国に仇なす者への慈悲
「う……嘘だ! フィオナ、君はアナスタシアたちにイジメられていただろう!?」
「忘れたのか!? 其処の商売女に化粧について散々嫌味を言われたはずだ!」
「そうだよ、地味な底辺貴族に散々見下されて馬鹿にされていたじゃないか」
「あのときだって、その高慢な悪女に突き飛ばされて怪我をしていた……俺は確かにこの目で見たんだ」
口々に婚約者――――否、元婚約者たちを罵りフィオナに縋るアンブローズ王子とそのお仲間たち。しかしフィオナは綺麗な笑みを浮かべて一言。
「わたし、一言もそんなこと言ってませんよ?」
それでも認めない彼らに、フィオナは呆れて溜息を零す。
「アナスタシア様は、至らないわたしに貴族社会のことを教えてくださいましたし」
「ほ、ほらみろ! 小姑みたいにいびっていたんだろう!」
周囲の生徒たちが、困惑を露わに顔を見合わせる。
確かに貴族社会では、大っぴらに悪口を言うのではなく迂遠な言い方をすることはある。しかし、学園生活の最中で見かけた二人はとても口うるさい小姑と出来の悪い平民娘といった風情ではなかった。寧ろ教え方は優しいほうで、令嬢の中には自分の教育係の何十倍も優しくわかりやすくて羨ましいと思う者もいたほどだ。
端から見ても関係性が良好なのは明らかなのに、遠回しな嫌味を言うだろうか。
「ベリンダ様は、わたしにパーティドレスでも見劣りしないメイクを基礎から教えてくださいました」
「だから言ったじゃないか! 小細工なんかいらないフィオナに厚化粧女がネチネチ嫌味を言ったんだろう!」
主に令嬢たちが、眉を顰めて囁き合う。
ベリンダの顔立ちがはっきりしていることは彼女たちもよく知っている。変に色々塗りたくらなくとも完成形が其処にあるとさえ思えるほどに。小細工が必要なのは、寧ろシンプルな顔立ちをしている娘のほうだ。夜会や茶会に合った化粧をしなければ対面した相手にぼんやりとした印象を与えてしまう。しかし化粧を濃くすればいいというものでもない。自分に合った色を選び見栄えを良くすることは、社交界を生きる令嬢にとっては基礎教養である。
女性たちの苦労も知らず、化粧を小細工呼ばわり。バートランドは、たった一言で会場中の令嬢たちからこの上ないヘイトを買った。
「コニー様は、元平民だからと誰よりもわたしを気遣ってくださいました」
「だからそれは、自分が貴族になれたからと君を見下しているだけなんだよ」
同じく成り上がり貴族である家の子が、過去に自身や家族に向けられてきた諸々の差別的な視線を思い出した様子でキャメロンを睨む。
平民が貴族の称号を得るのは並大抵ではない。ちょっと事業に成功した程度では、叙勲には至らないのは周知である。コニーの家が近年男爵の爵位を得たことは此処にいる全員が知っている。中には彼女を商人上がりと揶揄する者もいるが、しかしその一方で家が積み重ねてきた努力を認めてない者はいない。
下位貴族の子息令嬢は、コニーに投げつけられている泥を自身の経験に重ね、唇をかみ締めた。
「あの日ディアドラ様は落としたハンカチを探していて、わたしがそれを取ったとき勝手にバランスを崩しただけです。だいたいデリック様は、ディアドラ様がわたしを突き飛ばすところをご覧になったんですか?」
「そんな……そんなはずは……そうだ、其処の悪女に脅されているんだろう? 俺がその田舎貴族から守ってやるから、下らない嘘はやめるんだ」
田舎貴族の言葉に、周囲からざわめきが起きる。
辺境伯の追求から伯爵の息子風情がなにを守れるというのか。まさか辺境の言葉を田舎と勘違いしているのではあるまいか。そんな困惑が広がっていく。
あくまでも責を認めない見苦しい様子に、ホール中から軽蔑の視線が注がれる。
フィオナが本当にアナスタシアからのイジメを受けていたなら、仮にも王族であるアンブローズ王子に縋っていれば良いものを。フィオナは毅然とした態度でイジメの事実はないと言い切っている。
