有閑魔王に夜明けの歌を。(5)
アデルの家は、海辺の、小高く盛り上がった丘の上に、ぽつんと建っていた。漁師小屋というほど粗末な感じはなく、小奇麗な一軒家だ。軒下には漁のための道具類がいくつか置いてあり、海からさほど遠くないこともあって、濃い潮の香りに包まれていた。
木戸の取っ手は、潮風に晒されたためか、すこし錆びが浮いている。そのすぐ下の鍵穴に、ジェイドは慣れた手つきで鍵を差し込んだ。
「鍵を預かっているのか?」
グレアスはジェイドに訊ねた。
「中で住人が眠ってるのに、開けっ放しにしておくわけにもいかないだろ? 幼馴染のオレが、街でいちばん、アデルと親しいから」
「なるほどな。いつもは同居している老人がいると言っていたが、その者はまだ留守ということか?」
ジェイドが鍵を預からざるを得ない状況ということは、この家に、他の住人はいまいないということだろう。
「ああ。ヴィンセント爺さんって言って、両親が亡くなってから、アデルの養い親みたいなもんなんだ。その爺さんと二人暮らしなんだけど、爺さん、用事かなんかで、しばらく王都のほうへ出掛けてるみたいでさ」
ジェイドの言葉に、グレアスは軽く片眉を持ち上げた。
「なるほど、ヴィンセント老は留守か……なんともタイミングの悪いことだ」
「ほんとに……アデルがこんなことになってるって、爺さん、まだ知らないはずなんだ。アデルが倒れたのは爺さんが出掛けちまった後だったし。報せようにも、王都のどこにいるかもわかんねぇし……早く帰ってきくれるといいんだけど」
ジェイドは眉を顰めて言った。
カチ、と、音がして、鍵が開く。ジェイドは扉を押し開けた。
玄関を入ってすぐの部屋は、リビング兼ダイニングになっているようだ。光が降りそそぐ大きな窓辺には、あたたかな木製のテーブルが据えられていた。カウンターキッチンがあるのも見て取れる。
部屋の隅に据えられた棚には、単なるインテリアなのか、それとも住人の思い出の品か何かなのか、古びた革製の地図ポーチや、錆びた剣の鍔らしきものが飾られていた。
テーブルには、ちいさなガラス瓶に詰められた朝焼け色の乾燥花の置物がある。棚の傍の壁には、光線の加減で夕焼け色を点したみたいに見える黒い石のついたペンダントが無造作に吊るされていた。
ほんとうに縁とはおもしろいもの、と、口許をゆるめつつ、グレアスはすぅっと目を細めた。
部屋の手前と奥とにはひとつずつ扉があって、どうやらそこから次の間へと続いているらしい。ジェイドはそのうち手前にあるほうの扉へと歩み寄ると、静かにそれを開けた。
そちらはどうやら、アデルの個室のようだ。グレアスもジェイドに続いて、部屋の中へと足を踏み入れた。
やさしい木の香りと潮の香りが混ざった部屋だった。質素だが、殺風景ではない。さほど大きくない寝台が窓辺にひとつ据えられていて、そこではいま、ひとりの若者が静かに目を閉じて横になっていた。
「アデル」
ジェイドが親友の名を呼んで、寝台の傍へ寄る。グレアスも近くへ寄って、アデルの顔を見下ろした。
ジェイドに比べると、すこし線の細い印象の青年だった。髪は光に透けるような薄い茶色で、肌の色もやや白い。
とはいえ、不健康という印象はなかった。眠る彼の息はごく穏やかで、見る限り、顔色もそう悪くはない。
アデルの枕元には、読みかけなのだろう書物が、ページを開いたそのままの状態で伏せられていた。サイドテーブルには水差しがあり、グラスがある。日常のそのまま、時が止まったように見える光景だった。
だからこそ、いまにも目を開けそうな気がする。
だが、ジェイドの話では、このままの状態で、アデルは数日に及んで眠り続けているというのだ。
「衰弱しているわけではなさそうだ」
「うん……街には、アデルよりも何日か前に倒れた人もいるんだけど、その人たちも同じような状態だ。弱ってく様子はない。でも、目を覚まさない」
ジェイドは眉をひそめ、くちびるを噛んだ。
「他の街で小耳に挟んだが、死者はいないが、誰ひとりとして目を覚ました者もいないそうだな」
グレアスが確かめるように問うと、ジェイドは頷いた。
「これでまたサイレンのやつらが姿を現したら……そのうち、街中の人間が、眠っちまうかもしれない」
ぎり、と、青年がてのひらをきつく握り込むのが見える。
グレアスは何も言わず、しばらくアデルを見下ろしていた。
「まるで……この者の時だけが、止まっているかのようだ」
しなやかな手指を伸べて、グレアスはアデルの頬に触れた。自分の指先に神経を集中し、アデルの体内に潜む魔術の痕跡を探ってみる。
探索はグレアスにとって難しいものではなかった。なぜなら、魔力を隠そうという意図が、まるで感じられないからだ。
「ふむ、これは……そういう類の魔術だろうかな」
「そういうって……?」
グレアスの言葉の意味がわからないのだろう。ジェイドが不思議そうに尋ねてきた。




