有閑魔王に花の祭りを。(5)
その後グレアスは、花を届けるというリリアーナと共に、礼拝堂の中までやってきた。
古びた木製の扉を開けると、礼拝堂の中も花にあふれている。正面の天窓に嵌められたステンドグラスは、それ自体が極上の花のようだ。そこを透かして、赤、青、黄、紫、さまざまな色に染め上げられた光が、薄暗い室内へと射し込んでいた。
祭壇に祀られているのは、翼のある、幻想的な生き物だ。広げられた羽の上には、ステンドグラスを通してちょうど極彩色の光が降りそそいで、まるでうつくしい蝶の翅のような模様をつくりだしていた。
「これはこの街の神かなにかなのか?」
像の前の所定の場所に花籠を捧げ、祈りを終えたリリアーナに、グレアスは問う。グレアスの傍へ戻ってきた少女は、こく、と、頷いた。
「そうみたいです。誰も見たことがないので、本当のところはわかりませんけれど……街が出来た頃からずっと、ここでお祀りされているんですよ」
「なるほどな。――人の記憶とは、実に面白いものだ」
「え?」
「伝承の中に真実を眠らせて、未来へと継いでいく」
グレアスは目を細めた。ひとりごとのようなグレアスの言葉に、リリアーナは不可思議そうに首をかしげるが、これには、なんでもない、と、ゆるく首を振る。
「ところで、ここの天井画が、お前の祖父の描いたものなのだな?」
上を仰ぎ見るようにしながら話題を変えた。
「そうです。おじいちゃんの絵……」
リリアーナも天井画を見上げた、なつかしそうに目を細めた。
祭壇の真上を覆うように、天井はゆるやかなアーチ状になっている。そこに、リリアーナの店でみたのと同じ幻想的な朝焼けの花園の絵が、いっぱいに描かれているのだった。
「天井画ってふつう空の上の世界を描くものなのに、おじいちゃんったら、花園を描いて……でも、この街の礼拝堂にこれ以上にふさわしい絵はないんだって、自信満々に胸をはってました。おばあちゃんは、ちょっと呆れてたっけ」
そのときのことを思い出したのか、リリアーナは、くす、と、ちいさく笑った。
翅とも翼ともつかぬものを広げた像の真上、雲ひとつない空を背景に、朝焼け色の花が咲き乱れている。とこしえの春を切り取ったような光景の中には、いまにも風が吹き抜けて、いっせいに花びらが舞い立ちそうですらあった。
否、現実に、ここから花は舞い立つのだ――……そして地上へと降り灌ぐ。
グレアスは、ふ、と、口の端を持ち上げた。
「やはり人というのは……面白いものだな」
「え?」
「お前たちはとうに答えを知っていたのではないか……幻の花園の、在処を」
グレアスの言葉に、リリアーナは、ぱちぱち、と、大きな眸を瞬いた。グレアスの言葉の意図がどこにあるのか、まるでわかっていないというふうである。
グレアスは、くつ、と、低く喉を鳴らす。そしてまた天井画を仰いだ。
「なぜ、この街には、塔の上から花を散らす儀式があるのか」
うたうように言う。リリアーナはまた、不思議そうにグレアスを見詰めた。
「なぜ、天上世界を描く天井画のモチーフが、花園なのか」
グレアスはそんなリリアーナに向き合うと、くすん、と、肩をすくめてみせて続けた。
「フィロ・ドラクラ……語り継がれる、龍の愛」
最後は歌うように口にする。
「龍の、愛……?」
リリアーナは、グレアスの言葉を受けて、ただ不思議そうに鸚鵡返しに問うた。
「そうだ」
グレアスは笑って頷く。すらりと長い指で、朝焼け色の花が一面に描かれた、リリアーナの祖父が製作したのだという天井画を真っ直ぐに指し示した。
「あの花の名、フィロ・ドラクラは、そもそも龍の愛、あるいは、龍の子の愛という意味だろう」
「えっと……フィロ・ドラクラ? フィオレ・ド・ラクラ《ラクラの花》じゃ、なくて……?」
リリアーナの問いに、グレアスは片方の口の端を持ちあげる。
「そう。もともとは、フィロ・ドラクラだったはずだ。古い手記にそう記されたのを見たことがある。『花祭りの起源にちなんでフィロ・ドラクラの花を降らせる光景は壮観だった』とな」
グレアスは滔々と手記の内容を諳んじてみせたが、リリアーナはまだわけがわかっていないようだった。
だが、それも当然だろう。少女は――否、街の者たちも含めて、みなが――花はフィオレ・ド・ラクラという名だと思っていたのだ。彼女の祖母ソフィもそう思い込んでいたものと推測されるが、しかし、祖父のルキノはそうではなかったはずだ。
彼は、真実を知っていたのではないだろうか。だからこそ、この天井画が描かれたのだ。
「じゃあ、ラクラの花っていうのは……」
「おそらく、いつかどこかの段階で聞き違えられて、意味がずれたのだろうな」
よくあることだ、と、グレアスはちらりと苦笑して、肩をすくめた。
「フィロは〈愛〉、ドラクラは〈龍の〉、または〈龍の子〉を指す言葉だ。龍の愛、あるいは、龍の子の愛……さて、では、ここでいう龍とは、もしくは、龍の子とは、いったい、何を指すのか」
「ドラクラ……」
リリアーナがつぶやいた。おそらくは、さして意味もなく、ただ口から漏れた言葉だろう。けれどもグレアスは、その言に、に、と、くちびるを弧のかたちに引き上げた。
「そう呼ばれるものが、ここらには、もうひとつあったろう?」
相手の思考を誘うように囁くと、リリアーナは、はっとしたようにグレアスを見た。




