有閑魔王に花の祭りを。(1)
『訪ねたフィレンネルの街は、ちょうど花祭り《フィオレ・フェスタ》の時期だった。さすが花と芸術の街といわれるだけのことはある。街中が花であふれ、あちこちで歌や踊りが披露されていた。すばらしい絵や細工物も、そこここで売ってる。見ているだけでも、楽しい。ついでに飯もうまい。中でも、花祭りの起源にちなんだ、フィロ・ドラクラの花を降らせる儀式……その光景は壮観だった。とにかく祭りってのは、実に、良いものだ』
――とある勇者の手記より
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長く続く石畳の街道をゆっくり歩いていたグレアスは、ふと足を止め、道の続く先、前方に姿を現した丘へと紅玉の眼差しを向けた。
「あれが、フィレンネルか」
感嘆の息と共につぶやき、目を細める。
小高い丘の上には、まばゆい陽の光を浴びて輝く白壁の街並みが広がっていた。花と芸術の街と呼ばれるフィレンネルである。中央には、教会か礼拝堂かなにかなのだろうか、まるで天を指すかのように高くそびえる塔があった。鐘を吊るした尖塔をいただく、すらりと高い美麗な建物が、澄んだ青空を背景に映え佇んでいる。
街は、いまちょうど、年に一度の花祭り《フィオレ・フェスタ》の時期のはずなのだ。
「さて、人界の祭りとは、果たしてどういったものか……楽しみだ」
グレアスの次なる野望は、この街で祭りを満喫することだ。口許を、そ、と、ゆるめつつひとりごちると、街へ向かって丘をのぼる道へ、再びゆったりと歩みを進めはじめた。
街へ入ると、まずグレアスの視線を引いたのは、広場の中央につくられた花壇だった。やわらかそうな緑の葉、赤や黄、紫など、色とりどりの花々が、風にゆったりと揺れて、まるで花の絨毯のようだ。蝶や蜂など、ちいさな虫たちが、めいめいに花にたわむれる姿も見つけられた。
遠景に見たときにはわからなかったが、この街の家々には、どこもみな、たくさんの花が飾られていた。窓辺には花瓶に花が活けられ、軒先には鉢植えが並べられている。壁に取り付けられた鮮やかな鉢にも、種々様々な花が植えられていた。
見事なものだ。
極彩色の街、と、そんな印象だった。そよ風が街を渡ってくるたび、やさしい花の香りが漂った。まさに花の街と呼ばれるにふさわしい。
ちょうどフィオレ・フェスタと呼ばれる祭りの真っ只中であるフィレンネルは、どこを歩いても色鮮やかな装飾と笑顔があふれていた。
髪に花冠をかざって駆け回る子供たちがいる。こんもりと花を詰めた籠を手にして道を行く少女たちがいる。ちいさな花束を手にした青年がいる。
街角のそこここからは、明るいリュートの音色やフルートの響きなどが聞こえてきていた。視線を向けると、明るく楽しい音楽に合わせて、老若男女を問わず、華やかな衣を纏った者たちが軽やかに踊り、歌う姿もある。
「おにいさん、どうぞ!」
グレアスが祭りの光景を興味深く眺めながら歩いていると、ふと、すぐ後ろから声が聞こえてきた。振り向けば、まだ幼い少年と少女が、自分に向かって、それぞれに一輪の花を差し出している。
グレアスは最初、ぱちぱち、と、目を瞬いた。
「俺にか?」
たしかめるように問うと、子供たちは、笑顔でこくこくとうなずいた。つられるように、グレアスも表情をゆるめていた。
魔界の者は、総じて、花を愛でる感覚が希薄だ。誰かに花を贈るという風習もない。なぜなら、魔界に咲く花というのは、毒花が圧倒的に多いからだった。見目があでやかでうつくしい花であればあるほど、おおむね、強い毒素を含んでいる。
もちろん、毒と薬は紙一重だから、薬用として用いられる花は魔界にもあった。また、種族によっては、決まった花をエネルギー源とするものたちもいる。
が、どちらにせよ実用的要素が強く、うつくしさを楽しむために花を植えたり飾ったりすることが、あまりないのだ。だからグレアスも、長く生きてきてはいても、誰かに花をもらうのはこれが初めての経験かもしれない。
