳ばかりに見える追い剥ぎ未遂の少年は、自らの身の上をそう語った。
「グレアスにいさん」
客商売をしていただけあって、もともとは人懐っこい性格であるらしい。グレアスがリオに応えるように我が名を名乗ると、早速こちらのことを、あまりにも自然にそんなふうに呼んだ。
グレアスは思わず苦笑を漏らしたが、魔界ではされることのない新鮮な呼称に対し、別に悪い気もしなかったので、そのまま呼ばせておくことにした。
馬車の車輪はりんりんと鳴り、スプリングスの街並みがだんだんと近づいてくる。
街のすぐ向こうには、立派な山々が控えているのが見えていた。グレアスは、スプリングスを守るようにそびえる山の姿を眺めて、すぅっと目を細めた。
やがて馬車は、屋根に立派な鳥の飾りのある、大きな門の前で停まる。
「にいさん、ここがスプリングスの入り口だよ」
馬車の主が振り向いてそう言い、グレアスと少年はそれぞれに荷台から降りた。
「たすかった、礼を言う」
「なに、こっちこそだ。ひとりだったら、そこの小童に荷を奪われてたかもしれないしな」
男はからかうような口調で言い、少年リオのほうを顎でしゃくった。リオは、やや極まりの悪そうな表情をした。
「じゃあ、おれはもう行くよ。温泉、楽しめるといいな、にいさん」
男が言って、馬の手綱を引く。馬車に積まれた荷は多いが、どうやら今回、彼はスプリングスの街に用向きはないらしい。そのまま、からからと車輪が転がる音とともに、去って行った。
グレアスはあらためて、スプリングスへ入る門を見上げた。
緑色の屋根瓦が、陽光を受けて光っている。その上の飾りの鳥は、カラスだろうか。きっとこの街とゆかりでもあるのだろう。木製の大きな門扉も、なかなかに味のある雰囲気を醸し出していた。
立派だ。が、そこここには、汚れや破れが見て取れもする。それで、なんとなく、手入れが行き届いていない感じが漂っていた。ついでに、門衛もいないようだ。
「なるほど」
グレアスはひとりごちると、そのまま、リオと共に門をくぐった。
かつては湯けむりが揺れ、それに惹かれた人々が行き交っていたのだろう街角の光景が広がる。道に沿って、宿があり、食堂があり、土産物屋が軒を連ねているから、きっと、それはそれは賑やかだったはずだ。
だが、いま、往来をゆく人影はまばらだった。ざっと見ただけでも、看板を下ろした店も目立っていた。
「ふむ、なるほどな」
グレアスは街の様子を我が目で確かめつつ、再びそう口にした。
「どうする、グレアスにいさん? とりあえずどっか宿に落ち着くってんなら、オレ、案内するけど」
この街を訪れる客の案内役として稼いでいたというだけあって、街に入った途端、リオはさっそくグレアスのやや先に立って歩きはじめた。頼もしい限りだな、と、そう思いつつ、グレアスは少年の提案に軽く頷きを返した。
「そうだな、そうしよう。――良い宿はあるか?」
「ん。昔、贔屓にしてもらってたとこ。ウソかホントか知らないけど、かつて勇者さまが泊まったってのが自慢の宿だよ」
「ほう、それは興味深い」
「飯も酒もうまいって評判だし、露天風呂もある。――まあ、いまは、温泉のほうは駄目なんだけど」
それでも宿としては申し分ないだろう、と、リオは請け負った。
「では、そこにしよう。案内してくれ」
リオに導かれ、グレアスは街の大通りを進んだ。
人通りは少ないとはいえ、それでも、街の人々がみな姿を消したわけではない。戸口や窓の隙間から、あるいは道端の物陰から、ちらりちらり、と、こちらへと注がれる視線をグレアスは感じた。
久々の客らしい姿が珍しいのだろうか。が、それにしては、視線は突き刺さるように冷たいもののような気がする。まるで霜柱のような、白く凍った眼差しだった。
「ふむ……なにやら歓迎されておらぬようだ。黒尽くめの客を怪しんでおるのだろうか?」
グレアスが自らの恰好に目をやりつつ、苦笑するように言う。するとリオが、ちいさく眉根を寄せて、複雑な表情を見せた。
「あんたじゃないよ。だいたい、この街では、黒尽くめが嫌われたりはしないしね」
「ん? そうなのか?」
「門のカラス、見ただろ? あれ、街の守り神らしい」
「ほう、カラスがか」
「カラスって、神話なんかでは、太陽の神の使いとか、火を司ったりとか、するんだろ? だから温泉と関係づけられたりしたのかな」
「ふむ。では俺は、図らずも守り神の化身のように見えてしまうかもしれんな。カラスのような黒尽くめだ」
グレアスが冗談めかして言って肩をすくめると、そうかもね、と、リオも笑って応じた。
が、すぐに、その顔は雲ってしまう。
「どうかしたか?」
「いや、べつに……とにかく、冷たい視線のわけはオレだから、あんたは気にしなくていいよ、グレアスにいさん」
リオは無理をするようにまた笑って、顔を伏せるような様子でわずかに俯いた。
「なにか事情でもあるのか?」
「ん……べつに」
「別にというふうには見えないが」
グレアスが食い下がると、リオはこちらを見上げ、それから、くしゃりと顔を歪めた。
「オレ……この街じゃ、嫌われてんだ。温泉が出なくなってから、仕事なくなってさ……オレ、妹がいるんだけど。身体あんまり強くないし、とにかくあいつだけは食わしてやんなきゃって……でも、どうしようもなくなって……」
リオはそこで口籠る。おそらく、決して褒められたことではないことにまで、ついには手を出してしまっていたということなのだろう。言い淀むリオに、グレアスはひとつ静かに頷いた。
「事情は了解した。何か善くないことをしたのなら、それは償わねばならんな。――だが、いまのお前は俺の雇われ。正当な対価を得て、俺に労働を提供する身だ。とりあえずその仕事は、堂々としたらいい」
リオははっと顔を上げる。グレアスが紅玉の眸を細めると、リオはくしゃりと顔を歪め、うん、と、ちいさく頷いた。




