有閑魔王に花の祭りを。(8)
その場に残像を残して、目にもとまらぬ速さで転移した先、外套を纏った貧相な男を後ろから羽交い絞めにする。
「愚か者はお前ひとりか? 仲間は? それとも、誰かにそそのかされでもしたのか?」
グレアスは、いっそやさしげな声で、男にささやいた。
「せっかく魔界も人界も穏やかになっているというのに、余計な騒ぎを起こすな。俺の仕事が増えるではないか、塵芥め。――ん?」
嘲ってやると、男はカッとなったようだ。グレアスの腕を振りほどき、距離を取った。てのひらのなかに魔力を蓄え、こちらへの攻撃姿勢をみせている。
グレアスは、やれやれ、と、呆れた嘆息をもらした。
「はっ、その余裕は、どうせ強がりだろう? ここは人界……貴様のたのむ優秀な部下たちはいないんだ! 一対一なら、我のほうが貴様より強い。貴様の息の根は我がここで止めてやる! 覚悟しろ!」
「まったく……俺を倒して、それで何をしたいんだ、お前は」
グレアスはまた、溜め息をついた。
「魔王になりたいのか? そんなもの、良いものではないぞ。お前らのような小物の世話やら、血気盛んな馬鹿どもの相手やら、くだらんことにばかり、かかずらわっておらねばならんし。部下には扱き使われるしな。多少強引な手でも使わねば、物見遊山のひとつも楽しめん」
グレアスは肩をすくめる。
「ああ、それとも、なにか。俺を倒して強さの証としたいのか? 強さこそが絶対的な正義だと信じている類の薄っぺらい愚か者か? だったら言っておくが、力というのは、どう使うかに意味があるのだ。ただ力があることになど、これっぽっちの意味もない。――……まあ、お前のような小物には、残念だが、理解はできんか」
グレアスが口にしたのは安い挑発だった。が、相手は苛立っている。その証拠に、相手のてのひらの魔力が、みるみるうちに脹らんでいた。
「うるさいっ! 黙れっ!」
敵は魔力の球を大きく振りかぶると、グレアス目掛けて投げつけた。ぱん、と、すぐにその塊は弾けて、無数の刃となって空を裂き、グレアスに襲いかかってくる。空中で、縦横無尽に交差して、こちらを取り囲む。
「そういきり立つのは図星だからだろうが、小物め」
が、グレアスは落ち着いていた――……慌てる必要など微塵もない。こんなもの、肩慣らし程度の運動にもならない。なぜ勘違いした小物どもは、この程度で、一対一ならグレアスに適うだなどと思うのだろうか。
「ああ……小物だからか。まったく、面倒くさいな」
グレアスはいかにも嫌そうに眉を寄せると、ち、と、舌打ちして頭を掻いた。
自らの能力を過大評価し、相手の能力を過小評価する。だから愚かな小物だというのだ。ちゃんと目をかっぴらいて現実を見てみろ、と、思う。中途半端で勘違いした小物どもの何割かがそうしてくれたら、どれだけ、グレアスが抱えねばならない厄介ごとが減るだろうか。
グレアスは、はあ、と、嘆息した。
そしてすぐに、きりりと表情を引き締める。
塵芥の掃除など、とっとと終わらせるに限る。彼は自然の摂理を無視するかのように、ひらり、と、身を翻した。
それだけで、ぱちん、ぱち、ぱち、と、次々に相手の魔力の刃が破裂して消失した。
「そう、力というのは、どう使うかに意味があるのだ……たとえば、ごみ掃除の奉仕活動とか、な」
グレアスは紅玉の眸を眇めて言うと、左手の人さし指を立てて、くるくる、と、ちいさく円環をえがいた。しなやかな指先には昏い紅に輝くちいさな輪ができ、やがて空へと放たれる。かと思うと、それは魔族の男の真上へと浮かび上がり、そのまま急速に落ちて、男をきりきりと縛めた。
「き、さま……!」
魔族の男は、まだ反抗的な眼差しをグレアスに向けた。
「我は、かの南海公の友たる魔族だぞ。それを、こんなぞんざいな扱いをして……!」
ぎりぎりと歯がみする。グレアスは、はは、と、嘲弄するように嗤った。
「南海公? それがどうしたというのだ? 誰を友に持つかはその者をはかるひとつの基準ではあるが、それは、友とするものの価値が、そのままその者の価値となるということではないぞ。いくら偉い友を持とうが、お前自身が偉くなったわけではない。ついでにいえば、南海公がなんだというんだ? あの程度のひよっこ魔族……いまお前の目の前にいるのは、魔界の統治者だぞ」
そういうと、男は、う、と、黙った。
グレアスは、はあ、と、長嘆息した。
「ザフィエ」
魔界にいるはずの側近に、魔力を使って呼びかける。
『なんですか』
すぐさま、ザフィエが応じた。
『あらかじめ断っておきますが、その馬鹿な男の身勝手な行動について、私へのお叱りは受け付けませんよ。馬鹿が勝手をするのは、馬鹿の自己責任です。私には与り知らぬこと』
そう続いた言葉に、グレアスは苦笑した。
「お前を叱ったりはせんよ。こいつの首根っこを押さえておけなかった責任という話ならば、第一に、俺にあるだろうからな。別に、叱るために呼んでない」
『さようですか。では、用件を手短にどうぞ』
「うん。――こいつ、牢にでも入れとけ」
グレアスは、自分の魔力の縄に縛り上げられている男の傍に、ふわりと飛んで近づいた。がし、と、その頭を、おおきなてのひらで掴み上げる。男は、ひ、と、息を呑んだ。
「魔界へ飛ばすぞ」
力を込めた。男の姿は陽炎のように揺らぎだす。
『諒解です。逃げようとしたりしたら、魂ごと滅却しといて良いですよね? いつまでも関わるの、面倒ですし』
「まあ……好きにしろ」
グレアスは苦笑して言った。




