第50話 帳簿に載らない仕事
翌朝。
工房の長机に、大きな紙が広げられていた。
職人達が不思議そうに集まっている。
「何だこれ」
「新しい注文か?」
ガルドも腕を組んで立っていた。
その前にいるのはノアだった。
クラリスも隣に立っている。
「今日は仕事を一つ調べます」
ノアが言う。
「縫う以外の仕事を書き出してください」
一瞬。
工房が静かになった。
「縫う以外?」
「全部です」
職人達は顔を見合わせる。
「全部って言われてもな」
「仕事は縫うことだろ」
ノアは頷いた。
「では昨日、縫っていない時間はありませんでしたか」
誰もすぐには答えない。
やがて。
ミリアが手を挙げた。
「見本確認」
ノアが紙へ書く。
見本確認。
「色の違いを見るのもあります」
追加される。
すると別の職人が言った。
「糸の不良確認」
「戻り布の分類」
「修繕できるか見る仕事もある」
紙が少しずつ埋まっていく。
ガルドも口を開いた。
「新人の質問対応」
「見本箱の整理」
「分類札の付け直し」
さらに増える。
「商会への説明」
「保管場所の確認」
「洗浄前後の確認」
紙はどんどん埋まっていった。
クラリスは黙って見ていた。
想像より多い。
縫う以外の仕事が。
想像よりずっと多い。
「こんなにあったか?」
誰かが呟く。
小さな笑いが起きた。
だが。
ノアは笑わなかった。
紙を見つめる。
「あります」
静かな声だった。
「そして」
紙を指差す。
「今まで値段がありませんでした」
空気が止まる。
誰も何も言わない。
言えなかった。
そこに書かれているのは。
毎日やっている仕事ばかりだったからだ。
◇
ノアは紙の横へ新しい列を作った。
「次です」
「まだあるのか」
ガルドが顔をしかめる。
「この仕事は誰がやっていましたか」
その質問で。
空気が少し変わった。
「見本確認は?」
「ガルド」
名前が書かれる。
「新人対応は?」
「ガルド」
「戻り布判断は?」
「ガルド」
「修繕可否の確認は?」
「ガルドだな」
工房に笑いが起きる。
「お前ばっかりじゃねえか」
「勝手に持ってくるんだよ」
ガルドは嫌そうに言う。
だが。
ノアは次の項目へ進んだ。
「色見本の確認は」
「あの人だったな」
「分類札も」
「あの人」
「戻り布の相談も」
「あの人だ」
昨日辞めた女性の名前が並んでいく。
クラリスは息を止めた。
さらに。
別の名前も出る。
「これは?」
「辞めたマリナだな」
「じゃあこっちは?」
「それも辞めた」
工房が静かになる。
ノアは紙を見つめた。
そこにあるのは。
残った人の名前ではなかった。
辞めた人の名前だった。
何度も。
何度も。
繰り返し出てくる。
◇
「私も」
ミリアが小さく言った。
全員が振り向く。
「私も聞いていました」
紙を見ながら続ける。
「戻り布の見方とか」
「修繕できるかとか」
「色の違いとか」
少し俯く。
「あの人なら分かると思って」
工房が静かになる。
ミリアだけではない。
誰もがそうしていた。
迷ったら聞く。
分からなければ持っていく。
上手い人へ。
詳しい人へ。
頼れる人へ。
そして。
その仕事には値段がなかった。
ノアが言う。
「仕事が集中しています」
誰も否定しない。
「だから」
クラリスが呟く。
ノアは頷いた。
「辞めます」
短い言葉だった。
だが。
工房の全員が理解した。
◇
夕方。
工房にはまだ人が残っていた。
長机の紙は文字で埋まっている。
縫う。
よりも。
教える。
確認する。
判断する。
答える。
見る。
そんな言葉の方が多かった。
クラリスはその紙を見つめる。
昨日の男の子を思い出した。
今日はいる?
娘の言葉も思い出す。
今の母さんの方が楽しそう。
長い沈黙の後。
クラリスは顔を上げた。
「ノア」
「はい」
「値段を付けましょう」
工房が静まる。
ガルドが目を細めた。
「何にだ」
クラリスは紙を指差した。
「全部です」
迷いはなかった。
「縫う仕事だけではありません」
「教える仕事も」
「判断する仕事も」
「確認する仕事も」
紙を見る。
「働いてもらっていたのですから」
ノアは小さく頷いた。
紙の上には。
今まで名前だけがあった仕事が並んでいる。
そして今。
その一つ一つに。
ようやく値段を付ける準備が始まろうとしていた。




