有閑魔王に花の祭りを。(6)
「ド・ラクラ……フィレンネルのある、この丘……ラクラの地……え? 龍……?」
リリアーナは信じ難いというふうにちいさく首を振る。
「だって……そんな、まさか……ここが……この街のある場所が……龍……?」
自分で言葉にしてもなお、リリアーナはその結論が信じられないようだ。顔には驚愕の色が浮かんでいる。
グレアスは、少女の問いかけるような調子の言葉に対して、すぐには否定も肯定もしなかった。彼女がなにかを受けとめるのを待つように、口許にわずかに微笑を浮かべ、じっと黙っている。
しん、と、場に静謐が満ちた。
グレアスはふと、祭壇の神像に視線を向ける。そして、その像のほうへと、優雅な仕草で歩み寄った。礼拝堂の天上の高い空間に、かつん、かつん、と、靴音が高く響く。
花のようなステンドグラスから差し込む光を翼に受けて、像はしずかに佇んでいた。光が作りだす模様のために、まるで蝶が翅を広げた姿にも見える。
グレアスは像の正面に立つと、すぅ、と、紅玉の目を細めた。
「『天高く愛の花咲く、風に乗り廻り来たれり、地に眠る子に届けんと、とこしえに巡り廻らん、この愛の花』」
口ずさんだのは、先程、塔での花撒きの儀式の際に耳にした詩だった。その詩にうたいあげられた伝承には、きっと、真実の欠片がひっそりと閉じ籠められているのだ。
「正確にいえば、おそらくは……龍の子、の、ほうだろう」
グレアスは像のところから、リリアーナを振り返って言った。
「どういうこと、ですか?」
リリアーナはグレアスに説明を求めた。
グレアスは神像のうつくしい翼にそっと手を伸ばして触れる。
「この像はおそらく、古き龍族の一、蝶龍の姿をうつしたものだ」
「ファル、ドラコン……」
聞き慣れない響きをたしかめるように、リリアーナが口にした。グレアスは無言でひとつ頷いた。
「薄く光に透けるような、うつくしい蝶の翼を持つ龍なのだという。まあ、太古の種族だし、俺も実際にお目にかかったことはない。文献でしか知りはしないんだが……その卵は巨大な繭のごとく、花のみを糧に長く眠る。ひとたび羽化し、飛び立てば、再び地を踏まず。とこしえに天空を巡り、ついに融けて風と成る」
かつて文献で得た記憶を、糸を手繰るように引き出す。
リリアーナは目を瞠ったまま、ただグレアスの語りを聞いていた。
「最初は俺も確信はなかったんだが。なにせ、ファルドラコンはあまりに古い種族だ。まさかいま、しかも人界でお目にかかろうとは思わなかった。だが、彼らは、桁外れの長命種だとも言われているんだ。せせこましく大地を生きる我らと違い、悠久の時を、天空を巡って過ごす種族ならば……そういうこともありうるか、とな」
グレアスは数奇な邂逅の妙をおもしろがるように、くつり、と、喉を鳴らした。
「なぜこの街には、塔の上……そう、天にみたてたような場所から、花を撒く風習があるのか。――かつて実際に、天から花が降ったことがあるからだ」
フィレンネルの街で、花祭り《フィオレ・フェスタ》の度に繰り返されてきた風習。それはきっと、この街で実際に起きたことが、形を変えながら引き継がれてきているものではないのか。
「なぜ、おまえの祖父は天上画……天上世界の姿として、花園をえがいたのか。――それはきっと、天にある花園を、その目で見たことがあったからだ」
リリアーナの祖父ルキノが、祖母ソフィに贈ったという花。それはリリアーナがそう信じたように、正真正銘のフィロ・ドラクラだったのではないのだろうか。
ルキノは、五十年前、空の上で花園を見た。
「蝶龍の降らせる、龍の愛……それは龍の背にある花園だ。およそ決まった周期で花が咲く。そのたびに、龍は地上近くまで降りてきて、この地に花を降らせるのだろう」
