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有閑魔王に夜明けの歌を。(4)

  グレアスを振り返った青年は、き、と、こちらを睨みつけた。


「あいつらは街に災いを運ぶ化け物だ! あいつらのせいで、オレの親友は……」


 そこまで言って言葉を詰まらせ、青年は俯いた。


「なるほど、訳ありのようだ……よければ話を聞かせてもらえないか」


 グレアスは青年の肩にそっと手を置いた。


「アンタ、なに?」


 青年は訝しげにグレアスを見た。わずらわしそうに、肩に置かれたグレアスの手を払い除ける。


 グレアスはこだわりなくすっと青年の身から手を離した。こちらを睨むような眼差しを受け流して、ふ、と、笑んで見せる。


「俺か。まあ、物見遊山中の、気儘な旅人といったところか」


「物見遊山……?」


「ああ。アウロレアで夏至の日に歌われるという黎明歌を聴きたいと思ってな。夏至はもう明後日だろう?」


「はっ、残念ながら、いまはそんな場合じゃないっての」


 青年は吐き棄てるように言った。グレアスは溜め息をつく。


「そのようだ。だからこそ、この街で何かが起きているなら、解決のため力を貸すにやぶさかではないと言っている。ぜひとも、例年のとおりに行われる黎明歌の儀に立ち会いたいからな」


 グレアスが肩をすくめて言ってもまだ、青年は疑わしそうにこちらを見ていた。


「いいではないか、話をするくらい。誰かに話すと楽になるかもしれないだろう?」


 ちがうか、と、問うと、ようやく青年はちいさく溜め息をついた。


 汀(みぎわ)から乾いた砂浜まで上がってくると、そこに座り、しばらくじっと海を眺めている。


 ざぁん、ざぁあぁん、と、遠鳴りだけが響く時間を、グレアスは青年を急かすでもなく黙って待った。


「オレは、この街の漁師なんだ」


 やがて青年は、透き通った明るい青の海のほうへと眼差しを投げたままで、ぽつ、と、言った。


「親父も、爺さんも、そのまた前も……ずっと、この海で生きてきた」


「そうか」


 グレアスはちいさく相槌を打った。やわらかな潮風がグレアスの艶やかな黒髪を弄(なぶ)る。


 青年の肌は陽に焼けていた。髪も、潮に濡れるせいなのか、すこしぱさついて色の抜けた茶色だ。言葉のとおり、この青年がこれまでずっと海と共に在った、その時間が思われた。


「おまえ、名は? ああ、俺はグレアスと言うが」


「ジェイド」


「ジェイド。それで、サイレンはおまえに何をした? 東海(オリエンティア)の魔族サイレンは、人に悪さはしないと聞いていたが」


 グレアスが言うと、青年――ジェイドはわずかに目を瞠ってグレアスを見た。


「アンタ……人魚(サイレン)を知ってるのか?」


「いや、話に聴いたという程度だ」


 しれっと嘯(うそぶ)いておいて、グレアスは肩をすくめた。


 ジェイドはしばらく窺うようにグレアスの顔を見ていたが、やがてまた海のほうへと視線を戻す。


「この海にサイレンがいるって話は、アウロレアでは、ずっと昔から語り継がれてる。この街の子供なら、誰でも一度はそういう話を聞かされるんだ。よくある昔話っていうか、迷信っていうか……」


「迷信か」


 グレアスが呟くと、ジェイドは、ああ、と、頷いた。


「サイレンが歌うと海が荒れるとか嵐が来るとか、ここらではそう言うんだ。だから猟師たちは、サイレンの細い歌声が聞こえてきたら、海に出ててもすぐに戻らなきゃならないんだって。そういう意味では、やつらは昔から、不吉の前兆さ」


 ふと、ジェイドは波打ち際に転がる貝殻のひとつを拾い上げた。それをじっと見詰める。


「だからこの街には、貝殻投げって風習がある。あいつらが好きなんだって言われてる綺麗な貝殻を、海に向かって投げるんだ。東海(オリエンティア)に棲む隣人、サイレンを怒らせないように、って」


 グレアスが先程見かけた、子供が海に向かって貝殻を放るあの光景は、やはりそうした意味があったらしい。


 ジェイドはさらに言葉を続けた。


「あと、猟師たちは海に出るとき、お守り代わりに貝殻を持っていったりもする。もしものときはそれを投げて、サイレンの災いから逃げるためだとか言われてるけど……」


 ぐっと貝殻を握りしめて、青年はは声を低くした。


「これまで、あいつらが直接、人間に手を出したっていう話は、聞いたことなかった。たしかに歌声を聞いたってやつは何人もいて、サイレンのことは、単なる迷信って感じでもなかったけど……それでも、サイレンの姿を実際に見たやつなんか、いなかったし」


