有閑魔王に花の祭りを。(4)
「誰かに話すような、たいそうなことじゃないのよ……」
頬に手を当て、ソフィはしばらく迷うふうだったが、諦めたようにちいさく息をつく。話して聞かせてくれる気になったらしい。一度ちらりと絵の花園に視線をやると、そのまま、とつとつと若かりし頃の出来事について話しはじめた。
「あのときは、ちょうど、この街に勇者さまがやって来ていて……だからまだ、魔界との戦いが激しかった頃ね。ルキノがどこでどうやってあの花を手に入れたのか、実はあたしも、詳しい経緯はぜんぜん知らないの。だってルキノったら、ある日突然、朝焼け色の花束を抱えてやって来るんだもの……あたしに結婚を申し込みに」
ソフィはそう言って、すこしはにかむような表情を見せた。
「ご夫君は、なかなか情熱的な方のようだ」
グレアスはすこし微笑んだ。魔界には誰かに花を贈るといった風習はなかったが、それは悪くないことなのかもしれない、と、思う。ずいぶん昔の出来事なのだろうに、その思い出は時を超えて、いまも人にこんな表情をさせる力を持っているのだ。
グレアスが目を細めていると、ソフィはますます恥ずかしそうにした。
「あら、そんなんじゃないわよ……ちょっとロマンチストなところがあっただけ。あとは 圧倒的にお調子者だったし」
ちいさく眉根を寄せるのは、もしかしたら、照れ隠しなのかもしれない。グレアスは何も言わず、ソフィの続きの言葉を待った。
「その後あたしたちは結婚したんだけど、ちょうどその頃にルキノが描いた絵が、それ。礼拝堂の天井画にも同じ花園を描いてたわ。あたしが、どこを描いた絵なのって訊いても、あの人、教えてくれなかった。場所は秘密だって、五十年後に連れてってやるから楽しみにしてろって、ちょっと悪戯っ子みたいな顔で笑ってたわ」
当時を懐かしむように、ソフィは目を細めて笑った。
「でも、五十年経たないうちに、あたしを置いて死んじゃうんだもの……ほんと、口の減らない適当な男だったわね」
言葉自体はルキノを罵るような内容だったが、口調はどこかやわらかく、ずっと連れ添った夫への穏やかで深い愛情が滲んでいるようだった。
「その五十年目が、ちょうど今年なんです」
グレアスを見て言ったのはリリアーナだ。
「おじいちゃんはたしかに、陽気でお調子者で、ちょっと適当なところもあったけど、でも、この絵の前に立ってるとき、すごく懐かしそうな目をしてたの。だからあたし、おじいちゃんはほんとにこの花園を見たんじゃないかって……おばあちゃんとの五十年後の約束だって、ほんとに嘘じゃなくて、本気で言ってんじゃないかって。だとしたら……」
そこでいったん言葉を切ると、リリアーナは真摯な眼差しで絵を見詰めた。
「だとしたら、わたし、見つけたいんです……おじいちゃんが描いたこの花園を。そして、そこに咲いてるフィオレ・ド・ラクラで、おばあちゃんにブーケを作ってあげられたらいいなって……」
リリアーナは、やさしい眼差しで祖母を見た。ソフィは一瞬、孫娘の言葉に驚いたように目を瞠ったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「あんなの、きっとルキノの出まかせだったのに……この子ったら」
呆れたように口にしたが、その口調はやさしいものだった。
「――あるはずだ」
しばらく黙っていたグレアスは、ふと落ちた沈黙の中、そう言った。
「『花祭りの起源にちなんでフィロ・ドラクラの花を降らせる光景は壮観だった』――……ある者も、そう、手記に記していた」
「え?」
「探してみようではないか。そう、それは、俺の見たい光景にもつながっているからな」
グレアスは紅玉の眸で、再び幻の花園の絵を眺めやった。
そのとき、ふと時計を見たリリアーナが声を上げた。
「あら、いけない。もうこんな時間だわ……礼拝堂にお花を届けに行かないと」
