第49話 継がせたくない仕事
翌朝。
クラリスは村外れへ向かっていた。
昨日見た空席が頭から離れなかった。
織機は動いている。
注文もある。
売上も伸びている。
それなのに。
席だけが埋まらない。
ノアも何も言わず隣を歩いていた。
答えは工房にはない。
あの席に座っていた人の方にある気がした。
◇
小さな畑のある家だった。
洗濯物が風に揺れている。
工房で見た女性が桶を持って立っていた。
「クラリス様?」
驚いた顔になる。
「少しお話を聞かせてください」
女性は戸惑いながらも頷いた。
「私で良ければ」
その時だった。
「母さん!」
家の中から男の子が飛び出してきた。
女性へ抱きつく。
「どうした」
「今日もいる?」
クラリスの足が止まった。
女性は笑う。
「ああ」
「今日はいるよ」
男の子の顔がぱっと明るくなる。
「やった!」
そのまま外へ走っていった。
女性は苦笑する。
「最近なんです」
「最近?」
「毎日聞くんですよ」
照れたように笑った。
「今日もいる?って」
クラリスは返事ができなかった。
その言葉だけが妙に残った。
◇
家へ通される。
窓の外から子供の笑い声が聞こえる。
穏やかな家だった。
「率直に聞きます」
クラリスは姿勢を正した。
「待遇に不満があったのでしょうか」
女性は首を振る。
「いいえ」
即答だった。
「給金は前より良くなっていました」
やはりそうだった。
工房は忙しくなった。
王都との契約も増えた。
待遇も少しずつ改善している。
「では仕事が辛かったのですか」
女性は少し考える。
「縫うのは好きなんです」
静かな声だった。
「工房も好きでした」
「だから辞めるつもりはなかったんです」
クラリスは黙って聞く。
「でも」
女性は窓の外を見る。
「帰ろうとすると呼ばれるんです」
少し笑う。
「これだけ見てくれ」
「これだけ教えてくれ」
「これだけ確認してくれ」
どれも短い。
どれも必要な仕事だった。
「新人も困っていましたから」
「放っておけなくて」
そこで言葉が止まる。
窓の外。
男の子が土を掘って遊んでいる。
「ある日」
女性が言った。
「この子に聞かれたんです」
クラリスの胸がざわつく。
「今日はいるの?」
部屋が静かになる。
「その時」
女性は小さく笑った。
「私、家にいなかったんだなって」
クラリスは何も言えなかった。
「給金の問題じゃありません」
女性は首を振る。
「工房が嫌いになったわけでもありません」
少しだけ息を吐く。
「家へ帰りたかったんです」
その言葉だけは。
不思議なくらい重かった。
◇
帰り道。
風が畑を揺らしていた。
クラリスはずっと黙っている。
ノアも何も言わない。
しばらく歩いて。
ようやくノアが口を開いた。
「上達が罰になっています」
短い言葉だった。
それだけだった。
だが。
クラリスは返事ができなかった。
◇
村へ戻る途中。
昨日見かけた娘が洗濯物を畳んでいた。
「クラリス様」
「少しだけ聞いてもいいですか」
「はい」
クラリスは尋ねる。
「縫い仕事は嫌いですか」
娘は首を振った。
「好きです」
即答だった。
「布も好きです」
「工房も好きです」
少し笑う。
「見に行くのも好きです」
クラリスは少しだけ安心する。
だが。
「でも入りません」
娘は続けた。
「どうしてですか」
娘は不思議そうな顔をした。
「今の母さんの方が楽しそうだから」
風が吹く。
洗濯物が揺れる。
「休みの日に家にいるし」
「一緒にご飯も食べるし」
娘は笑った。
「前は工房の方が家みたいでした」
悪意はない。
ただ見たままを言っただけだった。
だからこそ。
胸に刺さった。
◇
その夜。
実務室には灯りが残っていた。
帳簿が開いている。
売上。
利益。
契約。
王都で積み上げてきた数字。
どれも間違っていない。
どれも必要だった。
だが。
クラリスは帳簿を見ていなかった。
窓の外を見ている。
長い沈黙が続く。
ノアも急かさない。
やがて。
クラリスが口を開いた。
「ノア」
「はい」
「……あの子は」
言葉を探す。
「何回聞いたのでしょう」
ノアは答えない。
クラリスは続ける。
「今日はいるの、と」
静かな声だった。
「毎日だったのでしょうか」
帳簿の上には契約書が並んでいる。
売上もある。
利益もある。
だが。
そこには書かれていない。
誰かが家へ帰れなかったことも。
誰かが待っていたことも。
誰かが諦めたことも。
クラリスは目を閉じる。
「ノア」
「はい」
「私達は」
小さく息を吐く。
「何を働いてもらっていたのでしょう」
ノアはすぐには答えなかった。
実務室は静かだった。
灯りだけが揺れている。
その問いの答えは。
まだ帳簿のどこにも載っていなかった。