 青年がこぶしに力を込めたのだろう、握り込まれていた貝殻が、ぱき、と、ちいさな音を立てて割れたようだった。


「でも、あいつらは現れた……なんでか知らねぇけど、この街の人間たちを惑わせた挙句、眠らせて……オレの、親友も……」


 ジェイドはそこで言葉を詰まらせる。握ったこぶしが、怒りのためか、口惜(くや)しさのためなのか、ちいさくふるえているのが見て取れた。


「先程も、親友、と、言っていたな。お前の親友は、いったいどうしたのだ?」


 グレアスが先を促すと、ジェイドはしばらく躊躇った後、意を決したように口を開いた。


「オレの親友は、アデルって言う。お互いこの街で生まれ育った、幼馴染なんだ。あの日も昼間、いっしょに漁に出てた。で、海から帰ったあと、ちょっと熱っぽいかもって、アデルが言い出して……」


 それが最初の異変だったらしい。


「風邪だと思うって、アデルは笑ってた。寝れば治るから心配いらないって。でもあいつ、親とかもいなくて、普段は同居してる爺さんもいまは出かけてて、ちょうど家にひとりだったし、心配だったから、オレ、その夜はあいつの家に泊まったんだ。看病のために、さ」


 そして、ジェイドはその光景を目撃したのだという。すなわち、サイレンが彼の親友を海辺へと招き寄せ、不思議な歌で惑わせたところを、だ。


「アデルのやつ、夜中に急に起き上がって、ふらふら外に出ていっちまって……オレ、止めたけど、ぜんぜんオレの声なんか聞こえてないみたいだった。ぼうっとして、でも、足取りだけは真っ直ぐに海辺に向かって……ついてったら、海の中に、何頭もサイレンがいた」


 夜の海には、明るい月光が射していたのだという。紺青色に染まった波間に、ぽつん、ぽつん、と、人影が見えていた。


 蝋のように白い肌が印象的だった。まるで良く出来た人形のように整った容貌が、いっそ、不吉なほどにうつくしかった。


 それが、それまで誰かの話の中にしか存在しなかったサイレンを、ジェイドが目の当たりにした刹那だった。虚ろな眸をして立ち尽くす親友の隣で、ジェイドも呆然とその魔物を見詰めたらしい。


 サイレンたちは、汀からはかなり距離のある沖にいたようだ。けれども、その細い歌声は、砂浜までしっかりと届いていたという。


「そいつら、しばらくしたらどっかへ消えちまった。けど、そしたら今度は、なんでかアデルが歌いはじめて……たぶん、サイレンどもがうたってた歌だと思う。何とか家まで連れて帰ったけど、それからもずっと妙な歌をぶつぶつ口ずさんでて、オレが何言っても、反応がなくて……で、歌わなくなったと思ったら、死んだみたいに眠ってて……もう、目を覚まさなくなってた。しかも、アデルだけじゃないんだ。そんなやつらが、いま、この街にはわんさといる」


 ジェイドはきつく眉根を寄せて、絞り出すような調子で言った。


 ジェイドの話は、グレアスが宿の亭主から聞いたものと、概ね同じような内容だ。ただ、こちらは、その異変の原因を、サイレンの仕業だと確信している。


 たしかに、そう判断するのも尤(もっと)もな状況には思われた。だが一方で、なんとも釈然としない。ほんとうに、この街の奇病は、サイレンが原因なのだろうか。


「もう、医者も、匙を投げちまった……みんな、人魚(サイレン)の呪いに違いないって。何か恨みでも買ったんだろうって。でも……」


 ジェイドはくちびるを噛みしめる。


「アデルは良いやつなんだ。海で両親を亡くしてても、強くて、明るくて……ちょっとお人好しなところがあって、さ。あいつはぜったい、サイレンに呪われるようなことなんか、してない……! なのに、なんであいつが……!」


 なぜアデルが、と、ジェイドは再び繰り返し、そこで黙り込んだ。黙した青年の指が、ざり、と、砂を掻く。怒りと無力感とが入り混じったような眸が、海をぎりりと睨みつける。


 グレアスもまた沈黙して、遠く、澄んだ青を湛える海を見詰めた。


「ジェイド」


 しばらくしてから、海を睨んで黙りこくっている青年の名を呼ぶ。


「お前の友……アデルと言ったか? よければ、その者のもとへ、俺を連れて行ってくれないか」


「は? 別にいいけど……なんでだ?」


「これでも魔術などには詳しいほうだ。様子を見れば、なにかわかることがあるかもしれん」


 グレアスが答えると、ジェイドはすこし思案した末、わかった、と、言って、立ち上がった。

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