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有閑魔王に温泉を。(8)

「――で。なんでオレ、魔鳥と弁当なんて食ってるわけ……?」


 リオが心底わからないというふうに困惑げにつぶやく隣で、グレアスはわずかに苦笑を漏らした。


 後ろを振り仰ぐと、艶やかな黒い翼を行儀よくきちんとたたんで、すっと伸びたうつくしいくちばしに挟んだサンドイッチを、いかにもうまそうにはぐはぐとやっている大鴉(おおがらす)がいる。フレアクロウだった。


 グレアスはリオと共に、山頂近くまで登ってきていた。


 木々が開け、やや窪地のようになっているところ、見晴らしのよいその場所で岩に腰掛け、メイアが用意してくれた昼食を楽しんでいるところだ。


 グレアスがこの山の熱源についての推論を披露していたところに、折よく、その熱源である魔鳥フレアクロウが姿を見せた。ストニアがなくなってからも、どうやらフレアクロウは、この山の中を棲処(すみか)にしたままだったらしい。


 文献から得たグレアスの知識によれば、フレアクロウというのは、山の中腹の土中に、ときには自然に出来た洞などを利用しながら、巣をつくる生き物であるはずだった。ちなみに基本的は暗さのほうを好むので、人界においては、夜行性と分類されるような生き方をしているのだろう。


 このフレアクロウも、おそらくは日中のいま、山中に籠っていたのだろう。が、先程ストニアの殻を割るために使ったグレアスの魔力を感知して、それに引かれて出てきたようだった。


 急に現れた巨大なカラスの姿に、リオは目を瞠り、言葉を失っていた。怯えた表情を見せもした。


 が、フレアクロウはもともとおとなしい鳥だ。普段は夜闇に融けての空中散歩を何よりの楽しみにしているといった生き物だから、人に危害を加えるものでもない。


 自分たちの傍に降り立ち、きちんと翼を折りたたんだカラスの姿に、リオはすぐ相手に敵意や害意がないことを読み取ったようだった。聡い子供だ、と、グレアスは思う。


「せっかくだから、一緒に山頂まで登って、景色を楽しみながら昼餉にするとしよう」


 グレアスが片手に持ったンドイッチの入ったバスケットを掲げたときにも――それでもさすがに、またびっくりはしていた様子だったのだが――結局は戸惑いつつも、グレアスの提案に反対するようなことはなかった。


「街の守り神って伝わってたカラスが実は魔界から来た魔鳥で、スプリングスの温泉の熱源で、その熱源と一緒に飯食ってるとか……なにそれ? 変じゃない?」


 妹お手製のサンドイッチを頬張りながらも、リオがぶつぶつと言った。


「気にするな。変なことなど、この世には溢れておるさ」


 あっさりと返すと、リオは、はは、と、小さく笑って、後ろに控えるように立って、グレアスが与えたサンドイッチのお裾分けを頬張っているフレアクロウを見詰めた。


 フレアクロウは、まるでグレアスに同調するかのように、かちかち、と、くちばしを鳴らす。するとそこで、火打石を打ったときのように、細かな火花がいくつか散った。カァ、と、ひと声啼くと、それは蒼白い焔(ほむら)になった。


「……ほんとうに……魔鳥なんだ。いや、大きさからして、普通のカラスじゃないのはわかるんだけどさ……」


 リオは、はあ、と、なんだか諦念めいたものをふくむ嘆息をもらした。


 戸惑う少年の様子に、グレアスはまた、ちら、と、苦笑した。


 しばし沈黙が落ちる。さあ、と、さわやかな風が、二人と一羽の間を吹きぬけていった。


 心地好いその感覚に、グレアスが紅玉の眸をすぅっと細めたときだった。


「――あのさ、グレアスにいさん」


 リオが、やや改まったような、深刻な声を発する。


「温泉が冷えた原因って……結局、オレたち街の人間が、ストニアの森を切り拓いちまったことだったんだよな。ストニアの実がなくなったから……それまでは殻を割って実を食べるために火を噴いてたフレアクロウが、もう、火を噴かなくなったから……そういうことだったってことで、あってる?」


 リオが真剣な眸で問うのに、そうだな、と、グレアスは頷いた。


 するとリオは、はあぁあぁ、と、長く大きく溜め息をついた。


「それって結局……オレたち人間の、自業自得、みたいな?」


 リオはがくりと項(うな)垂(だ)れていた。


「慾を出して、街を広げたりしたのが、オレたちの大事な温泉を駄目にしちまったんだな。実も食えなければ、幹もまるで使えない。役立たずだし伐っても何の問題もないって思ってたストニアが……実は、オレたちの街にとって、大事な役割を担ってたなんて……」


 リオは悔いるようにくちびるを引き結んだ。


「温泉を大事にしたいなら、オレたちはほんとは、ストニアの森を、もっと大事に守らなきゃならなかったんだ。オレたちに温泉という恵みをもたらしてくれる守り神……フレアクロウの、大好物、なんだもんな」


 ごめんな、と、リオは後ろのフレアクロウに向かって、小声で言った。


 巨大なカラスは、かちかち、と、ちいさくくちばしを鳴らして答えた。


「なに。風が吹けば桶屋が儲かるし、アウロレアで蝶が羽ばたけば魔界で竜巻が起こる。それが世界だ。――珍しいことではない」


「どういうこと?」


「世界とは、つまり、そういうものなんだろう、ということさ。何がどこでどう繋がっているものか、その深淵は、我々一個の存在にはとても窺い知れない」


 リオはいま、街の住人のひとりとして、自分たちの、結果として浅はかだったとしか言えない行為を嘆いている。そんな少年を、グレアスは慰める口調で言ったのだった。


「グレアスにいさんにも、わからないの? なんかあんた、いろいろたくさん、知ってるみたいだけど……」


「俺が知っていることなど、たかが知れている」


「そう?」


「そうさ。たとえばスプリングスの温泉の素晴らしさを、俺はまだ知らん。まあ、だからこそ、旅をする意義もあるというわけか。――何年生きても……思わぬことは、起こる。だからおもしろい」


 グレアスがゆっくりと言うと、しばらくその言葉を噛みしめるように黙っていたリオがやがて、そっか、と、ちいさく頷いた。


「でも……これから、どうしたらいいんだろう」


「どう、とは?」


「温泉が冷えちまった原因はわかったけど……でも、どうやったら、もとに戻せるんだろうってこと」


「ああ、それか。なに、簡単だ。またストニアの森をつくればいいだけのことではないか」


「え……?」


「そうすれば、生(な)った実を食うために、フレアクロウはまた火を噴く。それで地下水があたためられて、温泉は元通りだ。ちがうか?」


「なんか……すごく簡単そうに言うね、にいさん」


「簡単だからな」


 グレアスはリオの顔を見て、ふ、と、笑った。


 リオはまた、え、と、目を瞬いた。


「でも……オレたちは、ストニアを根こそぎ伐ってしまったんだよ?」 


「ああ」


「種とかだって、ひとつも残ってないんだよ? まさか、魔界にでも出向いて、種を持ってくるつもりとか? そんなの無茶だよ」


「はは。そんな遠出をする必要はない」


 グレアスは柔らかく微笑んだ。その眼差しは、まるで大事な秘密を誰かにこっそりと教えるときのような、すこしだけ悪戯っぽいものだった。


「種なら……あるではないか」


 ゆっくりと口にする。


「え?」


「ストニアの種は残っている。ほかならぬお前たち街の者が、ずっと、大事に身につけている」


 グレアスは深紅の眸を、静かにリオの胸元へと向けた。

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