有閑魔王に花の祭りを。(2)
「ん?」
グレアスは声のしたほうへと視線を向けた。
すると、広間の一角で、亜麻色の長い髪を後ろでひとつに結った、榛色の眸の少女が、若い男に絡まれているのが目に入った。
「返す返す! 喜んで返すよ! かわいい君が、おれに付き合ってくれるってんなら」
「わたしは仕事中です」
「祭りなんだし、そんな堅いこと言わないでさぁ……ちょっとくらい、いいだろ?」
少女は目を怒らせているが、男はにやにやと笑っていた。
どうやらこの少女は、花屋かなにかであるらしい。男に花籠を取り上げられてしまい、怒り半分、困惑半分といった表情をしていた。
いまは男が高く掲げている、うつくしくしつらえられた花籠に手を伸ばし、懸命に取り戻そうとしている。が、男は嫌な感じににやつくだけで、一向に少女にそれを返してやろうとはしなかった。
それどころか、男の手が、花籠の花を一輪、無造作に抜き取った。
「あ!」
声を上げた少女が、ますます必死になる。男は嘲笑うように、今度はその花を、わざと少女の手が届かない高い位置に掲げた。
その刹那のことだった。男の手をがしりと掴んだのは、音もなく男との距離を詰めていたグレアスだった。
「返してやれ」
グレアスは男の手を掴んだまま、低い声で言う。
「な、なんだてめえ……!」
男はいつの間にか背後に立っていたグレアスを睨みつけた。が、視線がかちあうと、一瞬、怯んだように黙り込む。
「返してやれ。祭りの楽しい雰囲気を乱すのは、無粋だろう」
「はっ、兄ちゃん。ちょっと顔がいいからって、恰好つけてんじゃねぇよ! 痛い目みせてやろうか?」
「ほう、俺に痛い目を見せると? おもしろいではないか」
やってみればいい、と、グレアスは口角を持ち上げ、紅玉の眸を眇める。ぐ、と、男の腕を握る手指に力を籠めると、途端に、相手の顔が歪んだ。
男が手に持っていた花が、はら、と、地面に落ちる。
「っ、てぇ……っ」
「どうした? 俺は痛くもかゆくもないが、お前は痛いようだな」
「は、はなしやがれっ」
「なにをいう。放すのはお前が先だろうが」
はっ、と、鼻で笑ったグレアスは、男のもう片方の手から、すっと花籠を取り上げた。
それを娘のほうへ差し出してやる。少女が戸惑いながらも籠を受け取ったのをたしかめると、無言で、ぐぅ、と、更に男の腕をひねり上げた。男がますます顔をゆがめる。
「は、なせ……っ」
苦悶の声がそう訴えたとき、グレアスはこだわりなく、ぱっと男の手を放してやった。
抵抗を試みていた相手は均衡を崩してたたらを踏み、そのまま、顔を引きつらせて、そそくさと逃げていく。
グレアスは男が地面に落とした花を拾い上げた。
「この花……落としてしまって悪かった。俺が買い取ろう」
グレアスは涼やかに言って、娘の手に銀貨を渡そうとする。
「い、いえ! ――……そんなの、いただけません」
娘はふるふると頭を振った。
「だが」
きょとんとするグレアスを、少女はやさしい榛色の眸で、じっと見上げた。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました。恩人からお代なんて、いただけません。お礼をしなければならないのは、わたしのほうです」
「気にするな。それよりも、その花籠を届けにいくのではないのか?」
「あ、そうでした! 行かなきゃ」
少女は慌てて花籠の花を丁寧な手つきで整える。そしてそのまま駆けだしていこうとしたが、ふと立ち止まり、再びグレアスを見上げた。
「あの、わたし、リリアーナと言います。あっちの角を曲がった通りで、おばあちゃんと花屋をしてるの。もしお時間があるなら、あとで、ぜひうちの店にいらしてはいただけませんか? ちゃんとお礼をさせていただきたいわ」
そう真摯な眸で請われて、グレアスはちいさな吐息とともに頷いた。
「わかった。後で必ずうかがおう」
そう言うと、少女はぱあっと表情を輝かせる。
「きっとですよ」
そう念を押してから、ひらりとスカートの裾を翻し、配達先へと急いでいった。




