有閑魔王に温泉を。(2)
「少年よ、追い剥ぎか? まだ若い身で、望みもせぬのに、そう道を外さずともよいではないか?」
ゆっくりと顎をさすりつつ、余裕のある口調で述べた。
しかしそのことが、逆に少年を刺激したらしい。
「う、うるさい! 温泉が出なくなってから、スプリングスの街はさびれる一方だ。仕事もなくなった。物も売れない。飯も、ろくに食えない。こうでもしなきゃ、生きていけないんだよ!」
そのふるえる声には、怒りと悔しさとが滲んでいた。
「温泉が出なくなったとは、どういうことだ?」
少年の言葉を聞きとがめ、グレアスはやや低めた深刻な声音で、静かに問う。当座の目的地であるスプリングスでは温泉三昧をする気満々だったのだ。その計画が狂うのはいただけないではないか。
少年は短剣を構えたまま眉をひそめた厳しい表情をした。
「そのとおりの意味だよ。温泉が……温泉じゃ、なくなったんだ。いまじゃ湧くのは、冷たいただの水さ。かつては勇者さまにも絶賛された湯だったって聞いてるのに……冷えた温泉なんて、もう、客なんて寄りつきもしない」
「なんと……嘆かわしい」
グレアスはやや大袈裟な動作で額にてのひらを当てて、ああ、と、嘆息を漏らした。
「たしかに冷たい温泉は、もはや温泉とは呼べないな。このままでは俺は温泉を楽しめぬということではないか。実に、実に、嘆かわしいことだ」
ぶつぶつと独り言ち、もう一度、ふう、と、溜め息をつく。ああそうだ、と、片手をぽんと打った。
「少年よ、俺が手を貸す。一緒に温泉を取り戻さないか? 俺はどうしても温泉につかりたいんだ。ぜひとも協力させてくれ」
あまりにも唐突な言葉に、少年はぽかんとした。
「……あんた、いきなり、なに言ってんだ?」
問い返すその声には、いまは敵意よりも困惑があった。グレアスは、なに、と、苦笑するようにくちびるの端を持ち上げた。
「俺はスプリングスの温泉を味わいたい、否、味わわねばならぬと言っても過言ではない。だから、スプリングスの街に湯を取り戻すのに、手を貸そう」
「ずいぶん簡単に言ってくれるけど……」
「簡単さ」
ふ、と、笑ったグレアスは、懐から金貨を一枚取り出した。それを軽く指で弾いて、少年のほうへと放り投げる。反射的に受け取った少年は、わけがわからないというふうに、目を白黒させた。
「な……なんだよ、これ……」
「ん? 見たとおり、金貨だが」
「いや、そうじゃなくて。なんでオレに金なんか寄越すんだよ?」
「ああ……しばらくお前を雇うための対価といったところか」
「はあ?」
少年は、ますますわけがわからないといった、困惑顔になった。
「言った通り、いまの俺は、スプリングスの温泉を求めている。勇者の御墨付という温泉を、な。尽力は惜しまん。が、街のことを知っている案内役は必要だろう?」
グレアスは涼しい顔で言った。
「湯の中でのんびり酒を呑む、それが当座の旅の目的でな。温泉が戻れば俺も満足、ついでにお前の街も救われるし、悪い話ではなかろうが?」
そういうグレアスの顔を、信じられない、というような表情で少年が見上げてくる。グレアスは紅玉の眸を細めた。
「さあ、どうする、少年? 俺は寛大だからな、別に無理に手伝えとは言わん。ついでに一度渡したものだから、その金はお前にやろう。街に戻って、それでパンを買って、当面の暮らしを立てるのもいいだろう。が、それでは、金が尽きれば、そこまでだな。――それにくらべて、温泉が戻れば、お前はまたちゃんと暮らしが立ちゆくようになるのだろう?」
グレアスが言うと、少年ははっと息を呑んで、黙り込む。すぐには返事をせず、窺うようにグレアスを見詰めた。
「……この街に湯を戻すなんて無理だって……誰もが、そう言ってる」
「ほう、そうなのか」
だからなんだというふうに、グレアスは軽く頷いた。
「原因だってわかってない。手掛かも、まるでないんだぞ」
「それはこれから探せば済む話だ」
「でも……だって……」
「でも、だって、か。往々にして、言い訳の前につく接続語だな。出来ない理由を探しても、何も解決せんぞ? 無理かどうかなど、やってみなければわからん。が、無理だと決めてやってみなければ、永遠に無理だろうさ」
グレアスはさらりと返した。少年はまた、はっとしたような表情を見せる。
「とりあえず、だ。少なくとも、若い身空で追い剥ぎをするよりは、よほどましだとは思うがな」
とどめを刺すようにグレアスが言うと、相手は一瞬、言葉を詰まらせた。しばらく黙って、手のひらの金貨を見つめる。顔にはまだ戸惑いが残っていたが、やがて、きゅっとくちびるを引き結んだ。
「……変なやつ」
少年はつぶやいて、短剣をゆっくりと下ろす。
「ってか、オレみたいの雇うのに金貨とか……さすがに出し過ぎだって、にいさん」
今度グレアスを見た眸には、もう躊躇いはない。奥に決意の光が滲んでみえていた。
「金には困っていないのでな」
グレアスが肩をすくめると、はは、と、少年は笑った。
「でも、もらいすぎだと思うけど」
そう言ってくるあたり、根は素直で、善良なのだろう。
「かまわん。その分の働きに期待しておくこととしよう」
「ん……ありがと。オレ、あんたを手伝う。――どうせこのままじゃ、オレも街もジリ貧だし。無理でもともと、うまくいきゃあ、儲けもんだもんな」
「決まりだな」
グレアスは満足げに頷いた。