彼女は店の隅にすでに準備してあった花籠を抱え上げる。籠には純白のリシアンサスや青いデルフィニウムなど、清楚で清潔な印象の花々が詰められていた。まるで朝露を含んだそのままに息づいているかのようだ。
「そうだわ、グレアスさんも一緒にどうですか? いまからならちょうど塔の花撒きの儀式に間に合うと思います。もちろん本物のフィオレ・ド・ラクラを撒くわけじゃないですけど……」
リリアーナの誘いに、グレアスは優雅に笑って頷いた。
「せっかくだから見てみたい。同行しよう」
グレアスが言うと、リリアーナはぱっと表情を輝かせた。
ふたりはさっそく店を出ると、フィレンネルの街の中央、塔の見えるほうへとゆるやかに丘を登る坂道を歩いていく。陽はずいぶんと傾いて、西の空には茜色が点り、東のほうの空はすこしずつ夜の紺青に染め抜かれようとしていた。
「ところで、リリアーナ嬢。ラクラの花のラクラとは、いったい何だ?」
道の途中、グレアスは並んで歩くリリアーナのほうを向くと、そう問うた。
先程までと変わらず、祭りの気配の色濃いフィレンネルの街は、どこもかしこも花に満ちている。そんな街でも特別視されているような花なのだ。さまざまな伝承や由来などがあるのではないだろうか。
「ラクラは、このフィレンネルの街がある丘の、もともとの名前だって言われてます。まだここに街が広がる前は、このあたりは、ド・ラクラ……ラクラの地って呼ばれてたって」
「ドラクラ……ふむ、なるほどな」
そのときだ。ゴォオォオン、ゴォォオン、と、前方から荘厳な鐘の音が鳴り響いた。礼拝堂の塔の鐘だろう。グレアスが視線を上げると、天を指すように高い塔の上で、鐘が揺らされているのが目に入った。
「あ、もうすぐ花撒きの儀式がはじまるんだわ。急ぎましょう、グレアスさん!」
リリアーナはグレアスを急かすと、自分は少し歩調を早めた。グレアスは苦笑し、それでも慌てることなく、ゆったりとした足取りで丘をのぼっていく。
しばらく行ったところでリリアーナが足を止め、笑顔でグレアスを手招きした。呼ばれたグレアスは、少女の傍まで歩んでいって、そこで一度、周囲を見まわしてみた。
街の中央の塔の下には、鐘の音を合図に、人々が集まってきている。誰も彼もが、目の前の塔の情報へと視線をやっていた。
近づいてみれば、白壁の塔は見上げるほどに高い。まるでその先の天の中に何か求めるものがあるかのように伸びた塔の上、鐘の設えられた最上階のすぐ下には窓が切られていた。
そこに、ふんわりと風になびく薄布の衣装を着た男女の人影が見えた。ふたりはどうやら花籠を手にしているようだ。
再び夕焼け迫る空に鐘の音が響き渡った。
「はじまります」
同じように尖塔を見上げていたリリアーナが言った。
塔の上の男女が静かに手を掲げる。衣装の袖が、まるで蝶の翅のように広がった。
あたりが、しん、と、静まり返る。
天が息を呑むかのような静謐の中を、さぁ、と、風が駆けた気がした。
花が、降ってくる。
男女の手から放たれた一握りの花びらが、塔の高みから、はらはらはら、と、ゆるやかに舞い落ちる。色彩の乱舞だ。風とたわむれながら、一枚、また一枚、と、天からの祝福のように花弁が降りそそいだ。
「天から降る花、か」
グレアスは左のてのひらに舞い落ちてきた一枚の花びらを受けとめつつ、紅玉の眸を細めて意味深に言う。
塔の下では、リュートやフルートの音色に乗せて、詩がうたわれはじめていた。
天高く愛の花咲く
風に乗り廻り来たれり
地に眠る子に届けんと
とこしえに巡り廻らん
この愛の花
誰かひとりが口にするのではない。誰もが自然とうたっている。澄んだうた声が重なり合う、どこか神聖で荘厳なその様はまるで、詩が街そのものの記憶であるかのように感じさせた。
詩の最後の一節がうたいあげられた瞬間、今度は、リュートやフルートのゆたかな音色の中、塔から再び花が撒かれる。
詩に耳を澄ませていたグレアスは、口許をゆるめて天を仰いだ。
「なるほどな」
誰にも聴こえないような小声で、そうつぶやいた。




