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第56話 残った者たち

 夕方。


 工房では片付けが始まっていた。


 職人達が工具を戻し。


 机を拭き。


 戸締まりの準備をしている。


 以前なら。


 まだ仕事をしている時間だった。


 だが今は違う。


「お疲れ様でした!」


「また明日!」


 明るい声が飛び交う。


 ガルドは腕を組んだまま、その様子を眺めていた。


「静かになったな」


 ぽつりと言う。


 ノアも工房を見渡した。


「そうですね」


 以前は違った。


 誰かが質問する。


 誰かが呼ばれる。


 誰かが残る。


 工房はいつも慌ただしかった。


 仕事が終わっても終わらない。


 そんな場所だった。


 その時だった。


「ミリアさん」


 一人の若い職人が声を掛ける。


 手には紙があった。


「今日の分です」


「ありがとうございます」


 ミリアが受け取る。


 ガルドが眉をひそめた。


「何だそれ」


「見本帳です」


 若い職人が答える。


「今日、新しい修繕例が出たので」


「忘れないうちに書いておこうと思って」


 別の職人も頷いた。


「次に同じのが来たら困るだろ」


 当たり前のような口調だった。


 ガルドは何も言わない。


 少し前まで。


 そんなことを言う奴はいなかった。


 質問する。


 答える。


 終わり。


 辞めたら消える。


 それだけだった。


 だが今は違う。


 自分達で残そうとしている。


 自分達で良くしようとしている。


 誰かに言われたからではない。


 自分達の工房だからだ。


「それじゃ失礼します!」


 職人達が帰っていく。


 笑いながら。


 手を振りながら。


 最後の職人が戸を閉めた。


 工房の灯りが消える。


 以前よりずっと早い時間だった。


 ガルドはしばらくその戸を見ていた。


「良かったですね」


 ノアが言う。


「俺じゃねぇ」


 ガルドは答えた。


「そうでしょうか」


「そうだ」


 即答だった。


 だが。


 少しだけ間が空く。


「まあ」


 頭を掻く。


「悪くねぇな」


 珍しくそう言った。


「飲むか」


「はい」


 ノアは頷いた。


     ◇


 酒場は賑わっていた。


 仕事帰りの職人達。


 商人達。


 冒険者達。


 様々な声が飛び交う。


 ガルドは木杯を持ち上げた。


「工房の立て直しだ」


「ありがとうございます」


 軽く杯を合わせる。


 酒が喉を通る。


 苦い。


 だが悪くない。


 しばらく無言で飲む。


 先に口を開いたのはガルドだった。


「俺は終わると思ってた」


 ノアは黙って聞く。


「工房だ」


 ガルドは酒を飲む。


「職人が辞める」


「仕事が回らなくなる」


「残った奴も疲れる」


「また辞める」


 木杯を置いた。


「何度も見た」


 低い声だった。


「引き留めても駄目だった」


「給金を上げても駄目だった」


「頭を下げても駄目だった」


 少し笑う。


 自嘲するように。


「最後はな」


「辞めるって言われても驚かなくなった」


 ノアは何も言わない。


「だから」


 ガルドは窓の外を見る。


「帰っていく奴を見るのが嫌だった」


 静かな言葉だった。


「どうせ明日は来ねぇんじゃねぇかってな」


 木杯を握る。


 少しだけ強く。


「馬鹿みてぇな話だ」


 そう言って笑う。


 だが。


 笑いきれていなかった。


「最近な」


 ガルドが言う。


「あいつら笑うんだ」


 少し前を思い出すように。


「仕事終わったら帰る」


「次の日になったらまた来る」


「馬鹿話して」


「文句言って」


「また働く」


 そこで初めて。


 ガルドの表情が柔らかくなった。


「当たり前なんだがな」


 木杯を持ち上げる。


「その当たり前が無かった」


 ノアは静かに頷いた。


「工房なんてな」


 ガルドが言う。


「建物が残りゃいいってもんじゃねぇ」


 少し間を置く。


「残るなら」


「こういう方がいい」


 酒場の喧騒の中。


 その言葉だけが妙に静かだった。


 しばらくして。


 ガルドが言う。


「また王都か」


 ノアは少し考えた。


「たぶん」


 短く答える。


 ガルドは鼻を鳴らした。


「ベラの手紙だろ」


「ラウルの件もある」


 ノアは否定しない。


「まだ決まったわけではありません」


「嘘つけ」


 即答だった。


 思わずノアも少し笑う。


 ガルドは木杯を置いた。


「なら行ってこい」


 ノアが顔を上げる。


「こっちは任せろ」


「工房もだ」


「領地もだ」


 そして。


 少しだけ口元を緩めた。


「お前らはもう心配するな」


 ノアは黙った。


 その言葉は。


 ガルドが初めて口にしたものだった。


「クラリス様もですか」


「当たり前だろ」


 ガルドは笑う。


「ここで終わるお方じゃねぇ」


 ノアは小さく息を吐いた。


「ありがとうございます」


「礼はいい」


 ガルドは酒を飲み干す。


「その代わり」


 少し笑った。


「面白い話を持って帰ってこい」


 ノアも笑う。


 工房の戸は閉まった。


 職人達は家へ帰った。


 明日になれば。


 また戻ってくる。


 少し前なら。


 信じられなかった光景だった。


 王都。


 ラウル。


 そして新しい問題。


 その前に。


 守るべき場所は、もう残っていた。

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