口許をやわらかくゆるめたグレアスは、両の手それぞれで、ふたりともから、同時に花を受け取った。
「ありがとう」
手にした花に顔を近づけ、紅玉の目を細め、間近で色と匂いを楽しんでみる。花びらに、そ、と、くちづけしてから、二輪をあわせて服の胸元に差して飾った。
グレアスの優雅なしぐさを見たふたりの子供は、ちょっと驚いたように大きな目を瞬いた。が、すぐさま、それこそ花のように、ぱっと表情を輝やかせる。
「花祭りを楽しんで《フィオレ・アレグロ》!」
元気な声と共に、手を振りながら駆け去っていった。
それをゆったりとした微笑とともに見届けたグレアスは、今度は、道の端に並んだ出店のほうへと目を向ける。気の向くままに、屋台のひとつへと歩み寄った。
「幸いかな花祭り《フィオレ・フェリス》! いらっしゃい、おにいさん!」
店員の女が、陽気に声をかけてくる。
「フィオレ・フェリス」
グレアスがそんなふうに応じてみると、女は、にこ、と、華やかに笑った。
「おにいさん、旅の人?」
「そうだ。この街の花祭り《フィオレ・フェスタ》を見物しにきた」
「そりゃあ、いいことだ! 街自慢の祭りだからね。目いっぱい楽しんでっておくれ!」
「むろん、そのつもりだ。手はじめに、食べ物を楽しんでみたいのだが。なにか名物などはないか?」
グレアスが訊ねると、女は、あたしにまかせな、と、胸を叩いた。
「あたしの屋台にきて正解だよ、おにいさん。この街には、かつて勇者さまも舌鼓を打ったって伝わる菓子がいくつかあるんだけどね。うちにはぜんぶそろってる」
「ほう」
「たとえば、これ」
女はそう言って、手元の木箱の蓋を開けた。並んでいるのは透き通ったジュレだ。中には花びらが閉じ込められていて、まるで宝石のようだった。
「これはね、ミエリーナ・ローザっていう菓子さ。薔薇の花びらを蜂蜜で煮詰めて、固めてつくってるんだよ。どう、きれいでしょ?」
「ああ。ずっと飾っておきたいくらいだな」
グレアスが応じると、女は、にこ、と、笑う。
「で、こっちは、 フロール・ミエル・タルト。花と蜂蜜のタルトだ」
それから次の箱を開けて、中味をグレアスに見せてくれる。今度の箱の中に並ぶのは、小さな花型のタルト生地に、クリームと色とりどりの小花をあしらった菓子だった。こちらも愛らしく華やかな見た目である。
「それから、フィオレット・シュシュー」
続けて開けられた箱の中身は、花びらの蜜漬けをちょこんと飾った、ちいさなシュークリームだ。
「ふむ。どれも花と芸術の街にふさわしい菓子だな」
グレアスが感心したように口にすると、だろう、と、女は嬉しそうに笑った。
「どれかひとつには決められんな。せっかくだ、ぜんぶ、ひつつずついただこう」
グレアスは言って、懐から銀貨を三枚取り出した。それを見た女は軽く目を瞠り、それから軽く声を立てて笑った。
「ちょっとちょっと! いくらなんでも多すぎるよぉ、おにいさん」
「そうは言うが、どれもこれも、手の込んだ菓子だろう?」
「それにしたってねえ……あんた、お貴族さまのお忍びかなんかかい?」
こちらの世間知らずをからかうように言って、女はもう一度、朗らかに笑った。困ったようにグレアスが苦笑すると、こちらの手から、銀貨一枚だけをつまみ上げる。
「これで十分。あと、おにいさん素敵だから、これもつけとくよ!」
そう言いながら、彼女は花模様の紙皿の上に、グレアスが頼んだ三種の菓子と、ついでに薔薇をかたどった虹色の砂糖菓子をのせてくれた。
グレアスは女に礼を言うと、屋台を離れ、歩きながら菓子をつまんでみる。どれも口に含むと花と蜂蜜の香りがほんのりと広がった。美味だ。
「それにしても……人も花を食うんだな」
シュークリームの上に飾られていた花びらの蜜漬けを指先で持ち上げて眺め、ぺろりとそれを舐め取って口に入れる。
それから、グレアスは、こちらも花びらをあしらったサラダでも食してみようか、と、別の店を覗きかけた。まさにそのときだ。
「返してください! それ、これからお客様にお届けする花なんです!」
少女の、切羽詰まったような声が聞こえてきた。