「それと……他のご令嬢方の名誉にも関わるので申し上げておきますけど、わたしを含めパーティの場にすっぴんでくるなんてあり得ないです」
「なっ!?」
追撃とばかりに繰り出されたフィオナの呆れ全開の言葉に、主にバートランドから驚愕の声が上がった。
周囲の令嬢たちも「なにを今更」「当然でしょう」「いくら彼女が平民といえど、学園に在籍してパーティに出席するならメイクは基本ですわ」と同意している。
「あとですね、お茶会のときにもすっぴんって言われましたけど、あの日もしっかりメイクしてました。バートランド様が散々馬鹿にしてらしたベリンダ様に教わった、ナチュラルメイクです」
フィオナはそう言うと抉るような溜息を零し、バートランドを睨む。
「何度も何度もひどい言葉で侮辱してましたね。先程も商売女と罵ったことは皆様もお聞きになったでしょう。それから娼館の踊り子が着るようなドレスを送りつけて、この場に着てこいと命じられたようで」
小さな悲鳴が周囲の令嬢たちから上がる。
淑女教育を受けた貴族令嬢にとって、娼婦扱いは最悪の侮辱である。たとえ平民の娘でも、誰にでも足を開くアバズレと言われて傷つかない者はいないだろう。
「そう言えばディアドラ様を田舎女と仰いましたね。辺境伯の辺境の意味を、まさか貴族の立場で田舎者だと認識している人がいるとは思いませんでした。身分なら寧ろディアドラ様のほうがずっと上なんですけど、それも知らなさそうですね」
にこにこと愛らしい笑みで、フィオナは傷を抉る。
「なによりコニー様が地味で何の取り柄もないだなんて良く言えましたね。ていうか何のためにこの場にいらしてるんです? 今日の表彰会が誰のなにを表彰する場かも知らずにいらしたと? まさか断罪ショーのことしか頭になかったんですか?」
キャメロンが、自慢の美貌を見たことがないほどに歪めている。
「まあ、全部どうでもいいんですけどね。全て上に報告済みですし、先程皆様の前ではっきり婚約破棄を宣言して頂いたので。アナスタシア様、ベリンダ様、コニー様、ディアドラ様は、最早彼らの暴虐に耐える必要はありません」
青白い顔で固まっているアンブローズ王子たちを余所に、アナスタシアたちは実に晴れやかな表情をしている。公衆の面前で侮辱された分はそっくり返した。
そしてフィオナはコニーの手を取ると、紳士がそうするように壇上へとエスコートした。
「アンブローズ様、どいて頂けます? 其処は表彰される方の立つ場所です」
「っ……! その底辺男爵女が何だって言うんだ!」
この期に及んで尚も侮辱するアンブローズ王子に、フィオナは軽蔑すらも感じない冷めた眼差しを向け、平坦に告げる。
「この広間を照らすシャンデリアをご覧になったでしょう? これまでの明かりは、高級な炎の魔石を特殊な加工法で削らなければ作れなかったものですけど、コニーがクズ石と呼ばれ破棄されてきた魔石の欠片を磨き、灯石に加工する手法を編み出して炎を用いない安全な光を開発しました。この表彰会はコニーの功績を称えるパーティなんです」
其処まで言うと、フィオナはアンブローズ王子を押し退けてコニーを壇上に招き、輝く微笑を浮かべて見つめた。
「ずっと何の価値もないと蔑まれていた石ころがなにより眩しく皆を照らす光になるなんて……これはコニーの努力そのものが輝きになったの。誇りに思って頂戴」
「ありがとう、フィオナ。でも私一人の成果じゃないわ。あなたがアナスタシア様やベリンダ様、ディアドラ様と繋いでくださったから何とか形に出来たのよ」
コニーとフィオナが、手を取り合って眼下のアナスタシアたちを見つめる。そしてアナスタシアたちもまた、コニーとフィオナを眩しそうに見つめている。
彼女たちの誇らしげな表情は、決してコニーを商人上がりと見下しているものでもなければ、フィオナを貴族の素養がない平民娘と侮っているものでもない。この場に真実の愛なるものがあるとするなら、それは王子とフィオナのあいだなどではなく、コニーとフィオナ、そしてアナスタシアたちのあいだにこそ存在していると、誰もが確信していた。