それは一瞬の出来事かもしれない。だが、運が良い者がいれば、その光景を目にすることもあったのだろう。目撃した誰かが伝えた、天から降り灌ぐ花の話が、この地の祭りで、塔の上から花を撒くという風習になったのだ。
「でも……龍はいったい、なんのために花を……?」
リリアーナが疑問を口にした。
「はは。おまえたちとて、花を食うではないか」
「え?」
「昨日、俺も食ったぞ。ミエリーナ・ローザという花びら入りのジュレ、フロール・ミエル・タルトという花と蜂蜜のタルト、それから、フィオレット・シュシューだったかな。あと、花びら入りのサラダもあった。おまえのところでは、ジャスミンのジャムだって出してくれた」
リリアーナは、ぽかん、と、する。
「た、べもの……?」
「そうだ。繭の状態のファルドラコンの子にとって、親の背に咲く花が栄養源なのだろうな。だから、龍の愛、だ。この地はかつてドラクラと呼ばれていたというが……だとすれば、この街フィレンネルはまさに、龍の子に……龍の卵、その繭の上に、築かれたのだろう。その上に街ができようが、親にとって、子は子。だから、五十年に一度、やってきて子に栄養を与えている」
そういうことだろう、と、グレアスは結論付け、肩をすくめた。
「龍の背の、花園……」
「そうだ。フィロ・ドラクラが咲く花園は、まさに空の上をゆく龍の背にこそあるのだ」
「でも、おじいちゃんは、どうやってそんなものを見たというの……?」
「さて、そこまではわからんが」
あるいはそこには勇者がかかわっているのかもしれない、と、グレアスは心の中だけで思う。そして、すこし、笑う。
「どうやら――……気配が迫ってきている」
そう言って像の傍を離れたグレアスは、リリアーナの隣を通り抜け、礼拝堂の出入口のほうまでつかつかと歩んでいく。慌てたように、リリアーナが後に続いた。
外に出ると、空は暮れかかっている。夕刻の茜の気配も薄らいで、夜の帳が下りてこようとしていた。そんな空をグレアスは振り仰ぐ。
優れた聴覚が、風の音の変化をとらえていた。遠雷にも似た響きが聞こえている。空がざわめいていた。
「遥か天高くから……降りてきている」
「あの……なにが、降りてきているのですか?」
「ははっ、そんなもの、決まっておろうが……今年はちょうど五十年目なのだろう?」
「え……?」
「おまえの祖父が祖母に、花園へ連れて行くと約束した年だ。もちろん降りてくるのは、花園を背に負った蝶龍だ」
天高く見上げていたグレアスはリリアーナを振り返り、紅玉の目を細めた。リリアーナは息を呑む。
「……ほんとう、に……?」
「もちろん。なんだ、おまえは祖父の言を信じていたのではなかったのか?」
「それは、そうですけど……でも」
「五十年目だ。龍が来て、花を撒く。――だが、どうも……この祝祭を邪魔する無粋者が、空の上におるようだな」
「え?」
「ふむ。フィロ・ドラクラの降る光景は、俺とて、ぜひとも見たいもの……仕方がない。少々掃除して、龍の通り道を空けるとするか」
グレアスは誰にも聴こえないくらいに低めた声で、そう不敵につぶやいた。
「お前はここで待っていろ。このうつくしい街に似つかわしくない塵芥があるようだから、ちょっと行って、片付けてくる」
グレアスはわずかに口の端を歪める。薄いくちびるの隙間から、ちらりと尖った八重歯がのぞいた。
「え? ど、どこへ行かれるんですか、グレアスさん?」
「なに、ちょっとした掃除だ。すぐに済む。終わったら、おまえの祖父に代わって、俺が約束の花園を見せてやろう」
驚くリリアーナをその場に残して、グレアスは颯爽と歩きはじめた。




